【告知】三国志研究会(全国版)第10回オンライン例会で発表します

今週7月10日(土)16時半より、龍谷大学竹内真彦教授が主催される三国志研究会 オンライン例会にて発表いたします!

今回は雷蔵関帝像について」と題しまして、大阪府の最南端の市である阪南市に鎮座する台湾系の新興宗教 真佛宗雷蔵寺さんにてお祀りされている関帝像についてお話いたします。

 

今回もフィールドワーク時に撮影した画像を交えてながらご紹介したいと考えてます。

 

 

三国志が好き」「三国志について知りたい」「三国志について語りたい」方であれば、どなたでも自由にご参加いただけます。また参加費や資料代など無料ですので、興味がある方はぜひご参加ください。よろしくお願いします!

 

詳しくは以下のサイトをご覧ください。

御香宮神社

以下の記事の続き。

海寶寺の西側、南北に横たわる国道24号線に沿って10分ほど南下すると、右手に石垣と白い築地塀が見える。続いての三国志スポットは御香宮神社である。

御香宮と書いて「ごこうのみや」と読む。初見では読めない名詞だ。

 

 

御香宮神社は国道24号線大手通りの交差点北西部に鎮座する。大手筋通りに面して窮屈そうに構える御香宮神社表門は、旧伏見城の大手門と伝わる。

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表門

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この表門の蟇股には中国二十四孝のうち4つの彫刻が施されている。向かって左より順に、孟宗、唐夫人、郭巨、楊香。うち孟宗は三国時代の呉の人物である。

 

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孟宗

真冬に筍が食べたいという母の為に、泣きながら掘っていたら雪の下から筍が生えて来た、というお話。

 

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唐夫人

歯がなく食べ物を噛む事が出来ない姑に自らの乳を吸わせ親孝行をした、というお話。

 

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郭巨

極貧にあえぐ郭巨夫婦は、母親が食を減らすのを見て、口減らしに赤ん坊を埋めようと決心し、山で穴を掘ると金のお釜が出てきた、というお話。

 

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楊香

山で虎に出くわして、楊香が「私を食べて父を助けて」と天に祈ったら虎はどこかへ行ってしまった、という話。

 

 

御香宮神社の由緒や創建などは未明。社伝によれば、はじめ「御諸神社」と称したが、貞観四年(862)に境内より香気漂う清泉が湧き出て、その水を飲むとたちまち病が癒えたため「御香宮」と賜り、以後、伏見の安産神として人々の信仰を集めた、とされる。

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由緒

 

本殿は南を向き、神宮皇后を主祭神に、仲哀天皇応神天皇などを祀る。境内には拝殿や本殿、能舞台、絵馬堂などを有する。御香宮神社の「三国志」は上述した表門の彫刻の他に、例に漏れずやはり絵馬殿でも見ることが出来る。

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本殿前(七五三の儀式が執り行われていた)

 

絵馬殿は境内奥の拝殿の東側にたたずみ、桁行四間、梁間二間、屋根は切妻造りの桟瓦葺で、建立は宝暦五年(1755)十二月と伝わる。藤森神社の絵馬舎と比べると、桁行が一間だけ大きく、北野天満宮のように所狭しと数多もの奉納絵馬を掲げる。その中に、関羽周倉が描かれた絵馬が見える。

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絵馬殿

 

七五三の撮影時期に参詣したため、境内各所でその撮影が行われており、絵馬殿ではその家族の休憩スペース兼荷物置き場兼機材の準備などが展開されていた。

 

関羽周倉図」

大きさは未明。縦1.2m、横1.8mはあろうか。全体的に酷く退色しているものの、はっきりと輪郭線が残っており、漠然とであるが関羽周倉の2人の姿は確認することが出来る。三国志好きでも、すぐに彼らだと判別が難しい状況である。

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関羽周倉図」

 

よく目を凝らしてみると、関羽は緑の幘、緑の袖口の袍を纏い、赤い卓子に右肘を預け、右手で髯をしごく。一方左手は左膝に置き、胡坐を崩したような恰好で座する。卓子の上に置かれる巻物は『春秋左氏伝』であろうか。この関羽は鎌倉~戦国時代の出家した武士のような印象を受ける。

