正子公也氏のトークショー&サイン会@KOBE三国志ガーデン

3/23(日)に神戸三国志ガーデンの二周年イベントにて絵巻作家の正子公也氏のトークショーが開催された。

神戸三国志ガーデン

オープン二周年イベント(PDF:1,74MB)

Atelier正子房(正子公也氏の個人サイト)

トークショーでは制作秘話や実は・・・など様々なことを丁寧に話され、驚くことばかりで聞き入ってしまうほど、楽しく拝聴することが出来た。その内容は以下の通りである。



三国志についてのトークということで、三国志の世界を僕がどの様に表現をしているかというのを絵をお見せしながら説明しようかなと思います。まずは、なぜ三国志にはいったかということを自己紹介を兼ねてご説明をします。三国志との出会いは今から40年程前の中学校1年生(13歳)の頃です。今は三国志というと、本もたくさん出版されており、映画やアニメ、三国志ガーデン、テレビゲームなどもあって多くの方に知られています。しかし当時はテレビゲームもなく、横山光輝先生の三国志も連載が始まったばかりで、中学生で三国志を知っている人なんてほとんどいなかったんですよ。またそれが掲載されていた雑誌「希望の友」は、普通の書店では売っておらず、また普通の漫画よりも高かったんです。なので三国志を見ることはあまりなかったのです。

僕が三国志をどのように知ったかと言うと、平日の夕方の18時半くらいから15分くらいNHKで人形劇「新八犬伝」(1973年)放送がされていたんです。八人の主役がとても魅力的で大好きで、それを毎日欠かさず見ていました。その「八犬伝」の基となったのが、百八人も登場する「水滸伝」という中国の小説です。「水滸伝」に興味を持つようになり、それを読みたくなったので、読みました。見事にどっぷりと浸かってしまいました。
「新八犬伝」の九年後に、皆さんご存知の川本喜八郎先生の人形劇三国志が始まり、それを見始めました。八犬伝から水滸伝に入り、水滸伝に熱中して、中国の小説に惹かれ、人形劇三国志が放送された影響もあり、中学校1年生の時に三国志を読みました。
最初は日本の八犬伝真田十勇士だったのですが、中国の物語に移っていきました。八犬伝は完全に水滸伝を基にした話ですので。最近の人は三国志から水滸伝という人も多いのですが、当時はまだ三国志水滸伝はメジャーではなかったです。僕はその逆で、水滸伝から三国志に入りました。

NHK DVD 人形劇 新・八犬伝 劇場版

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水滸伝 完全版 全10巻 DVDBOX

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僕が育ったのは岡山の田舎なんですが、本屋さんもかなり少なく、なかなか三国志の本が取り扱っていなかったです。今ではどこ行っても、岡山でも三国志は売っていますが、当時は全然なかったです。六甲出版と講談社から文庫本と箱入りで3冊、吉川英治さんの三国志が出版されていました。僕は巻が抜けていたりして両方買っていました。

六甲出版の三国志は、旧仮名遣いや難しい言葉で書かれていて、非常に読むのが難しかったんですが、もう夢中になって読みました。なので、僕にとっての「三国志」は正史や演義ではなく、吉川英治三国志なんです。ですから僕が描いている絵は、吉川版の三国志をイメージで表現しているんです。最初なんて黄河にお茶を求めて佇んでいる劉備玄徳のその姿から始まりますし、張飛なんかもお姫様を助けて鴻家を再興する志のある人として登場しますよね。関羽なんか、寺子屋の先生として登場します。史実は違うと思うのですが、それが僕にとっての歴史となっていまして、(絵を見せながら)この「桃園の誓い(百花三国志:P8〜9)」の絵なんですけれども、実は一番新しい「桃園の誓い」の絵でして、今まで同じ構図で4回も描いているんです。描き直しとかなんですけど、一番最初に描いた時はもっと鮮明で、割と生々しい絵でした。時が経つにつれて、描く度にだんだんイメージが変わっていったんです。これは若い三人がこれから夢と志を持って世の中に出て行こうというシーンなんですけれど、それを眺めている自分(正子氏)が歳をとるにつれて徐々に距離をとっているんじゃないかなと思います。なので、これが僕の中の最近の「桃園の誓い」です。

