黄檗宗法輪山 正明寺

最寄り駅の近江鉄道日野駅」より北東へ徒歩20〜30分程度の場所に所在する。周囲には大きな建造物が見られず、まさに田舎の真ん中にある寺院だ。


山門の前に設置されていた石板に正明寺の略縁起について紹介されていたため、以下に引用する。

黄檗宗法輪山正明寺 略縁起
 聖徳太子創建の伝承を持つ正明寺は、勅建寺の由緒を誇る日野渓屈指の名刹である。
 戦国の兵火に焼失後、僅かな霊佛のみが守護されていたのを、江戸初期に郷人頓宮宗兵右衛門が古刹再興を発願して奔走、時の大本山永源寺管長であった一絲文守国師に法援を懇請し、その旨が後水尾法皇に奏上されて叡慮を動かした。
 時あたかも改築中であった禁裡御所の一棟と白銀が下賜され、正保四年(一六四七)の頃に正明寺再建が成就、直ちに黄檗禅の大紱龍渓大和尚を開山禅師として迎え、以後、檀信徒を始め近江日野商人達の篤き帰依を得つつ、黄檗専門道場の寺格を整え、近江に於ける黄檗宗の中心寺院として歴史を刻み、数多くの名僧を輩出してきた。
 桃山建築の粋を凝らした檜皮葺本堂と、本尊千手観音菩薩像および二脇侍像が国の重要文化財に指定され、禅堂安置の大日如来像が県指定文化財であるなど、江戸時代初期に於ける黄檗禅の弘法と、その心を伝える数々の文化財を蔵し、佛法興隆の法燈を絶ゆることなく輝かせている。

今回は以下の個人ブログにて「宇治の万福寺の華光菩薩像を写したものではないか」と記述があったため、それを確認すべく訪問した。しかしあいにく住職さんが不在であったため、偶然居合わせた檀家の年配の男性より話を伺った。

秘仏のたのしみ/正明寺
http://blog.goo.ne.jp/jchz/e/3220590a6ecefdf3d0b36221f5b5ed48

さて上のページにも言及されている通り、本尊には千手観音像が、その脇侍には毘沙門天不動明王が安置されているそうだが、秘仏であるがゆえに、それらが納められているであろう厨子が本堂の祭壇中央部に置かれてあった。

右壇上には韋駄天像が、左壇上には華光菩薩像が安置されており、前者は剣を手に拝し合掌した姿の像で、像高はおよそ70cmほど。後者の像高も韋駄天と同じくらいであった。華光像の前には、鏡と表面には「南無伽藍聖衆菩薩」、背面には「弟子 道周喜捨」と彫られた牌が置かれていた。どうやら華光菩薩は伽藍聖衆菩薩として認知されているようだ。また黄檗宗寺院において華光や関帝が安置されている場合、達磨対にして配置されていることがほとんどであるが、珍しいことにこの寺には達磨像自体が置かれていないとのこと。

また華光の左手には金磚はなかったが、剥離痕は確認することができた。

住職より華光を安置する由縁や、関帝について等など、伺いたいことが多々あったが不在ということで叶わなかった。しかし華光像をこの目で確認できただけでも充分である。

【参詣日】
・2016年3月3日(木)
【寺院情報】
・建立年 不明
・本尊 千手観音像
・所在地 滋賀県蒲生郡日野町大字松尾