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関羽

 

またその右後ろには鎧を身に着け笠形盔を被り、青龍刀を右手で握りって侍る周倉が描かれる。

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周倉

 

絵馬の右下部には筆者の号「■南」と号と思しき墨書が記される。落款や刻印はない。■部は擦れてしまっており判別することが叶わなかった。

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墨書

 

額上辺には右書きで「永代御神樂」、右辺には嘉永元年戊申(1848)四月吉日 取次伏見 吹田屋~/竹屋~」、左辺には「正月 五月/九月 十一月 京都 石川屋儀~/元~」と彫られる。

他の絵馬との配置の問題により、額面の文字を全て確認することが出来なかったが、この「石川屋儀~」とは瀧尾神社の「関羽周倉図」を奉納した石川屋儀兵衛その人であろう。意外な繋がりが見つかり嬉しいばかりである。

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右辺

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左辺

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瀧尾神社「関羽周倉図」

 

屋外に懸かる絵馬はどうしても退色や損傷など避けることが出来ない。ここの絵馬殿にも比較的新しい絵馬がいくつか懸かっていたため、どうやら古い絵馬は降ろされているようである。この「関羽周倉図」もある日突然…という可能性はゼロではないため、拝観できなくなる前に、是非とも鑑賞していただきたい一枚である。

 

 〒612-8039

京都府京都市伏見区御香宮門前町174

 

『三国志 趙雲無双伝』入手

6月2日(水)にリリース・レンタルが開始となった映画『三国志 趙雲無双伝(原題:趙雲傳之龍鳴長坂坡)』のDVDを入手しました!

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本作は2020年11月6日(金)より中国で公開された叶青云 監督による映画で、原題で分かるように、演義の名場面の1つ「長坂の戦い」における趙雲の活躍が原案になっています。あらすじ、キャストは以下の通りです。

 

曹操軍83万 vs 趙雲の決戦! !
後漢末期。丞相の曹操は、劉備らと呂布のいる下邳城を包囲していたが、赤兎馬に乗る呂布に苦戦していた。だが、貂蝉と酒に溺れる呂布張遼に裏切られ、敗れてしまう。
その頃、趙雲の故郷の趙家村が曹操軍の兵によって襲われ、趙雲は惨殺された家族や村人の仇を討つも毒矢を受けて気を失ってしまう。
だが偶然にも劉備の妻、糜夫人に助けられた趙雲は、恩義を感じ劉備と共に行動をすることに。
北を統一した曹操は宿敵となる劉備を追い南下する。83万の曹操軍から逃げる劉備軍だったが、途中、夫人と嫡子の阿斗が敵軍に追いつかれてしまう。趙雲はふたりを救うため、関羽から借り受けた赤兎馬に乗り、単騎で引き返すが、夫人はすでに絶命。
だが、傍に赤子の阿斗を見つけた趙雲は、阿斗を胸に抱えながら、赤兎馬を駆るが曹操率いる83万の軍勢に囲まれてしまう。

【出演】

梅洋(趙雲)、王韜(呂布)、于彦凱(曹操)、沈雪煒(劉備)、葉新宇(関羽)、侯楽(張飛)、祝寿(張遼)、李倩倩(貂蝉)、他

 

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趙雲の映画…と言えば、2008年4月(日本では2009年2月)に公開されたアンディ・ラウ主演『三國志(原題:三國之見龍卸甲)』以来、およそ12年ぶりとなる映画です。

この映画は趙雲劉備に仕える以前から散る場面まで、彼の生涯にスポットが当てられています。全体的に泥臭く埃っぽい世界観に、 華やかさはないものの、堅実で無骨さもある渋くてカッコいい趙雲三国志好きについオススメしたくなるようなとても見応えのある作品でした。

 

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さて、本作は趙雲劉備に仕官する前から長坂での戦いまでが描かれており、『三國志』と比べると時系列的には短いものの、丁寧に『三国志演義』を取材をして描写や演出がされていて面白かったです。