次に有名なシーンを見て頂きます。これは「三顧の礼(百花三国志:P92〜93)」の二回目です。非常に有名なシーンなので、映画とかドラマで再現されており、容易にイメージが湧くとは思います。しかし僕の描いた頃というのは、それらがなかったので、少年の頃に読んだ吉川三国志のイメージで、それを描いきました。事実とはちょっと違うと思うのですが、自分の中ではこういうイメージだったんです。吉川英治先生のすごいと思うのは、読んでいると登場人物の表情や仕草が思い浮かんでくるのです。吉川英治先生は本当にいい小説家さんだと思います。ビジュアルに関しては、全くなかったというわけではありませんでした。当時、僕はまだ連環画というものは手に入れていなかったのですが、歌川国芳や歌川豊年がたくさんの三国志水滸伝の名場面を描いており、日本風ですが随分と参考にはなりました。僕は浮世絵の三国志の作品は好きなのですが、ただ自分の求めていたものとは違ったのです。

昔は漫画家になりたくて、絵描きになるとは思っていなかったです。今も漫画家になりたいと思っているんですけれど。そのため、漫画家の先生のところでずっと修行をしていました。ある時、光栄の方に三国志を題材にした漫画の1コマを見せ「これを挿絵に使わせて貰えないか」と言われコマを載せたのですよ。それからいつの間にか漫画ではなくイラストを描くようになりました。自分が見たい絵というか、他の方もきっと見たいと思う様な絵を描き始め、今もそれで描き続けています。どういうものを人が求めていて、何が良いか悪いか分かりません。自分が子供の頃はこういうものが見たかったというものがありますから、子供の頃の自分に向けて描いています。

他の誌からの批判からの不安はありますし、参考にはします。ただ全てを聞く訳にはいきませんし、自分で納得すればそれを取り入れることもあります。特に好きになったのは中国の方の反応です。中国の方がこれらの絵を見てどのように思うのかなと、よく日本のものを外国の方が描いたら、違和感があるじゃないですか。同じように中国の人がそう重ているのではないかと、不安でした。水滸伝を描いている時に、嬉しいことに中国の方からファンレターを頂き、その後中国より本の表紙の依頼があったりしました。その時は日本の武士のようだと言われこともあり、それを僕はこんなイメージであると伝えたら、相手より意見を尊重しますと言われ、そのまま修正されずに載せてもらったことがあります。中国の有名な映画監督である陳凱歌(チェン・カイコー)が僕を探して欲しいと頼まれ、映画に参加することになりました。そういうこともあり、とても自信を持てるようになりました。ただ中国の方から見てやはり思っているものとは違うとは思うのですが、最近は日本の三国志のイメージが中国の方に逆輸入されているようです。

次にいきます。これは赤壁前夜(百花三国志:P98〜99)の絵です。赤壁よりも前の日の異様な気持ちの高ぶりや、張り詰めた空気、歴史が動く直前を表現したかったんです。ある方がこの絵を見て、「岩までも子師が吠えているようですね」と言ってくれたのですよ。曹操の馬の下の岩は隠し絵のようにして、本当に子師が吠えているように描いたんですが。これは自然や空気が一体となって、生命の輝きを放っている様なものを感じてもらいたかったんです。わからなくても何となく感じてもらえればと思って描きました。イラストレーターという職業は、通常依頼があって絵を描くのですが、僕は今までにイラストレーターと名乗ったことがないです。ずっと「絵巻作家」と言ってまして、誰かに頼まれなくても自分で絵を描きます。昔は仕事があるわけではないので、時間がある限り自分の好きな絵を描いていました。これも一人ひとり人物を描き、完成後に何度か手直しもしていますので、2週間以上は掛かったと思います。今だと依頼があっても描ける絵ではないです。また奥の細かい人物までしっかりと描いています。この頃はまだCGではなかったんですよ。エアブラシというもので描いておりまして、絵自体はこれほど大きくないです。(身振りをしながら)こんなものですかね(500×1000くらい)。僕の赤壁の戦いのイメージは曹操の全盛期であったり、彼が赤壁前夜に詩を詠むことです。どうしても赤壁というと劉備孫権の連合軍側をイメージしてしまいがちですが、曹操が思い浮かんでしまいます。この後は孔明が登場したりしていろいろありますけれども赤壁前夜ということで曹操を描きました。今回は用意していないのですが、この絵は漫画の様な形になっておりまして、この前にもう1コマ、曹操の横顔をアップにした絵(百花三国志:P97)があるんですよ。それをずっと引いて、この絵になるんです。

