藤森神社

以下の記事の続き。

 

瀧尾神社を後にし、続いては藤森神社へと向かった。

藤森と書いて「ふじのもり」と読む。これは一発で読めない…

 

瀧尾神社の最寄り駅であるJR奈良線東福寺」駅から南に2駅下った「JR藤森」駅が最寄りで、そこから徒歩2~3分の所に鎮座する。東側には京都教育大学のキャンパスが広がる。

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一の鳥居

 

藤森神社の由緒は、社伝によれば神功皇后摂政三年(203)に、三韓征伐から凱旋した神功皇后が、藤森に武具などを納め、塚を作り、祭祀を行ったのが発祥とされる。

また菖蒲の節句が発祥とされており、菖蒲が勝負に転じて、勝運や馬の神さまとして競馬関係者や競馬ファンからも篤い信仰を集め、近年では刀剣乱舞鶴丸国永」の縁の地としても広く知られる。

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解説札

 

本殿は南を向き、祭神に素盞嗚命や日本武命、応神天皇神功皇后などを祀る。境内には本殿、拝殿、神楽殿、参集殿、宝物殿、絵馬舎、大小様々な社を有する。藤森神社も例の如く絵馬舎に「三国志」を観ることが出来る。

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拝殿

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本殿

 

絵馬舎は桁行が三間、梁間が二間の切妻屋根桟瓦葺で、境内参道の西側、社務所兼宝物館の正面に建つ。正徳二年(1712)頃に旧拝殿を改造したとも伝わるが、正確なところは不明である。現在は灰皿やいくつものベンチが並べられ、参拝者たちの休憩スペースに活用されている。

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絵馬舎

 

絵馬舎内外には大小様々な奉納絵馬が懸かっているが、近年納められた競馬関係の絵馬を除いては、全体的に剥落や欠損など保存状態はよろしくない古絵馬が混在する。また梁間には金網が張り巡らされており、鑑賞にはなんとか耐えうるものの、撮影には不向きであった。

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絵馬舎内

 

さて例によって今回も題名が不明のため、便宜上「仮題」を付けて以下に見ていきたい。

 

「馬上関羽図」

大きさは未明。縦 1m、横 1.5m はあろうか。緻密な描写で赤兎馬に跨る関羽の姿が描かれるが、八坂神社の「馬上関羽図」と同様に著しく退色しており、何とか関羽と認識することができるような状態である。おそらく一般の方からすれば、何が描かれているか検討すらつかないであろう。

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「馬上関羽図」

 

関羽は袖口や裾が黄色(当初は金色か)の袍に身を包んでいるが退色のため全体的に白い。右手に提げる青龍刀は消えてしまっているが、刃を呑む龍が描かれていたと何となく判別は分かる程度である。

一方赤兎馬は緑色で着色された馬具以外を残し、ほとんど消失する。近い将来、この関羽までも消失してしまうであろう。

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関羽赤兎馬

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青龍偃月刀

 

絵馬の右下部には署名の痕跡が見えるが「~人中」の 2 文字のみ確認することが出来たが、奉納年などのその他の情報は視認することが出来なかった。

京都市文化観光局保護課の調査に拠れば、墨書は「寺木■楽圖」「願主 当社御造営世話人方」「安永五年丙申(1776)八月」と記録が残る。

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墨書

 

先の瀧尾神社と同様に、あまりよろしくない状態のため、伏見稲荷や宇治方面へ足を伸ばされる際には、こちらも是非立ち寄っていただきたい。

 

 〒612-0864

京都府京都市伏見区深草鳥居崎町609

瀧尾神社

久々の更新です!