ここ数年に公開された福田雄一 監督(2020)『新解釈・三國志』や姜炫亦 監督(2020)『三国志周瑜孫策~(原題:江東戦神少年周瑜』、回宇 監督(2018)『三国志黄巾の乱~(原題:魔國志之黄巾之乱)』といった映画と比べると、ぶっ飛んだ解釈や改変などがなく、かなり忠実に三国志三国志していたのもポイントでした。

 

個人的には『三国志演義』を読んでいれば、より広い視野で台詞や演出など細部まで物語が楽しめるかと思いました。また『軍師連盟』で印象的な高い壁の通路やあの場所やあの部屋なども映るので、ドラマも完走しているとさらに面白く感じるかと思います。

 

先の『三國志』とはテイストがかなり異なりますが、それにはない面白さや魅力が詰まっていますので、三国志ファンの方には是非とも楽しんでいただきたいなと思います。

 

日本のお家芸といいますか、邦題とメインビジュアルが説明的になりすぎてダサくなってしまうのは悪い文化ですよね…

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黄檗宗福聚山 海寶寺

以下の記事の続き。

藤森神社の参道を抜けて、そのまま南に直進することおよそ10分。距離にして700メートルの位置に、海寶寺が閑静な住宅地の中にひっそりと佇む。

黄檗宗の寺院で、山号は福聚山。三国志ツアー2日目初の寺院である。

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山門

 

海寶寺は10mにもおよぶ伊藤若冲(1716~1800)晩年の水墨画の襖絵「群鶏図」で知られる非公開寺院で、観音菩薩像を本尊に祀る。本殿は西を向く。

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本殿

 

その由緒は享保年間(1716~1736)に黄檗宗 萬福寺12代・杲堂元昶 こうどうげんちょう 禅師が創建した開寶寺がはじまりとされ、後に仙台藩 17 代当主・伊達政宗の伏見屋敷跡に移り「海寶寺」と改められた。

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由緒

 

境内には豊臣秀吉の手水鉢や、「伊達政宗お手植え」と伝えられる樹齢約 400年の木斛の木があり、本殿内には彼の位牌が祀られる。

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位牌(表面)

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家紋 「仙台笹」

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位牌(裏面)

 

さて海寶寺の「三国志」は、その本殿の左須弥壇上、白矢印部に見ることが出来る。

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本殿 内陣

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本尊

 

筆者や題は未明。首には瓔珞を下げ、右手には錫杖が、左手には宝珠を持つ地蔵菩薩を中心に、その左右には「武聖」として中華圏の寺廟などで祀られる岳飛関羽が侍る姿を描いた掛け軸が懸かる。

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掛け軸「地蔵三尊図(仮題)」

 

岳飛は赤系を基調とした戦袍に身を包み、右手には穂先が三叉状の「丈八鐵槍」*1を握り、左手は後ろに回す。

関羽は緑色の幘を被り、戦袍に身を包む。その右手には青龍刀を、左手には数珠を持つ。関羽の持物は青龍刀もしくは『春秋』の一方を手にすることがほとんどであるが、数珠を持つ姿で表されている関羽は、管見の限り初めてであり、特筆すべき点であろう。

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「地蔵三尊図(仮題)」

 

やはり経年のためによるものか、全体的に色がくすんでしまっており当初の状態を想像することが難しい。また表装も含め全体的に折れやヤケ、汚れが目立つことが悔やまれる。

 

※原則、本殿内には立ち入る事が出来ず、また本殿内には照明の類がないため、正面開口部の自然光を頼りに鑑賞することとなる。本殿外からでは肉眼だとほとんど掛け軸が見えないため、単眼鑑や双眼鏡、デジカメなど望遠機能を有する道具をあらかじめ用意しておくことを強くすすめたい

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この桃扉前から頑張って見るしかない。

 

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桃扉前から。デジカメをもってしても光量不足で鮮明に撮れない。

 

 〒612-0856

京都府京都市伏見区桃山町正宗20

 

