大興寺の関連資料の翻刻『山州名跡誌』巻四

先日に続き今回は坂内直頼(白慧)撰『山州名跡志』正徳元年(1711)の記述を取り上げる。
『山州名跡志』は元禄年間(1688〜1704)に実地踏査を行い、神社・仏閣・名所旧跡の由来、縁起等を記したものである。当時の現状と古書の記載との相違を考証した結果が、随所に取り入れられている山城国研究の基本書だそうだ。

〇霊芝山大興寺 在迎称寺西 門南向 堂 宗旨 禅 本尊 藥師佛坐像三尺五寸 作 運慶 十二神立像三尺計 同作

〇霊芝山大興寺 迎称寺の西に在り。門は南向き。堂は同じ。宗旨は禅。本尊は藥師佛坐像三尺五寸 作は運慶。十二神立像三尺ばかり同作。

當寺ハ後鳥羽院勅願御建立ノ所也。佛師運慶ニ命ジ玉テ叡山中堂ノ藥師佛ヲ摸シテ令作玉フ處也。又御寄附ノ佛舎利ヲ安置ス。中比足利尊氏公當寺本尊ヲ信敬シ玉ヘリ。依御繁書。家臣師直ガ狀等今猶アリ。異國關羽將軍像アリ。是ハ尊氏公ノ軍神ニシして霊夢ヲ感得シ迎ラルヽ處也。當寺昔ハ伽藍魏々トシテ洛陽上立賣堀河西ニアリ。今尚號芝薬師町。其後京極今出川ノ南ニ移リ元禄五年炎上ノ後此地ニ移ス。

当寺は後鳥羽院勅願御建立のところなり。佛師運慶に命じ玉て、(比)叡山中堂の藥師佛を摸書(鎌倉・室町幕府の執権・管領が将軍の意を奉じて出した形式の文書)に拠りて、家臣の高 師直が状等、今猶あり。異国の関羽将軍の像あり。これは尊氏公の軍神にして霊夢を感得し迎らるるところなり。当寺昔は伽藍魏々として洛陽上 立売・堀河の西にあり。今尚芝薬師町と号す。其の後、京極今出川の南に移り元禄五年(1692)炎上の後、この地に移す。