2016-04-01から1ヶ月間の記事一覧

収馬岱

前回の記事で豫劇について取り上げ、その後それはどのような演目なのか気になり「百聞は一見に如かず」ということで観ようと考え、中国の動画サイトで探していると幸運なことに字幕付きの動画が投稿されていた。大平调《收马岱》兄弟相认一折_标清 00_18_38-…

豫劇における馬岱

今回も百度で興味深い記述を見つけたので、それについて触れたい。 大平調與豫劇《收馬岱》(即《對金抓》),写黃三耀獨闖飛虎山,為女大王所擒結為夫妻,之後就是“兄弟相認”一折了。写黃三耀千里尋兄,與胞兄馬超相認的故事。他們多年未見面,姓氏又不一様…

英雄たちの伸長について【三国志平話編】

昨日の正史に続き、今回は三国志平話の伸長の記述を拾う。 平話の性質上、伸長に関して記載があるのは蜀の人物がほとんどであった。 話說一人、姓關名羽、字雲長、乃平陽蒲州解良人。生得神眉鳳目虬髯、面如紫玉、身長九尺二寸。 却說有一人、姓張名飛、字翼…

英雄たちの伸長について【正史編】

三国志や後漢書を読むと、当然ではあるが多くの人物の名前や容貌、性格、来歴など様々なことが記されている。今回は史料に記されているそんな彼らの伸長についてまとめたい。ダラダラと長ったらしく引用し続けるため、最後に掲載する図だけ見ていただければ…

武安国の血筋

演義オリジナルの人物である武安国。彼について百度で調べていると以下の興味深い記述があった。 漢末野史記載:根據漢末及三國野史的記載武安國,復姓武安名國字霸候,乃是武安君白起的後人,早年間曾跟隨北海太守孔融陣壓黃巾起義,期間曾一天連斬五位黃巾…

演義における武安国の描写を比較

演義において虎牢関で一方的に攻めて来る呂布にタイマンを張り片腕を失いながらも、呂布を陣に返し「生き残った漢の子」としてみんなに愛される武安国。彼の活躍する場面は全120回あるなかで唯一この場面しかない。俗にいうマイナーな武将である。そんな彼に…

馬岱の字を考える

馬岱の字は『陜西省扶風縣郷土志』の伯瞻とする説や、『反三国志』の仲華という説が広く知られている。今回は名に岱がつく人物の字にどのような漢字が用いられているのか、正史類などの記述がある人物らの用例を参照し、馬岱の字について考えたい。 (种)岱…

平話における馬岱について

三国志平話が成立した前に誕生したと考えられる『新刊全相平話三國志』こと通称『三国志平話』。今回はその平話に記載されている馬岱のシーンをピックアップする。なお翻訳するにあたり以下の資料を参考にした。・全相平話二種画像・テキストデータ https://…

麋芳と城とレンコンと

百度に掲載されていた麋芳が建造されたという麋城の記事を大まかに訳す。 なおソースは不明。・糜城_百度百科 http://baike.baidu.com/view/937733.htm 当陽市兩河鄉境內,距市玉陽鎮22公里,為古城遺址。相伝是三国時蜀将糜芳守江陵所筑。城墙周長1670米,…

正史における馬岱について

先日より調べている馬岱について、どのような役割が与えられ、それが変化しているのかを検証するため、まずは正史の記述を以下にピックアップする。 (章武)二年卒,時年四十七。臨沒上疏曰「臣門宗二百餘口,為孟紱所誅略盡,惟有從弟岱,當為微宗血食之繼…

東京「媽祖廟」

JR大久保駅南口より南へ5分ほど歩くと、雑居ビルが立ち並ぶ中に四階建ての極彩色の媽祖廟が現れる。鈴木洋平「結節点としての『廟』―在日台湾人コミュニティにおける東京媽祖廟の建立―」に拠ると、1970年代に日本媽祖会の結成時の人脈より伊豆に、1980年末…

馬岱の逸話

正史には伝わっていない馬岱に関するちょっとしたネタ。 野馬圪塔在縣東四十五里地、近清澗溝、溝底有石寨、山壁鑱「將軍黄巖」四字。縣志、巖即馬岱也。少孤與母避難、僑黃姓室、因名黄巖。時牧馬於此。長投馬超、復姓。 欽定四庫全書『山西通志』卷二十七 …