さて「三国志の武将では誰が好きですか」という質問ですが、これはいつも聞かれる質問ですし、三国志が好きな方に必ず聞く質問です。三国志にはたくさんの人物がいてるので、皆さん好きな人物が違うんですよね。僕は吉川英治先生の三国志から入りましたから、どうしても蜀贔屓になってしまうんです。僕の中では劉備関羽張飛がいないと三国志ではありません。3人ともそれぞれ僕は好きです。どちらかと言うと、知り合いになりたい、僕も仲間になりたいです。僕なんか何の知識もなく三国志を読み始めましたから、関羽が死ぬなんてあり得なかったです。関羽が死ぬところを読んだ日には、すごいショックで食事が喉を通らなかったです。彼が死ぬことはウルトラマンゼットンに倒されたくらいショックなことでした。関羽が死んじゃうのに、それでもまだまだ三国志には続きがあるんですよね。その先、悲しくて読めなくなるんですよね。他の好きな人物が、窮地に立った時に怖くてその先が読めなかったです。例えば趙雲が北伐の際、窮地に陥ります。そこで石に腰を掛け、月を眺め「天、ついにここに死を下し給うか」と言うんです。いわゆる死亡フラグというやつですね。もう先が読めなくなってしまって、何ページか先を読んでから、趙雲が生きていることを確認して続きを読み直すんです。それは今でもよく覚えています。趙雲は、戦死ではないんですよね。三国志演義ではそこ件が「一迅の風が吹いた」と素敵な表現がされており、趙雲というと「一迅の風」というイメージで、もうとても大好きな武将です。僕が当時から、趙雲が好きで夢に出てきています。僕と親しい趙雲がの目の前に大勢の敵の軍勢がいて、一緒にその軍勢の中に馬で走り駆けて行く、という夢をいつも夢見るんですよ。風が頬にあたり、それがとても気持ちよくて、これは夢じゃないやと思うんです。まぁ夢なんですがね。空を飛ぶ夢もよく見るんですけれども、それと同じ位気持ちいいんです。

次の絵は張飛ですね。見て頂く通り「長坂橋での仁王立ち(百花三国志:P96)」なんですけれども、非常に漫画チックに描いています。本当はこんな風ではないはずなんですが、敵の視点から見ると、こんな風に見えたのではないかなと、橋とかの比率からしても、ものすごくでかく描いているんですよ。周囲には血の様な葉っぱが舞ったりして見えたのではないかなと思います。実際に僕が小説を読んだ時には、この様なイメージを持ちましたので、これも漫画のようにコマ割りがしてあった、そのうちの1つのシーンなんです。

