牛頸平野神社(2)

以下の記事の続き。

 

さて平野神社には月岡芳年「玄徳風雪に孔明を訪る」を取材した『三顧の礼』絵馬の他に、三国志関連の絵馬がもう1点奉納されており、同じく絵馬堂にて見ることができる。

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全体
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USHISUKEさんと比較

 

こちらの絵馬にもラミネートが施された解説文が掲示されており、次のように説明がされていた。

「通俗三國志」 制作 明治24年9月(1891年)

三国志』の中から四つの場面を抜粋した絵馬です。市内に残る絵馬の中ではもっとも大きく、色彩も豊です。以下それぞれ画に書かれている文章と説明( )内を書いています。

 

右上――『通俗、三国志 季儒並びに帝王何皇后に毒酒を進める図』

(絵では左から 袁紹 薫卓 紹蝉? 恊皇子とあります。後漢の逆臣 薫卓 が皇帝と皇太后に背き、ついに毒酒を飲ませて暗殺してしまう場面。絵馬の中の曹卓とあるのは「薫卓」の誤りではないかと思われる)

右下――『玄徳天地を祭して桃園に義を結ぶ図』

劉備 張飛 関羽の三人が『桃園の義盟』で義兄弟の誓いを立てている場面。向かって左から劉備 翼徳(張飛段珪関羽)と思われる)

左下――『玄徳 曹操に揣泰 韓逞?の首を見せている図』

(絵では左から曹操 薫卓袁紹 玄徳(劉備)下は張譲と首は陳横 張英の名が見える)

左上――『趙雲 孫夫人を嶋に流す図』

(絵では左から何太后雲長皇子下には段園?張譲の名がある)

※絵馬の中の人名は判然としないものがあります、誤りのある場合はお許しください

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解説文に気になる箇所が多々あるが、後ほどそれぞれの場面と合わせて順に触れていきたい。

 

この絵馬は縦およそ2.5m、横およそ3mもある大作である。額の左右の辺には「明治廿四辛卯年/九月吉日 胴元」と書き入れられることから、明治24年(1891)9月に平野神社に納められたようである。

先の絵馬は浮世絵を参考に描かれたと触れたが、この絵馬は天保七~十二年(1836~1841)に刊行された池田東籬亭,葛飾戴斗 画『絵本通俗三國志』に掲載されている挿絵より、四つの場面が描かれる。それぞれの場面の近くには題字が、また絵馬の右下には描かれた年と署名「辛卯季秋/龍雲 画」が記される。

場面ごとに塗り分けるとこのようになる。

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署名 龍雲

 

左上(黄色)「季儒並びに帝王何皇后に毒酒を進める図」

楼閣上には人物が五人(左より順に無名、袁紹、無名(女性)、曹卓、恊皇子)、そこから落下する一人の女性(貂蝉)の計六人が描かれる。この場面は『絵本通俗三国志』初編巻之三「廃漢帝董卓弄権」 の挿絵が参照されおり、構図は共通するが人物の配置が変更され、また背景や欄干などの細部の描写が簡略化される。

題字横にこの絵馬自体の題「通俗三國志」が記されているが、解説文ではこの場面の題字と混同する。

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題字は「李儒并ニ帝王 何太后に毒酒を進むる圖」とあり解説文の題と異なる。題字を文字通り理解するならば、李儒と恊皇子が何太后に毒殺を謀るという意となる。劉協が李儒と結託すること自体どうかしているが、そもそもこの絵馬には何太后がいない。

『絵本通俗三國志』を基に題字を改めるならば「李儒 帝ならびに何太后に毒酒を進むる図」である。

またこの場面の登場人物は正しくは以下の通りである。

  1. 無名→李儒配下の兵士
  2. 袁紹李儒配下の兵士
  3. 女性(無名)→唐貴姫
  4. 曹卓→李儒
  5. 協皇子(劉協)→少帝 劉弁
  6. 貂蝉→何太后

 

