例のごとく今回も長崎市 編『長崎市史 地誌編仏寺部 下』(長崎市,1923-1925)より。福濟寺には関帝像ではないが、それにまつわる逸話が集録されている。
石兎馬の塑像があつた。いつも夜閑なるころほひ、この馬、数町の間を馳せ行くのを常とし、往々深夜に轡の音が聞ゆると云ふ噂が高かつた。而してこの事遂に木庵の耳に入りしが、木庵はこれ衆を惑すなりとて、如意をもつて石兎馬の面に一撃を與へた。而して石兎馬は竟に竹の破るるやうに裂けて了つた。その後は深夜に轡の音の聞ゆるやうな事はなかつたと云ふことである。
ここでは関羽の愛馬である石兎馬(赤兎馬)の伝承が残る。おそらく赤兎馬の石像だったため、石兎馬と表記されたのであろう。先日紹介した崇福寺の関帝像には、隠元の弟子・即非が殴ったという伝承があった。ここでは同じく隠元の弟子・木庵が殴ったという伝承がある。
・崇福寺「関帝像」の霊験 - 尚書省 三國志部
http://d.hatena.ne.jp/kyoudan/20170215/1487137325
明暦元年(1655)〜万治三年(1660)まで木庵が本寺の住持であったため、上記の出来事はこの5年間に起こったようである。
何か問題が起これば、力でねじ伏せようとする隠元門下独自の風習でもあったのだろうか。また直接手を加えることがこの当時の流行りであったのだろうか。他に例がないか合わせて探したい。
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