*1:『宋史』巻三百六十五 岳飛傳に「居數日,復遇敵,飛單騎持丈八鐵槍,刺殺黑風大王,敵衆敗走」とあることから、持物として鐵槍が描かれると思われる。

陳莉莉(2021)要約訳

 今回は陳莉莉(2021)「京都大興寺関帝像について」(『東アジア文化交渉研究(14)』,pp.435 - 447,2021年3月31日)の論文の要約として掲載されている英文を訳してみる。該当論文は関西大学のレポジトリにてPDFが公開されており、以下より閲覧が可能である。

 

また大興寺像については以前拝観レポートを作成したので、詳しくは以下の記事を参照されたい。

 

The statue of Kantei at Daikoji Temple in Kyoto
CHEN Lili

The Kantei faith in China developed greatly during the Song-Yuan Dynasty, and the imperial court's posthumous rank became a "King" through the "Hou" and "public".

The form of Guan Yu has been fixed with the development of literary works such as storytellings, ghost novels, Yuan Zaju operas, Yuanqu, and novels.

Although the Yuan dynasty's Guan Yu paintings are slightly different in shape, the Danfeng eyes, Jujube face, and long beard is already established at this time.

However, the statue of the Kantei, which is said to have been handed down from the Chinese Yuan Dynasty, is different from this one.

The purpose of this paper is to, through the analysis of the Severnt God and those belongings, compare the shape of Kantei in Chinese Song-Yuan Dynasty,the depiction of storytelling in the works of literature and the statue of Kantei of the DaikoJi Temple, and to examine the image of the Kantei in the DaikoJi Temple, which is said to be
the oldest in Japan.

 

以下、ほぼ訳。

 

京都大興寺関帝像について

陳莉莉


中国の関帝信仰は宋元代に大きく発展し、歴代朝廷は関羽に「侯」や「公」、そして「王」位を追贈していった。

関羽の人物像は語り物や志怪小説、元雑劇、元曲、小説などの文学作品の発展とともに固定されていった。

だが元代の関羽の図像は像容は多少異なるものの、鳳眼や棗色の顔、そして長髯はすでにこの時代には定着している。

しかしながら、元朝より伝わったとされるこの関帝像はこれらとは特徴が異なる。

本論文の目的は、中国宋元時代の関帝の像容や、文学作品中の物語上での関羽の描写を比較し、日本最古と伝わる大興寺関帝の像容を検討することである。

 

要は宋元代の関羽の肖像などを利用して大興寺像を比較する、という旨である。

藤森神社

以下の記事の続き。

 

瀧尾神社を後にし、続いては藤森神社へと向かった。

藤森と書いて「ふじのもり」と読む。これは一発で読めない…

 

瀧尾神社の最寄り駅であるJR奈良線東福寺」駅から南に2駅下った「JR藤森」駅が最寄りで、そこから徒歩2~3分の所に鎮座する。東側には京都教育大学のキャンパスが広がる。

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一の鳥居

 

藤森神社の由緒は、社伝によれば神功皇后摂政三年(203)に、三韓征伐から凱旋した神功皇后が、藤森に武具などを納め、塚を作り、祭祀を行ったのが発祥とされる。

また菖蒲の節句が発祥とされており、菖蒲が勝負に転じて、勝運や馬の神さまとして競馬関係者や競馬ファンからも篤い信仰を集め、近年では刀剣乱舞鶴丸国永」の縁の地としても広く知られる。

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解説札

 

本殿は南を向き、祭神に素盞嗚命や日本武命、応神天皇神功皇后などを祀る。境内には本殿、拝殿、神楽殿、参集殿、宝物殿、絵馬舎、大小様々な社を有する。藤森神社も例の如く絵馬舎に「三国志」を観ることが出来る。

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拝殿

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本殿

 

絵馬舎は桁行が三間、梁間が二間の切妻屋根桟瓦葺で、境内参道の西側、社務所兼宝物館の正面に建つ。正徳二年(1712)頃に旧拝殿を改造したとも伝わるが、正確なところは不明である。現在は灰皿やいくつものベンチが並べられ、参拝者たちの休憩スペースに活用されている。

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絵馬舎

 

絵馬舎内外には大小様々な奉納絵馬が懸かっているが、近年納められた競馬関係の絵馬を除いては、全体的に剥落や欠損など保存状態はよろしくない古絵馬が混在する。また梁間には金網が張り巡らされており、鑑賞にはなんとか耐えうるものの、撮影には不向きであった。