右下(ピンク)「玄徳天地を祭て桃園に義を結ぶ圖」

お馴染みの桃園結義の場面。劉関張の三人が描かれるが、なぜか左より順に劉備、翼徳、段珪と名前が充てられる。先の解説文では「向かって左から劉備 翼徳(張飛段珪関羽)」と推測がされているが、宦官の段珪と誓いを結ぶのはともかく、どこから「段珪」という単語が出てきたのか不思議でならない。こちらも『絵本通俗三國志』初編巻之二「祭天地桃園結義」の挿絵が参照されていると思われる。しかしながら劉備のみ挿絵と容姿などが異なるため、他の通俗系の作品も併用して描かれたと考える。

f:id:kyoudan:20200816015152j:plain関羽張飛の像容や円卓の形状などが類似する
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この場面の登場人物は正しくは以下の通りである。

  1. 劉備張飛
  2. 翼徳→劉備
  3. 段珪関羽

 

左下(黄緑)「玄徳曹操に揣泰 韓遂が首を見せてる圖」

袁術の皇帝僭称と曹操張繍討伐(南陽の戦い)の間の物語。上列には七人(左より順に無名、曹操、曹卓、袁紹、無名、玄徳、無名)、中央部には陳横と張英の首、下列には三人(無名、無名、張譲)の計十二人が描かれる。「劉備曹操に揣泰と韓逞の首を見せている」が、披露している首級は陳横・張瑛のモノである。この二人はこの場面直前の孫策の江東平定の際(厳白虎戦の直前)にほぼ同時に登場する。解説文の「韓遂」は韓暹を読み誤ったものであろう。

こちらは『絵本通俗三國志』二編巻之三「曹操會兵伐袁術 参照元である。上の「桃園結義図」とのスペースの兼ね合いもあってか、ここでは右端の人物一人を中央部へ配置が変えられる。なぜか宦官の張譲の名前も出ており、段珪といい宦官が好きなのだろうか?

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曹操」と名前が振られる関羽。これには曹操もニッコリするだろう

 

この場面の登場人物は正しくは以下の通りである。ことごとく誤っており、ここまで来ると逆にすがすがしい。

  1. 無名 →劉備

  2. 曹操関羽
  3. 曹卓→張飛
  4. 袁紹→典満
  5. 無名→曹操軍兵士
  6. 玄徳→曹操
  7. 無名→曹操軍兵士
  8. 陳横(首)→楊奉(首)
  9. 張英(首)→韓暹(首)
  10. 無名→曹操軍兵士
  11. 無名→曹操軍兵士
  12. 張譲夏侯惇

 

左上(水色)「趙雲孫夫人を嶋に流す」

龐統定計取西蜀」と「曹操興兵下長江(魏公就任)」の間の物語。劉備と政略結婚をさせられた孫夫人が、呉へ劉禅を連れて帰ろうとする場面が描かれる。船上には四人の女性(うち一人が何太后)と雲長、皇子が、その右下には水に落ちる段圓と船上には張譲と二人の兵士、そして左下の小船上に一人の計十一人の人物が描かれる。ここでは『絵本通俗三國志』四編巻之九「趙雲截江奪幼主」の挿絵が基になっている。

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早々に物語を退場した何太后と、なぜかここでも張譲の名前が出ている。

この場面の登場人物は正しくは以下の通りである。

  1. 太后 →孫夫人
  2. 女性(無名)→孫夫人の侍女
  3. 女性(無名)→孫夫人の侍女
  4. 女性(無名)→孫夫人の侍女
  5. 雲長 →趙雲
  6. 皇子 →阿斗(劉禅
  7. 段圓 →周善
  8. 張譲張飛
  9. 兵士(無名)→張飛配下の兵士
  10. 兵士(無名)→張飛配下の兵士
  11. 兵士(無名)→張飛配下の兵士

 

これまで国内各地で掲げられている「三国志」を題材とした奉納絵馬を目にしてきた。管見の限りであるが、解説文も含め、人名のほとんどをこれほど盛大に間違えている絵馬はこれが初めての例である。間違い方が特殊すぎるため、制作した龍雲が三国志に疎かったのか、絵馬の依頼主が疎かったのか…ますます謎が深まるばかり。

 

内容が凄まじく、大きさも合わさり非常にインパクトの強い絵馬であった。USHISUKEさんと「あの場面は~」「あの人物は~」と様々な角度から考察しながら意見を述べ合っていたら、気付けば1時間が過ぎ。

 

今回は知識で何とかすることができたが、このような普通に鑑賞できない頭を使う作品には出合いたくないものである。もし福岡へ行かれる機会があれば、ぜひ平野神社への参詣していただきたい。

 

 

〒816-0971

福岡県大野城市牛頸3丁目14