大興寺の関連資料の翻刻『山城名勝志』巻十三下 愛宕郡

大興寺に関する記述が残る文献において見落としや勘違い、語句等を誤認していないか確認と情報整理のため改めて見ていきたい。

まずは大島武好『山城名勝志』宝永二年(1705)について取り上げる。

芝薬師
号霊芝山大興寺。元在大宮西五辻南。今云芝薬師町。其後移京極一条。今又迁吉田山東真如堂傍。元天台今為禅宗東福寺末中譚月寂澄禅師延文元年十月十五日示寂。

芝薬師
号は霊芝山 大興寺。元は大宮の西 五辻の南に在り。今の芝薬師町と云う。其の後、京極 一条に移す。今また吉田山の東、真如堂の傍に遷す。元は天台、今は禅宗と為る。東福寺末中の譚月寂澄禅師、延文元年(1356)十月十五日示寂す。

縁起云、當寺薬師如来後鳥羽院勅願所。佛工運慶可銘安利て御長三尺五寸坐像一躯を造らしめ給不。叡山の如来ハ婦人登る事を許され春。三宮の為め尓禁闕の西乃方耳、四町四方の北を飛らき佛殿法堂庫裏僧塔山門鐘楼方丈等を建玉不。其後参議泛三位武蔵守源朝臣皈依甚握し。

縁起に云う、当寺薬師如来後鳥羽院の勅願所。佛工運慶が銘ありて、御長三尺五寸の坐像一躯を造らしめ給う。(比)叡山の如来は婦人登るる事許されず。三宮のために禁闕の西の方に、四町四方の北をひらき佛殿・法堂・庫裏・僧塔・山門・鐘楼・方丈等を建玉ふ。其の後、参議従三位 武蔵守源朝臣帰依甚握し。

關羽像在今當寺
同縁起云、尊氏卿或夜の夢尓女来告天云。今汝尓百戦百勝の術を教へん。大元國尓軍神を求天信仰春へしと。霊夢能ことく元朝尓求る尓、王関羽将軍能像を送良類。尊氏此寺乃傍尓安置し給不。

関羽像 今当寺に在り。
同縁起に云う、尊氏卿或る夜の夢に女来告げて云う。「今汝に百戦百勝の術を教えん。大元国に軍神を求めて信仰すべし」と。霊夢のごとく元朝に求めるに、王関羽将軍の像を送らる。尊氏*1此の寺の傍に安置し給う。

*1:なぜこの箇所は尊氏卿ではなく呼び捨てなのだろうか