「清水の舞台」で名高い清水寺は、先の八坂神社と同じく東山を代表とする名所のひとつである。寺伝に拠れば、由緒は霊帝の子孫と伝わる坂上田村麻呂によって宝亀九年(778)に清水山(音羽山)の中腹を拓き創建したと伝わる。かつては法相宗であったが1965年に離脱し、北法相宗として独立する。山号は音羽山。十一面観音菩薩像を本尊に祀る。
仁王門・三重塔
三重塔・経堂
境内には仁王門、西門、鐘楼、三重塔、経堂、本殿、奥の院などが置かれ、その多くが重要文化財に指定される。清水寺の「三国志」は本殿(礼堂)にて観ることが出来る。関羽を描いた奉納絵馬である。
本殿
清水寺の絵馬群は本殿内に掛けられており、先の八坂神社の記事でも触れたように、八坂神社の絵馬群とともに広く知られていたようである。やはり合川珉和,北川春成 画『扁額軌範』(文政二年(1819)序)にも清水寺の数々の絵馬が収録される。
清水寺の「三国志」も題名が今日には伝わっていないため、例によって今回も便宜上「仮題」を付けて以下に見ていきたい。
「馬上関羽図」
大きさは縦 1.8m、横 2.9m。礼堂内南側の梁部(礼堂の廊下を上がった真後ろ)に懸かる。
金地の大絵馬には赤兎馬に跨り青龍刀を提げる関羽が描かれる。管見の限り関羽を描いた奉納絵馬の中で恐らく国内最大の巨大な絵馬である。
北野天満宮や八坂神社をはじめとする寺社では、奉納された絵馬はいずれも絵馬殿や雨風に晒される場所に懸かることが多いため、退色や剥落などによって図様を失うことが多い。しかしながら清水寺の場合は、雨風どころか直射日光も当たらない場所に懸かっているため、退色や剥落に傷むや劣化はほとんど見えず、とても色彩が鮮明に残る。
「馬上関羽図」
関羽は例の如く緑の幘を被り、緑の袍を観に纏う。その下にはYを逆さまにしたテトラポットのような形状をした金属片が施された鎧(山文甲)が覗く。やはり「面如重棗,唇若抹朱,丹鳳眼,臥蠶眉」とあるように、この関羽も目尻が吊り上がり、眉は太く、長い鬚髯を蓄える。右手は青龍刀を提げ、左手で赤兎馬の手綱を引く。
赤兎馬は茶褐色の毛で表されており、鐙や鞍、杏葉など色鮮やかな馬具が装着される。他の絵馬で描かれる赤兎馬とは異なり、関羽に跨れているのではなく、躍動感のある姿で描かれる。
絵馬の右下部には墨書で「法眼周山門人/摂江田島甚蔵泰寛圖」と記され、そのすぐ下には朱文方形印が見える。法眼周山とは大坂画壇で活躍した絵師 吉村周山(1700~1776)で、彼の弟子の田島甚蔵泰寛による筆だと分かる。
その左下には「願主/大和屋弥一郎/同 長四郎/増屋平次郎/大和屋三十郎/伏見屋長二郎/万屋六兵衛/澤屋巳之助/越中屋三之助」と8名もの願主名が連なる。屋号が記されていることから、彼らは商屋であると思われる。関羽にどのような願いや想いを込めたのだろうか…
墨書(書名・願主)
左上部には「延享二年乙丑(1745)八月穀旦」、その下部には「宿坊正官目代慈心院」と記されていることから、1745年8月に上記8名の願主によって清水寺に奉納されたようである。
墨書(奉納年月)
墨書
堂内は本殿前に置かれた香炉の線香の煙が立ち込めやすく、また日が傾くと逆光になってしまうため、もし観賞や撮影をされる場合は遅くとも14時頃までには訪れるといいだろう。個人的には午前中に参詣されることを強く勧めたい。
※上の絵馬を撮影するために、後日再訪問しました。
撮影失敗例
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