では次は馬超(百花三国志:P24)ですね。馬超は若い獅子というイメージで、たてがみを付けたんです。日本には白熊(ハグマ)を付けたものはありますが、中国の兜にはそれは付いていないんです。この馬超のイメージは歌舞伎の連獅子でそれを付けました。この馬超は作家としては食指を動かされる人物で、僕もこの人を主役にした漫画のストーリーを考えていたんですよ。日本の人物だと山中鹿之助や尼子十勇士の様な人物にしたいんです。吉川三国志馬超には八人の旗本が配下に登場します。それが山中鹿之助と彼の配下の尼子十勇士と重なり、イメージが割と合うんです。鹿之助が強敵の毛利に挑むように、馬超は強敵の曹操に挑む。そういうところが真っ直ぐで好きなんです。現実にはこの様な馬の動きはありえなくて、ただ動きを表現したくて、僕はこの様な不安定な感じは自分の絵ではよく用いるんですよ。普通は安定した絵をみなさん描くのですが、僕の場合は倒れそうな感じや、逆三角形の構図をよく使います。躍動感や時間を切り取った感じを出したいんです。頭の中では形を考えるのではなく、描いているうちに決まっていきます。馬の骨格からするとおかしいです。それは知りながら描いているので、首もこんな風には曲がらないですし、ただ見たときに迫力やインパクトを出したいんです。

諸葛亮(百花三国志:P30)の絵ですね。諸葛亮三国志の中でも、絵の依頼が非常に多い人物なんですね。ですから、同じ様な絵を描いてもつまらなの、様々な絵を描かせてもらっています。特にこの絵は象に乗った変わった絵で、南蛮に行っているので関係ないことはないのですが、実は乗っていたのではないかなと。僕は常々、人物を描く時には1枚で描きたいんです。たった1枚で、その人の全てを表現したいと思っています。なかなかそういうことは難しくて、諸葛亮なんかは難しい人物ですね。一番難しいのはやはり曹操ですかね。でも依頼があればいつも断ることが出来ませんし、色々と工夫をして、自分の中で考えながら描くようにしています。次ぎ諸葛亮を描く場合は、その時にならないと、どのような絵を描くか分からないです。三国志に関しては描きたいものをほとんど描いてしまったと自分で思っています。孔明も自分の中ではある程度描いてしまっています。次ぎ描いても、同じ様な絵を描いてしまいちゃいそうです。孔明に対しての思い入れはあります。後半は孔明が主役と言ってもいいくらいですから、彼に対して感情移入というよりは、孔明から見た色んな人たちに感情移入をすることが多いですね。彼は立派過ぎると言うんですかね。本当にすごい人なんです。

僕は三国志を読んだ時期が丁度多感な時期で、人格を作る上で様々な影響を受けています。その頃に三国志を読んで一番変わったことは、友達の見方ですね。友達を関羽みたいな奴だとか、張飛みたいな奴だとか思って、その様な連中と付き合うことが多くて、昨日(3/23も武将画展を開いている岡山の方で、中学校の仲間が二十人位集まってくれたんですけれども、関羽張飛趙雲とかは友達にモデルがいます。僕の好きな武将は友達になりたい
タイプで、僕がなりたい人物は馬良(百花三国志:P38)です。白眉の語源になった人物で、多くの優れた人の中でも特に優れた人のことを白眉というのですが、彼は五人兄弟でその中でも馬良が最も優秀な人物だったんですね。「馬氏の五常白眉最も善し」という諺もあります。この人物は雲を置いた様な眉をしている、と吉川三国志に書かれています。実はシラミが混じっていたというのが本当のようなんですけれども。吉川三国志を読んだものですから、雲を置いた様な白い眉に憧れ、青山の美容室なら眉を染めてもらうことが出来るかもしれないと思い、そこを予約して行ったんですが、眉を薬で脱色すると目に入り失明する可能性があるため、実は日本では禁止されていたんですね。吉川晃司はやっているじゃないか、と言ったんですけれども、ロンドンでやったんですって。ロンドンまで行ってまで眉は染めれないのです。その時は髪だけでも白髪にしてもらおうかと思い、脱色してもらったんですが、髪質によって違う様で、僕の場合は金髪になり、非常に恥ずかしかったです。馬良の良さは、ビジュアルです。あまりでしゃばらず、優秀で諸葛亮も実力を認めたことです。あとは若くして亡くなったことです。もし夷陵の戦いで生きていれば、結果が少し変わったかもしれないですね。

