以下の記事の続き。
藤森神社の参道を抜けて、そのまま南に直進することおよそ10分。距離にして700メートルの位置に、海寶寺が閑静な住宅地の中にひっそりと佇む。
黄檗宗の寺院で、山号は福聚山。三国志ツアー2日目初の寺院である。
山門
海寶寺は10mにもおよぶ伊藤若冲(1716~1800)晩年の水墨画の襖絵「群鶏図」で知られる非公開寺院で、観音菩薩像を本尊に祀る。本殿は西を向く。
本殿
その由緒は享保年間(1716~1736)に黄檗宗 萬福寺12代・
由緒
境内には豊臣秀吉の手水鉢や、「伊達政宗お手植え」と伝えられる樹齢約 400年の木斛の木があり、本殿内には彼の位牌が祀られる。
位牌(表面)
家紋 「仙台笹」
位牌(裏面)
さて海寶寺の「三国志」は、その本殿の左須弥壇上、白矢印部に見ることが出来る。
本殿 内陣
本尊
筆者や題は未明。首には瓔珞を下げ、右手には錫杖が、左手には宝珠を持つ地蔵菩薩を中心に、その左右には「武聖」として中華圏の寺廟などで祀られる岳飛・関羽が侍る姿を描いた掛け軸が懸かる。
掛け軸「地蔵三尊図(仮題)」
岳飛は赤系を基調とした戦袍に身を包み、右手には穂先が三叉状の「丈八鐵槍」*1を握り、左手は後ろに回す。
関羽は緑色の幘を被り、戦袍に身を包む。その右手には青龍刀を、左手には数珠を持つ。関羽の持物は青龍刀もしくは『春秋』の一方を手にすることがほとんどであるが、数珠を持つ姿で表されている関羽は、管見の限り初めてであり、特筆すべき点であろう。
「地蔵三尊図(仮題)」
やはり経年のためによるものか、全体的に色がくすんでしまっており当初の状態を想像することが難しい。また表装も含め全体的に折れやヤケ、汚れが目立つことが悔やまれる。
※原則、本殿内には立ち入る事が出来ず、また本殿内には照明の類がないため、正面開口部の自然光を頼りに鑑賞することとなる。本殿外からでは肉眼だとほとんど掛け軸が見えないため、単眼鑑や双眼鏡、デジカメなど望遠機能を有する道具をあらかじめ用意しておくことを強くすすめたい。
この桃扉前から頑張って見るしかない。
桃扉前から。デジカメをもってしても光量不足で鮮明に撮れない。
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