大興寺の関連資料の翻刻『日本輿地通志 山城志』巻第五

久々の更新です。
3月から生活環境が大きく変わり、1日の睡眠時間を計4時間確保することができるかどうか…要は多忙を極めていたことに因り、記事の投稿どころかネットサーフィンすることすらままならない状態であったが、ようやく落ち着いてきた。
まずは放置状態であった大興寺関連の史料の翻刻作業の続きを行いたい。


今回は関祖衡『日本輿地通志 山城志』 享保二十年(1735)の記述を取り上げる。
wikipedia等のネット事典に拠ると、『日本輿地通志』は江戸幕府による最初の幕撰地誌で正式名称は『日本輿地通志畿内部』である。当初は日本全国の地誌を網羅する予定であったが、山城・大和・河内・和泉・摂津の畿内五ヶ国のみとなってしまい『五畿内志』の略称で呼ばれる。
享保十四年(1729)から5年にわたり編纂され、享保二十年(1735)に刊行された。漢文で記された61巻からなり、明の地誌『大明一統志』に倣い国内各国の山岳や主要交通路、河川などを漢文で記す。

大興寺
舊在京師大宮五辻南芝藥師町。見薩戒記。再遷在此尚號芝藥師。寺記云 後鳥羽院建。有蜀關羽像。相傳源尊氏公所景仰。又有康永年間將家喜捨文。

大興寺
もとは京師 大宮 五辻の南 芝薬師町に在り。薩戒記に見えるにここに再び遷ってもなお芝薬師と号する。寺記が云うには後鳥羽上皇が建立した。蜀の関羽像を有す。源尊氏(足利尊氏)公が景仰する所と代々伝わる。また、康永年間(1342〜1345)の武家喜捨文を有す。