次は徐庶(百花三国志:P28〜29)です。この人は母親思いであったり、諸葛亮を推挙したり、劉備の最初の軍師ということで人気がある人物なんですけれども、僕は最初に登場する場面で「かつては仁侠の徒であった。人のために仇を殺した」。それだけで大好きになりました。
次の絵も徐庶なんですが、この絵を描いた時は自分でも不思議な感覚があって、自分が出来る以上のものが出来たので、とても落ち着かなくて外へ散歩をしに行ったことを覚えています。今見るとたいしたことではないので、気のせいだったのかもしれないですけれども、僕がデビューをする前に、徐庶のフルカラーの漫画を描いておりまして、その一部を光栄の方が見られまして、挿絵で使って今に至るんですけれども、司馬遷の刺客列伝の荊軻をベースに、徐庶を主役に徐庶と名乗る前の話をを描いていました。未完成なので、いずれは完成させたいと思っています。

蜀以外の武将にいきたいと思います。これは呉の甘寧(百花三国志:P70)ですね。よく無双の甘寧とそっくりだと言われるんですけれども、無双ではないのですが実は8年前に同じデザインで甘寧の絵を描いておりまして、それまでの甘寧は将軍のような兜を被った絵を描いていたんです。種明かしをすると、タイトルが「真・三國無双」になる前の「三國無双」の段階で、僕のキャラクターデザインで3Dのアクションゲームを作りたいと光栄(現:KOEI)の偉い方から話がありました。他のゲームで使用されると困るので、著作権などの買取が条件でした。僕はそれは出来ないとお断りをしました。すると「誰かいい人を紹介してくれないか」と頼まれ、その時にCGで絵を描きたいので教えて欲しいと言う青年がうちによく遊びに来ていたので、熱心な彼に技術を教えてあげ、その人を光栄に紹介したんですよ。それが今をときめく諏訪原寛幸さんなんですよ。無双の件については彼から謝罪はあったんですけれども、ただ諏訪原さんが悪い訳ではなくて、光栄からの指定や指示があって同じ様なデザインになっているんです。他にも龐統であったり張遼徐晃とかも元々は僕のデザインなんですよ。後で光栄に指摘をしたら「その様な事実はない」「全然似ていない」と言われました。どうやら大人の事情が色々とあるみたいで、プロデューサーからはこっそりと謝罪はありましたけれども、光栄としては認められない様です。
次も甘寧です。先ほども言いましたけれども、普通はこんな風には描かれないんですね。将軍の様な出で立ちをしています。僕の中では海賊の様なイメージです。実際は河族で、腰に鈴を付けていた。鈴の音が聞こえると人が逃げていく程、恐れられていたんです。この人も仁侠の人で、そこらへんを広げ体中に鈴を付けたんです。中国では甘寧はこうではないんです。やはり普通の将軍でトランプや連環画とかにも普通に描かれており、銅像でさえも同様です。乱暴者だけれども非常に義侠心や勇気があり、この人も僕は大好きな人物です。

次に行きます。この絵は周瑜(百花三国志:P65〜66)ですね。これは先ほど少し話したんですけれども、中国の黒澤明と呼ばれている陳凱歌(チェン・カイコー)監督から依頼を受けて「PROMISE 無極」と言う映画で、クレジットでは衣装なんですけれども、実は美術もほとんど僕がやっています。その時に監督に三国志で好きな武将は誰かと聞いたんです。「周瑜」と監督が言ったんです。この周瑜のデザインをそのままその映画で、ニコラス・ツェーさんが演じられた敵役の無歓(ムカン)の衣装にアレンジをしていますが、使用しています。テレビでも放送することがあると思いますので、もし見る機会がありましたら、少し気にして下さい。

PROMISE (無極) [DVD]