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絵馬舎内

 

さて例によって今回も題名が不明のため、便宜上「仮題」を付けて以下に見ていきたい。

 

「馬上関羽図」

大きさは未明。縦 1m、横 1.5m はあろうか。緻密な描写で赤兎馬に跨る関羽の姿が描かれるが、八坂神社の「馬上関羽図」と同様に著しく退色しており、何とか関羽と認識することができるような状態である。おそらく一般の方からすれば、何が描かれているか検討すらつかないであろう。

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「馬上関羽図」

 

関羽は袖口や裾が黄色(当初は金色か)の袍に身を包んでいるが退色のため全体的に白い。右手に提げる青龍刀は消えてしまっているが、刃を呑む龍が描かれていたと何となく判別は分かる程度である。

一方赤兎馬は緑色で着色された馬具以外を残し、ほとんど消失する。近い将来、この関羽までも消失してしまうであろう。

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関羽赤兎馬

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青龍偃月刀

 

絵馬の右下部には署名の痕跡が見えるが「~人中」の 2 文字のみ確認することが出来たが、奉納年などのその他の情報は視認することが出来なかった。

京都市文化観光局保護課の調査に拠れば、墨書は「寺木■楽圖」「願主 当社御造営世話人方」「安永五年丙申(1776)八月」と記録が残る。

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墨書

 

先の瀧尾神社と同様に、あまりよろしくない状態のため、伏見稲荷や宇治方面へ足を伸ばされる際には、こちらも是非立ち寄っていただきたい。

 

 〒612-0864

京都府京都市伏見区深草鳥居崎町609

瀧尾神社

久々の更新です!

 

今回は以下の記事の続き。 

京都の寺社に現在も伝わる三国志の文物を巡る「京都三国志ツアー」。開催2日目の最初は三十三間堂東福寺の中間に鎮座する瀧尾神社へと向かった。

 

瀧尾神社はJR東福寺駅より北に徒歩の3分ほどの所に位置する。創建年や由緒は不明。天正十四年(1586)十月、豊臣秀吉方広寺大仏殿建立に伴い、当地に移ってきたと伝えられる。祭神に大国主命・弁財天・毘沙門天を祀る。

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一の鳥居

 

江戸時代後期になると、呉服商人の下村彦右衛門が行商の行き帰りに瀧尾神社に詣で、商売繁盛を祈願したと言われている。この商人こそが、現在の大丸百貨店の創業者その人であった。祈願の甲斐あってか商売繁盛した下村彦右衛門は、天保十年(1839)より境内の整備を行った。本殿や拝殿、絵馬舎、手水舎など一連の社殿が現在も境内にまとまって現存し、江戸時代後期の中規模神社の形態を知るうえで貴重な建築物として京都市指定有形文化財に指定される。

 

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解説札

 

本殿は「北山貴船奥院御社」旧殿を移建、一部改築したもので、その前に幣殿、拝所、東西廊が並ぶ。各社殿に施された豊富な彫刻装飾は、京都市内はもちろん関西でも非常に珍しい。

瀧尾神社の「三国志」は、境内の南西隅にたたずむ絵馬舎で観ることが出来る。

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拝殿

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本殿

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 絵馬舎

 

例によって瀧尾神社の「三国志」も題名が今日には伝わっていないため、今回も便宜上「仮題」を付けて以下に見ていきたい。

 

関羽周倉図」

大きさは縦およそ1.8m、横およそ1.3m。大丸に関する数々の絵馬が懸かる中、関羽周倉が描かれたこの絵馬が懸かる。

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関羽周倉図」

 

関羽は緑の幘を被り、金の鎧の上から雲の模様が施される白い袍に包む。右手には巻物状の『春秋』を、左手は左腿の上に置き、赤い椅子に腰掛ける。

その左側に侍る周倉は、やはり肌は浅黒い色で表され笠形盔を被る。袍は青が基調となっており、両手で青龍刀を抱く。

 

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関羽周倉

 

