平話における馬岱について

三国志平話が成立した前に誕生したと考えられる『新刊全相平話三國志』こと通称『三国志平話』。今回はその平話に記載されている馬岱のシーンをピックアップする。なお翻訳するにあたり以下の資料を参考にした。

・全相平話二種画像・テキストデータ
https://web.archive.org/web/20080607132130/http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nikaido/pinghua.html
二階堂善弘,中川諭『三国志平話』KOEI,1990年
・立間祥介『新刊全相平話三國志潮出版社,2011年

却說曹相長安內外廳而坐、問衆官曰、「常記二年前、赴孤窮劉備入夏口、時有五千軍、尚不能捉、今授荊州有十三郡、軍有五萬、猛將三十員、無人可當。知文者有諸葛、知武者有關・張二將。」問衆官、「您怎生料敵。」有大夫賈詡、對丞相談、「有先君手內罷了的西魏州平涼府節度使、姓馬名騰、乃東漢光武手中雲將馬援九世之孫、馬騰有二子、長子馬超、字孟起、次子馬岱。軍人言曰、三個將軍、各有萬夫不當之勇。馬騰可料諸葛、馬超可料關公、馬岱可敵張飛。」
【『三国志平話』下卷 曹操馬騰

曹操長安の外庁に出向いて「二年前に劉備が夏口へ逃げた時は領土もなく軍勢が五千ばかりであったが、今では荊州十三郡を取り、五万もの軍勢と三十人もの猛将を抱え、敵う者もいない。知略に長けた諸葛亮に、文武が優れた関羽張飛がいる。どうすればいいだろうか」と官僚に問うと、大夫の賈詡が「西渭州平涼府の節度使馬騰がいて、彼は漢の光武帝配下の将軍・馬援の九世の子孫である。馬騰には子が二人おり、長男は馬超、字を孟起、次男は馬岱と言い、人々は『三人の将軍はみな万夫不当の勇士だ』と言っており、馬騰諸葛亮に、馬超関羽に、馬岱張飛に匹敵するでしょう。」

曹操來奏帝、詔往西魏州平涼府、節度使邊章・副將韓遂接使命入衙、請馬騰拜詔、讀罷詔書、送使命却還長安馬騰準備入朝。至夜、馬超告父、「因何不絓。」馬騰曰、「吾兒不聞先君手內十學士弄權、後有董卓弄權。不知曹操天下、斬斫不由獻帝、存亡皆在曹公。倘我入朝、曹公仁紱則一筆勾斷。倘若不仁、就死于帝都。」言二子。「書來喚你、當休入長安。倘若吾死、當殺曹操與我報仇。」來日天曉、馬騰上路、數日到長安、在永金禪院安下。第三日、出見帝、得舊職。馬騰謝了聖恩、御宴三日。
【『三国志平話』下卷 曹操馬騰

そこで曹操献帝に奏上し、詔を西渭州平涼府へと届けさせた。節度使の邊章とその副将の韓遂は勅使を迎え、馬騰を呼び出しその詔を受けさせ、勅使を長安へと帰らした。そして馬騰は朝廷へ入る準備を行った。夜になり、馬超は父に「なぜ喜ばないのか」と尋ねると、馬騰は「かつては十常侍が、その後に董卓も権力を欲しいままにしたのを知っているだろう。今では献帝ではなく曹操が諸侯の存亡を決めている。私が都へ行き、もし曹操に徳があれば問題はない。しかし不徳の人物であえば私は死ぬことになるだろう。」と言った。続けて馬超馬岱に「お前たちが都に呼び出されても行ってはならない。もし私が死んだら必ず曹操を討ち、仇を取ってくれ。」と言った。
翌朝、馬騰は出発した。数日後に長安に着き、永金禅院に泊まった。到着して三日目に、朝廷に赴き献帝に謁見し、献帝が復職することを許した。馬騰は聖恩に感謝し、三日間もの宴に参加した。