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その監督の奥さんである陳紅(チェン・ホン)さんは中国で非常に有名な女優さんで、中国電視台の三国志貂蝉役だったんですよ。最近は中国で陳凱歌(チェン・カイコー)版三国志呂布貂蝉」というタイトルのドラマがあり、そのDVDになっています。あまり日本では知られていないと思います。その中でも陳紅(チェン・ホン)さんは貂蝉の役で登場します。僕は実は見ていなくて、監督からすぐに送ってあげると言われ、5年も待っているのですが、まだ届いていないです。

次ぎに行きます。これは二喬(百花三国志:P67〜68)です。これはどこのシーンを描いたという訳ではなくて、ただ単にイメージで二喬を描きました。この二喬の次ぎは小喬です。この絵は誰も見られたことがないと思うんですけれども、中国でゲームが出ることになって、僕のキャラクターで3Dにして、今度は権利は買取ではないという約束でした。これは3Dにするための基にする絵で今回初めて公開になると思います。こういう手のものが50点近くあると思います。これは分かる人はいないと思うんですけれども、馬雲碌というキャラクターで反三国志にのみ登場する馬超の妹にあたる人物で、これを知っている方はかなりの通だと思います。僕も描くまでは知らなかったです。
これは鮑三娘です。これは華関索伝という関羽の三男にあたる関索の妻で、この人も強かったんですね。鮑三娘という人物は中国の人にはそれなりに知られている人物で、銅像があったりします。中国各地に伝説が残っているんです。

これは甄氏で、曹丕の奥さんです。元々は袁紹の次男の袁煕のお嫁さんだったのを、袁紹を滅ぼした時に曹丕が奪ったんです。曹丕曹植が取り合ったりと、色々なエピソードを残した人物です。
次は男性です。これは賈詡です。非常に優れた面白い人物で、一番の策士だと思います。
次に行きます。呉の黄蓋です。ゲームから自分の許せるギリギリのアレンジを加えました。孫堅から使えた武将で、鉄鞭がこの彼のトレードマークです。
武将は以上です。

次は印象に残っているシーンをお話しようと思います。吉川三国志だけのシーンで、劉備が母親の為にお茶を求めて、1人岸辺に佇んでいるシーンです。僕はここから入りましたから、忘れられないシーンの1つです。次に古城の会で、離れ離れになった兄弟が古城で、再開して、趙雲が加わって持っているものが何もない、これからだという目標を持つんです。この後に裏切ったりする人物が何人かいたりするんですけれどね。
次は「五丈原(百花三国志:P120〜121)」です。これは実は漫画の様にコマ割りをしたシーン(百花三国志:P116〜119)があって、あそこ(イラスト上部)に飛んでいる鳥は、前のコマで諸葛亮が羽扇を天に投げるんですよ。それが徐々に鳥になっていくという、漫画のコマの様に繋がっているんです。画集には収録しているんですが、その時はこの鳥がいないんです。これはその後羽扇がないと孔明だと分からないので、描き加えました。その時の版番が人気があって売り切れてしまった様で、今回これを
大判の絵葉書にしました。これは「桃園の誓い(百花三国志:P123)」の様に見えますけれども、違うんです。初めから1冊目に三国志をまとめる時に、最後にこの絵を持ってこようとずっと思っていました。2冊目の画集の時に、やっと出現したというか、どこのシーンとか全然ないです。
3人とも歳をとっているんです。ひょっとしたら「あの世」の風景なのしれません。僕の頭の中にいつもあったイメージです。一番最初は「桃園の誓い」で始まって、最後にこの絵で締めるという僕の本の構成のイメージです。これで三国志については以上です。


