袁術七路攻徐州

袁術七路 徐州を攻む

ここに淮南の袁術は玄徳を攻めんとせしを、呂布轅門に戟を射て和睦せしめる。此の時曹操は宛城の張繍を伐たんと打ち立ちけるが、張繍はやくも降参しければ、張繍の亡き叔父張済の妻鄒靖氏をうばって、日夜酒色にふけりけりを張繍いかりて、夜討ちをなせしに宿直せし典韋はついに討ち死にしければ、曹操はおおいに歎き祠を建て、魂を慰めけり。また袁術孫策より預かりし玉璽を得てより、僭して帝位に即き嫡子を東宮とし、呂布が娘をめとりて好みをむすばんと申し送りしに、呂布かえって曹操に一味なしたれば、使いをきり殺しける。袁術おおいに怒り二十万の兵を起し、張勲を先陣とし、橋蕤は小沛にかかり、陳紀は沂都を攻め、雷薄は琅邪に攻め入り、陳蘭は碣石へ向かい、韓暹は下邳に峻山と七道より攻め寄すると沙汰しければ、それぞれ軍の用意をぞなしたりける。

袁術七路攻徐州

爰尓淮南の袁術ハ玄紱を攻めんとせしを、呂布轅門尓戟を射て和睦せしめける。此時曹操ハ宛城の張繍を伐んと打立けるが、張繍者やくも降参しけ連バ、張繍の亡叔父張済の妻鄒氏をう者つ天、日夜酒色尓ふけりけるを張繍いかり天、夜打を奈せし尓、宿直せし典韋ハつひ尓討死しけ連バ、曹操ハ於本ひ尓歎き祠を建て、魂を慰さめけり。又袁術孫策よりあづかりし玉璽を得てより、僭して帝位尓即き嫡子を東宮とし、呂布が娘をめとりて好ミをむ春者んと申送りし尓、呂布可へつ天曹操尓一味なし多れバ、使ひをきり殺しける。袁術於本ひ尓怒り二十万の兵を起し、張勲を先陣とし、橋蕤ハ小沛尓かゝり、陳紀ハ沂都を攻め、雷薄ハ琅邪尓攻め入り、陳蘭ハ碣石へ向ひ、韓暹ハ下邳尓峻山と七道ヨり攻寄春ると沙汰しけれバ、夫々軍の用意をぞなし多りける。