聖天宮

2018年3月10日(土)〜11日(日)の2日間にわたって敢行した「北関東三国志ツアー」。そのレポートをいくつかの頁に分けて記したい。ツアーの概要については以下のまとめを参照されたい。

・北関東三国志ツアー - Togetter
https://togetter.com/li/1207807

さて北関東三国志ツアーその1。

埼玉県坂戸市東武東上線 若葉駅より東へ、歩くこと約20分。住宅や工場地帯を抜けた先に広がる田園地域に、極彩色の大型建造物が突如現れる。一瞬にして中国や台湾へ来たしまった…と錯覚を覚えてしまうほどである。この建物は国内最大級の道教施設「聖天宮」で、横浜の関帝廟媽祖廟よりも遥かに規模が大きい。

・五千頭の龍が昇る聖天宮 | 公式ホームページ
http://www.seitenkyu.com/map.html


なぜこの地にこのような施設があるのか。坂戸市と中国や台湾との都市が姉妹都市として、もしくは友好都市として関係があるのではないか、と普通は思うであろう。しかしながらそういった国際的な関係もなければ何一つ縁もないのである。
聖天宮のホームページやリーフレットによると由来は次の通りである。今回は後者より引用する。

聖天宮の建て主は康國典大法師。四十歳半ばにして藤の大病を患い、ご本尊「三清道祖」と演義をもたらされたのを期に一命をとりとめ、完治されました。深謝の念と、何人にも神様のご利益にあやかれるお宮を建てたくて建造の地を探していたところ、なんと生国の台湾ではなく日本国のこの地にとお告げを授かりました。聖天宮の名、佇まいや方角もお告げがあり、当時、正面の道、最寄の若葉駅もなかった雑木林のこの地を一から整地し昭和五十六年より着工に至りました。台湾の一流の宮大工を呼び寄せ、十五年を掛け、平成七年に聖天宮を開廟しました。

神様のピンポイント過ぎるお告げによって建てられたそうだ。とんでもない神様である。偶然にもバブル期と重なったこともあってか、広大な敷地にとんでもなくデカい箱を造ったのであろう。


聖天宮は天門・前殿・鼓楼・鐘楼・本殿・寿金亭を構えており、いたるところに施された龍の彫刻や塑像、彩画に壁画などが目に入る。横浜「関帝廟」では『封神演義』を題材にした像が屋根を飾っていたが、ここでは様々な道教神をモチーフにした像が並んでおり、まさにオールスター状態であった。外見が非常に似通った神仏も多いため、推測はできるが果たしてそれがそうなのか断定には至らない像ばかりであった。
その中でも比較的わかりやすい特徴を持った関羽像だけは何体か発見することができた。



左下に赤兎馬に跨る関羽


本殿には三清道祖元始天尊霊宝天尊道徳天尊)を本尊に、それらの前には等身大ほどの北斗・南斗星君、四聖大元帥が置かれる。残念ながら本殿内の神仏について解説した案内板には四聖大元帥のみと記すだけで、どれが誰なのか言及されていなかった。それぞれの持物や色等より考えるに、三清道祖に向かって左手前、左奥、右奥、右手前の順(時計回り)に殷霊官、馬霊官、趙元帥、そして温元帥であろう。この馬霊官はこのブログで度々取り上げている華光大帝(華光菩薩)である。これまで黄檗宗寺院の華光像しか目にしたことがなかったため、この姿を初めて生で目にできたため、新鮮に感じたとともに、胸が熱くなった。


本殿


本殿内部


本殿内を開設した案内板


王霊官像


馬霊官像(華光大帝)


趙元帥像(趙公明


殷元帥像

本殿を後にして続いては客庁内へ。そこには中華系のインテリアが飾られていたり、聖天宮のお守りや台湾のドリンクが入った自動販売機やペッパーくんが設置されていた。ペッパーくんはチャイナ服に身を包み、辮髪スタイルであった。かわいい!


ペッパーくん。残念ながら稼働しておらず…

そのペッパーくんのほぼ正面の位置に、手の込んだ素晴らしい彫刻の天板を張った円卓が置かれており、よくそれを見ると「三戦呂布」であった。おわかりいただけるだろうか。


「三戦呂布」卓。持って帰りたいほど細部まで作りこまれていた。

他には三国志曹植もとい装飾がないか鐘楼に登ったり、彩画や塑像を穴が開くほど鑑賞しつつ捜したが、先述した関羽像や三戦呂布卓だけしかなかった。他の道教施設は観光地となっているため喧騒としているが、聖天宮はそこにはない落ち着いた雰囲気の中で、まったりとお参りをしたり像等を鑑賞をしたりと非日常的な空間を存分に楽しむことができた。
「一番近い台湾」と宣伝に謳っていることだけはあるな、と次の目的地に向かう車内で実感が湧いた。


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