全体的に退色や板材が劣化してたわんでいるものの、大きな欠損はないようである。絵馬の右上部には「東居」と落款「梅川之印」が残る。この署名より梅川東居 (1828~1869)の筆と分かる。

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下から見ると板材がかなりたわんでいる…

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梅川東居の署名と落款

 

額の上辺には右書きで「奉納」、右辺には「嘉永二年己酉(1849)正月吉日 松榮講」、左辺には「油小路通山田町  石川屋儀兵衛」と奉納年および奉納者名が記される。

 

絵馬舎内に懸かる絵馬はいずれも剥落と退色が著しいものばかりであり、何とか鑑賞に耐えうる状態というのがまだ救いであろうか。今しか拝観することの出来ない1枚なので、京都へ観光などで足を運ばれた際は、是非とも瀧尾神社へ詣でてはいかがだろうか?

 

〒605-0981

京都府京都市東山区本町11丁目718

 

新年のご挨拶

明けましておめでとうございます!

 

昨年は時勢的なことにより様々な制限があったり、自粛の要請があったり、また新たな生活様式になった方も多々いらっしゃるかと思いますが、今年も皆様が心身ともに健康でありますよう心よりお祈り申し上げます。

 

今年の干支は丑年ですが、三国志で牛と言えば誰を思い浮かべますか?

やはり牛姓の牛金や牛輔たちでしょうか?それとも「二頭の牛」の詩を詠んだ曹植でしょうか?私はそんな彼らよりも、兵糧の運搬をする木牛をつい思い浮かべてしまいました。

 

昨年は曹魏が建国して1800周年の節目の年でしたが、今年は劉備が帝位について1800周年。さらに蜀漢が建国されて1800周年の年となります。昨年は大小問わず多くの三国志なイベントが延期・中止となってしまいましたが、本年は昨年よりも各地で三国志が盛り上げれることを期待したいです。

 

最後に私事ですが、この1年は昨年出来なかったことに挑戦するのはもちろん、新たに春秋時代についても理解を深めていきたいと考えています。

みなさま、本年もよろしくお願いいたします!

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九州三国志忘年会2020(2020年12月29日)

例年、年末に北九州市黒崎の居酒屋「兀突骨」さんにて実施している三国志忘年会。この1年は時勢的なこともあり2月頃から自粛や制限などの要請があり消化不良な年となってしまいました。仕事や家庭などの諸事情により今回は少数開催となってしまいましたが、そんな2020年を締めるべく今年も九州勢の方たちと短いひと時を過ごしてきました!

 

ともあれ、今年も例のごとく三国志な話題を肴に、新鮮で美味しい肉料理やお酒で酒池肉林となりました。やはり三国志に関する多種多様な話題が次から次へと俎上に登り、文字でまとめきれないほどの濃い内容だったと思います。正直いくら時間があっても足りないほどです…

 

さて今回は、忘年会でいただいた料理を順に触れていきたいと思います。

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昨年リニューアルされたお店の看板。看板を目にすると気持ちが昂ります!

 

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この光景をずっと見たかった!いざ、参らん!

 

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1品目「公孫瓚イナゴの佃煮」

先発はイナゴ。やはり久々に見るとインパクトがありますね…

呉範もといご飯が欲しくなってしまうような甘じょっぱく炊かれています。味はエビ。

 

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2品目「馬刺とダチョウの盛り合わせ」

左上より時計回りで順に馬刺し・馬のアキレス腱・ダチョウ・ダチョウの砂肝。あまり流通しない希少部位のアキレス腱に加え、ダチョウも登場!いずれも癖がなく、非常にあっさりとして食べやすい。

 

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3品目「カワハギのお造り」

脂の乗った白身は上品な甘さにコリコリとした食感。九州の甘めな醤油とも相性抜群!

 

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4品目「ワニの炙り」

炙られたナイルワニの肉は豚バラのような食感に、ササミのようなあっさりとしたたんぱくな味。ほのかに甘みもあり、塩コショウでより味が引き立ちます。 うまい!うまい!