 

今回は以下の記事の続き。 

京都の寺社に現在も伝わる三国志の文物を巡る「京都三国志ツアー」。開催2日目の最初は三十三間堂東福寺の中間に鎮座する瀧尾神社へと向かった。

 

瀧尾神社はJR東福寺駅より北に徒歩の3分ほどの所に位置する。創建年や由緒は不明。天正十四年(1586)十月、豊臣秀吉方広寺大仏殿建立に伴い、当地に移ってきたと伝えられる。祭神に大国主命・弁財天・毘沙門天を祀る。

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一の鳥居

 

江戸時代後期になると、呉服商人の下村彦右衛門が行商の行き帰りに瀧尾神社に詣で、商売繁盛を祈願したと言われている。この商人こそが、現在の大丸百貨店の創業者その人であった。祈願の甲斐あってか商売繁盛した下村彦右衛門は、天保十年(1839)より境内の整備を行った。本殿や拝殿、絵馬舎、手水舎など一連の社殿が現在も境内にまとまって現存し、江戸時代後期の中規模神社の形態を知るうえで貴重な建築物として京都市指定有形文化財に指定される。

 

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解説札

 

本殿は「北山貴船奥院御社」旧殿を移建、一部改築したもので、その前に幣殿、拝所、東西廊が並ぶ。各社殿に施された豊富な彫刻装飾は、京都市内はもちろん関西でも非常に珍しい。

瀧尾神社の「三国志」は、境内の南西隅にたたずむ絵馬舎で観ることが出来る。

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拝殿

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本殿

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 絵馬舎

 

例によって瀧尾神社の「三国志」も題名が今日には伝わっていないため、今回も便宜上「仮題」を付けて以下に見ていきたい。

 

関羽周倉図」

大きさは縦およそ1.8m、横およそ1.3m。大丸に関する数々の絵馬が懸かる中、関羽周倉が描かれたこの絵馬が懸かる。

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関羽周倉図」

 

関羽は緑の幘を被り、金の鎧の上から雲の模様が施される白い袍に包む。右手には巻物状の『春秋』を、左手は左腿の上に置き、赤い椅子に腰掛ける。

その左側に侍る周倉は、やはり肌は浅黒い色で表され笠形盔を被る。袍は青が基調となっており、両手で青龍刀を抱く。

 

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関羽周倉

 

全体的に退色や板材が劣化してたわんでいるものの、大きな欠損はないようである。絵馬の右上部には「東居」と落款「梅川之印」が残る。この署名より梅川東居 (1828~1869)の筆と分かる。

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下から見ると板材がかなりたわんでいる…

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梅川東居の署名と落款

 

額の上辺には右書きで「奉納」、右辺には「嘉永二年己酉(1849)正月吉日 松榮講」、左辺には「油小路通山田町  石川屋儀兵衛」と奉納年および奉納者名が記される。

 

絵馬舎内に懸かる絵馬はいずれも剥落と退色が著しいものばかりであり、何とか鑑賞に耐えうる状態というのがまだ救いであろうか。今しか拝観することの出来ない1枚なので、京都へ観光などで足を運ばれた際は、是非とも瀧尾神社へ詣でてはいかがだろうか?

 

〒605-0981

京都府京都市東山区本町11丁目718

 

新年のご挨拶

明けましておめでとうございます!

 

昨年は時勢的なことにより様々な制限があったり、自粛の要請があったり、また新たな生活様式になった方も多々いらっしゃるかと思いますが、今年も皆様が心身ともに健康でありますよう心よりお祈り申し上げます。

 

今年の干支は丑年ですが、三国志で牛と言えば誰を思い浮かべますか?

やはり牛姓の牛金や牛輔たちでしょうか?それとも「二頭の牛」の詩を詠んだ曹植でしょうか?私はそんな彼らよりも、兵糧の運搬をする木牛をつい思い浮かべてしまいました。

 

昨年は曹魏が建国して1800周年の節目の年でしたが、今年は劉備が帝位について1800周年。さらに蜀漢が建国されて1800周年の年となります。昨年は大小問わず多くの三国志なイベントが延期・中止となってしまいましたが、本年は昨年よりも各地で三国志が盛り上げれることを期待したいです。

 

最後に私事ですが、この1年は昨年出来なかったことに挑戦するのはもちろん、新たに春秋時代についても理解を深めていきたいと考えています。

みなさま、本年もよろしくお願いいたします!

