鄧艾と剣

鄧艾について調べていたら面白い記述があったので以下に。

 

梁代までの英雄が所有した名刀・名剣について記した陶弘景『古今刀剣録』。そこに鄧艾の「刀」に関する伝承が記されている。

原文は「漢籍レポジトリ」の『欽定四庫全書子部九の『古今刀劍錄』と「中國哲學書電子化計劃」に掲載する『太平御覧』兵部七十七 刀下を参照した。

Kanripo 漢籍リポジトリ : KR3h0083 古今刀劔錄-梁-陶弘景

太平御覽 : 兵部七十七 : 刀下 - 中國哲學書電子化計劃

 

鄧艾年十二、曾讀陳太丘碑。碑下掘得一刀、黑如漆、長三尺餘。刀上常有氣凄凄然、時人以為神物。

 

鄧艾は十二歳の時、(陳羣の祖父である)陳寔の碑を読んだ。碑の下を掘ると漆のように黒い三尺余りもの長さの刀を手に入れた。その刀から常にとても冷えた気が立ち上り、当時の人々は「神物」だと言った。

 

この陳寔の碑について『三國志』では次のように記す。

 年十二,隨母至潁川,讀故太丘長陳寔碑文,言「文為世範,行為士則」,艾遂自名範,字士則。

三國志』魏書二十八 鄧艾傳

 

十二歳の時、母親と潁川に行き、陳寔の碑を読んだ。そこに「文は世の範たり、行ないは士の則たり」と記されていた。そこで鄧艾は名を範、字を士則とした。

鄧艾は名と字をこの碑から採用したほど大きな感銘を受けたのであろう。刀が発する冷気を感じたのか、少し埋もれていた碑文を読むためなのか、掘った理由は定かではない。が、他人の碑の下を掘っている彼を母親は制止しなかったのだろうか…

 

さて何らかの縁があり鄧艾は「刀」を入手した。正史等ではそれは登場しないが、鄧艾とどのような運命を共にしたのであろうか。