その後、馬騰曹操を除くべきだと献帝に訴えるも曹操の怒りを買い、その晩暗殺されてしまう。翌朝、曹操献帝馬騰が病死したと奏上し、馬騰を埋葬させた。

却說馬超馬岱二人、眠夢不安。使馬岱長安路上打聽消息、馬岱悶座、忽見僕人披頭而來、哭曰、「老太尉一家老小、皆被曹操使殺了。」馬岱歸說與馬超馬超痛哭無聲。
【『三国志平話』下卷 曹操馬騰

馬超馬岱は不吉な夢を見た。そこで馬超馬岱長安へ送り、様子を探らせた。馬岱は悶々と待っていると、彼の下僕が髪を振り乱し泣きながら「馬騰の一家は曹操に殺された」と告げた。馬岱は帰って馬超にこのことを話すと馬超は泣き叫び、やがて声も出なくなった。


その後馬超韓遂より一万もの兵を借り、曹操と対峙した(潼関の戦い)。そして馬超曹操軍に連戦連勝し、曹操も命からがらに逃げ続けるほどであった。

住數日、有一先生來見馬超、超問、「尊重何人也。」先生言、「是華山雲臺觀仙長婁子伯、特來獻一計與將軍、爲父報仇。」超曰、「願聞。」曰、「便馬岱將一萬軍、先入長安、救了獻帝、殺曹賊家族、然後殺曹賊未遲。」超曰、「此語特遠。大丈夫就勢殺賊、豈不爲便。」伯見超不伏、出寨。
【『三国志平話』下卷 馬超曹操

ある日、馬超のもとにとある人物訪れた。馬超は「あなたは誰だ」と尋ねると、その人物は「華山雲台観の仙人・婁子伯と申します。将軍に一計をお授けし、父の仇を報じさせるために参りました。」馬超は「是非、その一計を聞かせて欲しい」というと、婁子伯は「馬岱将軍に一万の兵を与え、長安へ向かわせ献帝を助け出すのです。そして曹操の一家を殺し、曹操を討つことにすればいい。」と伝えると、馬超は「その計略は回りくどい。偉丈夫たる者は勢いに乗じて賊を滅ぼすことは造作でもない。」婁子伯は馬超が聞き入れなかったため、彼の陣営を出た。

そして曹操のもとへ出向き、馬超を倒す献策をしたところ、曹操は喜んでそれを採用した。形成が逆転し曹操馬超を破り追撃したが、馬超張魯のもとへと逃げ込んだ。



流れを簡単に整理する。
曹操劉備を倒すため、馬騰馬超馬岱を配下に加えるべく懐柔しようとしたが、馬騰は警戒しついには殺されてしまった。父との約束を果たすために馬超馬岱曹操を攻めるが、連戦連勝で天狗になっていた馬超は婁子伯の献策を聞き入れなかったがために、曹操に惨敗することとなった。あの時、素直に聞いていればよかったものを…



おそらく馬超とともに活躍していたのではないかと思うが、残念ながらこれ以降は馬岱に関する記述はない。
さて、馬超を破った曹操であるが、馬超馬岱を討ち損じたことが最悪の結果を招くこととなった。それは関羽張飛と同等の評価をされていた彼らが、長年敵対する劉備陣営に参入することになるからである。一万人に匹敵する猛将が四人となるため、非常に脅威となるであろう。

三国志平話は講談師が聴衆に聞かせる歴史物語を文字化して、一冊にまとめたものである。基となる骨組みは同じであるが、講談師によっては内容を簡略化したり、時事ネタを突っ込んだり等のアレンジしていたものと考えられる。今でも歴史小説は人物が多くて名前や関係が覚えることができない、という声をよく聞く。登場人物を最低限にまで減らし、物語をより楽しめるように工夫していることも考えられる。

正史では馬岱馬超の父・馬騰の兄の子(従弟)として描かれているが、平話では馬騰の第二子、つまり馬超の弟と設定されている。また後世に誕生する演義とは異なり、馬岱馬騰や馬休・馬鉄とともにも入朝はせず、また商人の恰好をして生き延び、ドラマチックに馬超と再会することもない。だからこそ登場人物の息遣いさえ聞こえるように描かれた演義は面白い。

次回は演義に行きます!


三国志平話

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全相三国志平話

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