牛頸平野神社

福岡県大野城市牛頸に鎮座する平野神社は、平野神社京都市北区)を本社とする社で、地元では「牛頸神社」との愛称で親しまれている。ここには「三国志を取材した絵馬がある」という情報をかねてより得ていたが、地理的な問題もあり長年足を延ばせずにいた。

 

USHISUKEさん(@USHISUKE)さんよりお力添えいただき、ようやく昨年末に拝観できることとなった。

2019年12月28日(土)に黒崎の兀突骨さんでの忘年会後、29日(日)にまだ陽の昇らぬ早朝より、始発で鹿児島本線 黒崎駅から同線 南福岡駅まで移動。そこから車で平野神社へ向かった。ようやく周囲が明るくなり始めた7時頃に到着。

 

平野神社は、丁字路の牛頸交差点の突き当りに所在する。後述するように991年に分祀された由緒があり、大野城市の神社の中で最も古いと言われる神社。鳥居横に見える境内を大きく覆う御神木の大樟が非常に印象的だ。

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外観(一の鳥居・社号標・御神木)

 

境内には厳島社・菩薩堂・天神社・神殿・拝殿・忠魂碑・絵馬堂・奥宮などが構えており、鳥居や参道、神殿などは北東に向く。創建1000年を記念して2億3000万円の費用で総改築が行われ、1991年に落成したばかりのため、それらはいずれも外観は非常に綺麗に整備されている。

 

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二の鳥居

 

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社殿

 

さて平野神社の由緒は次の通りである。

平野宮由緒

 

祭神

本殿

 今木神 久度神

 古開神 比咩神(ひめのかみ)

奥宮

 大鷦鷯命(仁徳天皇

 

由緒

正暦二年(九九一年)京都平野神社の御分霊を筑紫の牛頸に勧請鎮祭する。大竜寺山山頂に奥宮として後に仁徳天皇を奉祀する。

本宮の平野神社延喜式名神大社二十二社の五位にして官幣大社。貞応元年(一二二二年)筑紫鎮護の祈祷料として御笠、筵田、志摩、肥前豊前社領を勅賜さる。

古代の牛頸は須恵器を伝え作った人々の邑であった。

 

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冒頭で記した絵馬は絵馬堂に見ることが出来る。絵馬堂には江戸時代~大正時代にわたり奉納された「西南戦争」「川中島の戦い」などを題材にした数々の大型絵馬が、堂内四面に渡された梁に掲げられている。その中に「三国志」を題材した絵馬が2点有する。今回はその1点を紹介したい。

 

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絵馬堂

 

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扁額

 

 

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伝「題名なし」
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この絵馬の右下には、ラミネート加工が施された解説文が掲示されていた。文中、不自然に全角スペースが用いられていたので、それもそのまま引用する。

三顧の礼

三国志』より(三顧の礼の場)

関羽 張飛を連れて 孔明 に会いに来た玄徳。孔明のいる柴門を入り内門のところで 孔明 に会いたい旨、手伝いの 堂子 に伝える 玄徳。孔明は今お昼寝中であることを童子から聞くと、関羽張飛を柴門の方に引き下がらせ、玄徳は内門のそばで 孔明の目覚めを待った。

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全角スペースが非常に歯痒い…

さてこの奉納絵馬に関して順に見ていきたい。大きさは縦1.1m、横1.6m。三国志ファンならお馴染みの「三顧の礼」の場面がモチーフとなっており、左より順に劉備関羽張飛童子諸葛亮の5人が色鮮やかに描かれる。

絵馬の右下には墨字で題字「三國志圖會内玄徳/■(而?)羽者雪■(出?)燕人張/飛風事ニ孔明ヲ訪」が記される。字は読めるものの、文章として成り立っていないため、正確に読解することができず。

また筆者の署名や落款を欠き、額の左右両辺には奉納者や奉納年月の記載がないため、奉納年や奉納者に関する詳細は未明。裏面に記されている可能性も否めないが、確認する術がなかった。

 

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題字

 

三國志圖會の内」とあるように、この絵馬は明治十六年(1883)に東京で刊行された月岡芳年の浮世絵「玄徳風雪に孔明を訪る」を模したものである。オリジナルと比較すると、全体的に線が太く、人物の表情はもちろん、髪の毛、衣服、小道具など模してはいるが、細部まで描ききれておらず、どうしても繊細さを欠いた印象を受ける。

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月岡芳年「玄徳風雪に孔明を訪る」

 

繰り返しになるが、上の浮世絵を基に描かれたであることから、この絵馬はよって明治十六年(1883)以降に描かれたと考える。

 

もう一点の絵馬は次回の記事で紹介したい。 こちらはかなり「トンデモ」な奉納絵馬でした。

 

〒816-0971

福岡県大野城市牛頸3丁目14

 

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