ちくま『三国志』誤訳について

王必について調べていると、『三國志』魏書 武帝紀(建安二十三年条)に引く『三輔決錄』注において誤訳を見付けてしまったので、備忘録として記事に。

三輔決錄注曰:時有京兆金禕字德禕,自以世為漢臣,自日磾討莽何羅,忠誠顯著,名節累葉。覩漢祚將移,謂可季興,乃喟然發憤,遂與耿紀、韋晃、吉本、本子邈、邈弟穆等結謀。紀字季行,少有美名,為丞相掾,王甚敬異之,遷侍中,守少府。邈字文然,穆字思然,以禕慷慨有日磾之風,又與王必善,因以閒之,若殺必,欲挾天子以攻魏,南援劉備。時關羽彊盛,而王在鄴,留必典兵督許中事。文然等率雜人及家僮千餘人夜燒門攻必,禕遣人為內應,射必中肩。必不知攻者為誰,以素與禕善,走投禕,夜喚德禕,禕家不知是必,謂為文然等,錯應曰:「王長史已死乎?卿曹事立矣!」必乃更他路奔。一曰:必欲投禕,其帳下督謂必曰:「今日事竟知誰門而投入乎?」扶必奔南城。會天明,必猶在,文然等衆散,故敗。,必竟以創死。

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建安二十三年正月甲子(218年1月6日)に起こった吉本の乱に関する注である。 乱が起こりその中で王必の肩に矢が当たるが、厳匡とともに乱を鎮圧する。そして「10日あまりして、王必は矢傷が原因で亡くなった」のだが、問題となる一文(赤字箇所)ではちくま訳では「その後十四日たって、王必はけっきょく矢傷のために死んだ」とする。

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ちくま『三国志』は概要や出来事などの流れを把握するため等、利便性の高いツールではあるが、たまにとんでもない誤訳や誤った解釈での意訳がされている場合があるので、それに留意して取り扱うべきだと改めて感じた。