横山光輝『三国志』と生賴範義

様々な視点より現在進行形で横山光輝作品に関する研究が現在進行形で行われている。我々にとって馴染み深い作品といえば横山光輝三国志』である。

その研究の1つに清岡美津夫「横山光輝はなぜ官渡の戦いを描かなかったのかをめぐって」(『三國志研究』10号,2015)がある。この研究によって物語冒頭は吉川英治三国志』を底本に、また途中より『三国演義連環画』(上海人民美術社,1956〜1964)を参照に描かれたことが明らかとなった。


さて本題へ。
1971年12月に発売された『希望の友』1972年1月号(潮出版社)より横山『三国志』の連載が開始された。1971年11月に発売された同誌12月号に以下の告知が掲載された。

日中国交正常化する以前の資料がない時に描かれたため、劉備の冠や張飛の頭の装飾品など三国時代に存在しないモノが描かれてしまっている。


・「生褚範義展 THE ILLUSTRATOR スター・ウォーズゴジラを描いた孤高のイラストレーター」(2017年5月13日〜7月2日)
http://d.hatena.ne.jp/kyoudan/20170526/1495729612

昨日上の記事を作成するにあたり、生褚氏がこれまで手掛けた作品を調べている中で、手元の書籍に既視感を覚えた画を見つけた。それは『吉川英治全集 三国志』の箱に使用されていた画である。

この画の初出はいつなのかは未明であるが、先に揚げた告知絵と比較すると劉備の冠とそのデザイン、関羽の短い鬚と幘、張飛の額の装飾、構図等が同じである。

三国志演義連環画』を入手する以前、横山光輝は何を参考に『三国志』を描いていたのか?
当時日本で広く受容されていた『通俗三国志』系の作品に、前述した吉川英治三国志』であろう。それに加え吉川『三国志』に掲載されていた生褚範義の画もデフォルメして用いたようである。なお横山光輝と生褚範義との面識の有無や関係は未明。

生褚範義が描いた「劉備関羽張飛」図の初出がわかれば、幾度となく出版されてきた吉川『三国志』のどの版を横山光輝が参照したのか特定(最低でも限定)することができそうである。

他に例がないか今後調べたい。

続き
吉川英治全集 三国志』新聞広告(1966年7月19日〜10月29日) - 尚書省 三國志
https://kyoudan.hatenablog.jp/entry/20170604/1496543661