白門樓尓曹操斬呂布

白門樓に曹操 呂布を斬る

去る程に袁術は徐州を攻めしかども、玄徳の加勢にて散々に敗北をぞなしにける。また曹操張繍を打たんと打ち立ちけるに、袁紹都へ攻めのびぼると聞く。忙てふためきて兵をおさめて遷りければ、袁紹も引き退ぞく。ここに於いて曹操評議して、先ず呂布を討ってのち袁紹を攻めんと決し、小沛の玄徳方へ呂布を打つべき計を云い遣わす。此の時呂布は陳珪父子が曹操に内応するとは夢にも知らずありけるが、陳宮といえる軍師之を察知居ける。ある日玄徳より曹操への返簡をおくる使いを捉え呂布に告げしかば、呂布おおいに怒て小沛を攻めければ、玄徳防ぎがたく只一騎打っていで曹操に見え、ともに徐州へ向かい八方より攻めかけたり。此の時陳珪が内応にて徐州すでの乗っとられければ、詮方なく呂布は下邳の城に入りとても叶はじと思い、袁術方へ娘をおくり救いを乞わんと自から娘を背負いて、荊州へ走らんとせしが、遂に侯成・魏続と云う大将呂布が無慈悲なるをうらみ、ある夜呂布を計って生け捉りとなし降参す。曹操大いに喜び呂布が首を斬りたり、張遼其他の大将は皆降参す。陳宮も擒となりしが智謀絶倫の男なれば、曹操これを見方につけんとさまざまに利害を説き、降参なすべしと進めしが、陳宮もうしけるが「吾もとより御辺が不仁の心あるを知て捨て、今呂布を助けたるなれば、快よく打ちたるべしと首を伸べ、斬られければ諸人涙を流し、其の義膽を惜まぬ人はなかりける。

白門樓尓曹操呂布

去る程尓袁術ハ徐州を攻めしかども、玄紱の加勢尓て散々尓敗北をぞなし尓ける。又曹操張繍を打多んと打立ける尓、袁紹都へ攻の本ると聞。忙てふ多めきて兵ををさめて遷りけ連バ、袁紹も引退ぞく。爰尓於て曹操評議して、先づ呂布を討てのち袁紹を攻めんと決し、小沛の玄紱方へ呂布を打べき計を云ひ遣春。此時呂布ハ陳珪父子が曹操尓内應春るとは夢尓も知ら須ありけるが、陳宮といへる軍師之を察知居ける。一日玄紱より曹操への返簡ををくる使を捉へ呂布尓告しかハ、呂布を本ひ尓怒て小沛を攻めけれバ、玄紱防ぎが多く只一騎打ていで、曹操尓見へとも尓徐州へ向ひ八方より攻めかけ多り。此時陳珪が内応尓て徐州春で尓乗とら連け連バ、詮方なく呂布ハ下邱の城尓入り迚も叶ハじと思ひ、袁術方へ女めを於くり救ひを乞んと自から女めを負ひて、荊州へ走らんとせしが、遂尓侯成魏續と云ふ大将呂布が無慈悲なるをうらミ、或夜呂布を計つて生捉となし降参春。曹操大ひ尓喜び呂布が首を斬り多り、張遼其他の大将ハ皆降参春。陳宮も擒となりしが智謀絶倫の男な連バ、曹操これを見方尓つけんとさま〲尓利害を説き、降参な春べしと進めしが、陳宮もふしけるが吾もとより御辺が不仁の心あるを知て捨、今呂布を助け多る奈連ハ、快よく打るへしと首を伸べ斬連けれバ、諸人涙を流し其義膽を惜まぬ人ハなかりける。