 

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5品目「鴨のオレンジソース

鴨の旨味とオレンジソースの爽やかさがたまらない!口の中は南蛮とフレンチのツ―プラトン

 

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6品目「ホタテのバター焼き」

拳大の殻に鎮座する大振りのホタテ。プリプリの食感にあっさりとジューシーな旨味は反則的。

 

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7品目「半生鳥串焼き」

人生初の半生な串焼き梅ソースで。中が綺麗なピンク色のレアな鶏肉は、パサつかずもちもちとした食感。新鮮な鶏肉だからこその甘味と旨味が梅の香りと一緒に口いっぱい広がる。今まで経験したことのない不思議な感覚でしたが、かなり美味しかったです。

 

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8品目「鳥刺しの盛り合わせ」

左より順に鳥のたたき・皮・ハツ・レバー。甘めの醤油や塩コショウを加えた風味が豊かなゴマ油で。新鮮でどれもあっさりとしていて間違いない美味しさ。

 

 

冒頭でも記したように、みなさんの三国志な話題を肴に、上の新鮮で美味しい様々な肉料理に舌鼓をうちつつ、今年も兀突骨さんにて楽しく濃厚なひと時を過ごすことができました。

来年もまた、三国志が好きな方々と一緒に兀突骨さんにて酒池肉林を楽しみ、1年を楽しく締めたいです。

 

改めまして、こんな時勢にも関わらず今回ご一緒したみなさま、そして清水さんをはじめ兀突骨のみなさま、今年も本当にありがとうございました!来年もよろしくお願いします。

 

よい年をお迎えください!

 

〒806-0021

福岡県北九州市八幡西区黒崎1丁目13−7 栄町ビル103

 

妙見大菩薩妙見堂

以下の記事の続き。

 

「鳥辺山妙見堂」や「妙見大菩薩妙見堂」などと呼ばれる日蓮宗 智積院は、清水寺の南に広がる大谷墓地のど真ん中に鎮座する。本尊は妙見大菩薩を祀る。

その由緒は資料を逸したことにより不明である。当初は浄土宗観音寺であったが、享保六年(1721)に日體上人により日蓮宗に改宗したとされる。

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一の鳥居

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二の鳥居・本殿

 

境内は山門や御堂、妙見堂(本殿)、絵馬堂が並ぶ。南を向く本殿の西側には、清水寺の本殿と同じく舞台造りの絵馬堂が連なっている。

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絵馬堂・本殿

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絵馬堂

 

古くから妙見堂は名所の1つだったようで、元治元年(1864)に刊行された『花洛名勝図会』巻之七に当時の様子が描かれている。

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『花洛名勝図会』より

 

妙見堂の「三国志」は本殿に掛けられており、その後壁部に観ることが出来る。例によって題名が今日には伝わっていないため、今回も便宜上「仮題」を付けて以下に見ていきたい。

 

 

関羽図」

大きさは縦およそ 1m、横およそ 1.4m。卓子に左肘を預け、毛皮の上に座り『春秋』を読む関羽が描かれる。

やはりこの関羽も緑色の幘と袍に身を纏う。しかしながら深い緑色ではなくエメラルドグリーンのような明るい色で表されている。袖や肩口には鱗のような模様が見えることから、龍かなにかが袍に描かれていたと思われる。

顔は当然のように赤く、細く切れ長の吊り上がった目に、鳩尾あたりまで伸びる長い鬚髯を蓄える。特筆すべきは布袋尊のようなふくよかな腹部で描写されていることであろう。

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関羽図」

 

絵馬の左上部には右書きで「奉納」と彫られる。右側上部(関羽の左上腕の右側)には筆者の署名と落款が上下に2つ並んでいるのが確認できるものの、識別することができない。

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署名と落款

 

また左側には奉納年月を記した墨書が見えるものの、「文政」の二文字が何とか読める程度で、それ以降の内容は不明である。

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墨書。画像を加工してやっと一部が分かる程度の状態である

 

残念ながらこの「関羽図」は文政年間(1818~1831)に奉納された、ということ以外一切が未明であるが、他の寺社の関羽図には見えないユニークな姿で描かれているため一見の価値があると考える。清水寺へ参詣した後はこちらの関羽も是非会って欲しい。

 

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