正子公也氏のイラストの描き方について。
僕の師匠は寺沢武一先生で、コブラという作品を描かれた方で、僕はそこで10年程アシスタントをしていました。コブラのサイコ・ガンとか、クリスタル・ボーイの中身とか僕が描いていたんですよ。レディのお尻以外はだいたいを僕が描いていました。寺沢先生と言うと日本で初めてCGで漫画を描いた方なんです。すごく先進的な先生で、僕は絵は似ていないと言われるんですけれど、志は一番受け継いでいると自分では思っています。寺沢先生から直接CGを教わった訳ではないんです。当時のCGは今のCGはちょっと違ってまして、ドット絵みたいなものでしたけれども、当時はMacwindowsすら日本に入ってきてなかったんです。知っている方はいないと思うんですけれども、NECのPC100という機械で、先生は描かれておりまして、当時はま機材は高かったですし、データ入稿が出来ない時代でプリンタも白黒しかなかったですから、コブラなんか富士フィルムの写真プリントで写真をプリントして、その上に写植を貼ってそれを入稿していたんですね。それから二〜三年後にMacが日本に入り、フォトショップが開発され、僕も何とかやれるかなと思い、コンピュータの世界に入ったのです。

これは水滸伝水滸伝の行者「武松」なんですが、まず水彩に耐えれる紙に、黒に近いグレーの水彩鉛筆で下書きを行います。それで水に溶かしながら、要は輪郭をぼかしながら塗っていきます。その後に、必要であればペインズグレー単色で!回下塗りをします。それから何枚も何枚もマスキングをしていきます。次にマスキングをした箇所を顔や手など、まずは人物から塗っていきます。ペンタブレットのエアブラシを使って塗っていきます。僕は元々エアブラシを使って絵を描いていましたから、よく油絵や水彩を描く方は、全く絵柄が変わってしまうので、自分の絵に近付けることが出来ず、CGの移行が難しいんです。ところが僕はエアブラシだったのでやる手順が全く一緒だったので、非常に移行が簡単ですぐCGを描けたんです。最初の絵は、コンピュータの電源を入れるところから始めて2週間で仕上げました。僕にとってCGはただの道具に過ぎない感じですね。髪の毛なんかだとマスキングをしても綺麗に抜けませんから、それを1本一本描いていきます。アニメをご存知の方は分かると思うんですけれども、セル画のようなイメージでレイヤと言います。それを何枚も何枚も重ねていきます。下絵があり人物を塗ったものがありと重ねていくんですが、僕は1枚を描くのに、100枚から多いので300枚くらいレイヤをずっと重ねていって絵を仕上げます。これは虎の部分なんですけれども、虎の毛も1本ずつ描いていきます。今度は服の部分ですが、素材を貼ったり質感を出していく作業です。少し分かりにくいかもしれないのですが、帯の部分に細かい模様が入ったりするんですけれども、こういうものは描いていくのではなくて、フリー素材であったり、自分で撮った写真の布の部分であったり、岩肌であったり、そういうものを貼るような形で塗っていきます。なので不思議な印象を与えたりします。これは背景部分です。背景は別で描きます。それに人物を合わせていき、躍動感を出すために土煙も合せていきます。それから何層か重ねていき、全体の色合いを整えていきます。最期は拡大をしながら細かいところを修正し完成させます。この絵の場合ですと4〜5日かかります。
以上です。

今度三国志を描くときは、今までとは全く違う人物を描きたいと思います。



トークショー後に、正子氏による30名限定のサイン会が行われ、「桃園の誓い」のボードと持参した画集「百花三国志」にサインと固い握手をして頂いた。またサインを書いて頂いている時に、三国志では誰が好きなのか、どの様に三国志を知ったのか、三国志歴は何年なのかと質問され、それらの質問にお答えした。画集にも正子氏にサインを書いてもらうために、お見せすると大変驚いた様子で、発売年である2006年に絶版しており今では所蔵している人が少ないということを教えて頂き、これからも大切にして下さい。とおっしゃって頂いた。さらに忙しいにも関わらず、サイン会後に撮影まで快く引き受けて頂き、充実した濃厚な時間を過ごすことが出来た。とても感謝している。



龍闘野―三国志群雄伝 正子公也画集

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絵巻 三国志

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百花三国志

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