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九州三国志忘年会2020(2020年12月29日)

例年、年末に北九州市黒崎の居酒屋「兀突骨」さんにて実施している三国志忘年会。この1年は時勢的なこともあり2月頃から自粛や制限などの要請があり消化不良な年となってしまいました。仕事や家庭などの諸事情により今回は少数開催となってしまいましたが、そんな2020年を締めるべく今年も九州勢の方たちと短いひと時を過ごしてきました!

 

ともあれ、今年も例のごとく三国志な話題を肴に、新鮮で美味しい肉料理やお酒で酒池肉林となりました。やはり三国志に関する多種多様な話題が次から次へと俎上に登り、文字でまとめきれないほどの濃い内容だったと思います。正直いくら時間があっても足りないほどです…

 

さて今回は、忘年会でいただいた料理を順に触れていきたいと思います。

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昨年リニューアルされたお店の看板。看板を目にすると気持ちが昂ります!

 

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この光景をずっと見たかった!いざ、参らん!

 

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1品目「公孫瓚イナゴの佃煮」

先発はイナゴ。やはり久々に見るとインパクトがありますね…

呉範もといご飯が欲しくなってしまうような甘じょっぱく炊かれています。味はエビ。

 

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2品目「馬刺とダチョウの盛り合わせ」

左上より時計回りで順に馬刺し・馬のアキレス腱・ダチョウ・ダチョウの砂肝。あまり流通しない希少部位のアキレス腱に加え、ダチョウも登場!いずれも癖がなく、非常にあっさりとして食べやすい。

 

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3品目「カワハギのお造り」

脂の乗った白身は上品な甘さにコリコリとした食感。九州の甘めな醤油とも相性抜群!

 

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4品目「ワニの炙り」

炙られたナイルワニの肉は豚バラのような食感に、ササミのようなあっさりとしたたんぱくな味。ほのかに甘みもあり、塩コショウでより味が引き立ちます。 うまい!うまい!

 

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5品目「鴨のオレンジソース

鴨の旨味とオレンジソースの爽やかさがたまらない!口の中は南蛮とフレンチのツ―プラトン

 

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6品目「ホタテのバター焼き」

拳大の殻に鎮座する大振りのホタテ。プリプリの食感にあっさりとジューシーな旨味は反則的。

 

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7品目「半生鳥串焼き」

人生初の半生な串焼き梅ソースで。中が綺麗なピンク色のレアな鶏肉は、パサつかずもちもちとした食感。新鮮な鶏肉だからこその甘味と旨味が梅の香りと一緒に口いっぱい広がる。今まで経験したことのない不思議な感覚でしたが、かなり美味しかったです。

 

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8品目「鳥刺しの盛り合わせ」

左より順に鳥のたたき・皮・ハツ・レバー。甘めの醤油や塩コショウを加えた風味が豊かなゴマ油で。新鮮でどれもあっさりとしていて間違いない美味しさ。

 

 

冒頭でも記したように、みなさんの三国志な話題を肴に、上の新鮮で美味しい様々な肉料理に舌鼓をうちつつ、今年も兀突骨さんにて楽しく濃厚なひと時を過ごすことができました。

来年もまた、三国志が好きな方々と一緒に兀突骨さんにて酒池肉林を楽しみ、1年を楽しく締めたいです。

 

改めまして、こんな時勢にも関わらず今回ご一緒したみなさま、そして清水さんをはじめ兀突骨のみなさま、今年も本当にありがとうございました!来年もよろしくお願いします。

 

よい年をお迎えください!

 

〒806-0021

福岡県北九州市八幡西区黒崎1丁目13−7 栄町ビル103

 

妙見大菩薩妙見堂

以下の記事の続き。

 

「鳥辺山妙見堂」や「妙見大菩薩妙見堂」などと呼ばれる日蓮宗 智積院は、清水寺の南に広がる大谷墓地のど真ん中に鎮座する。本尊は妙見大菩薩を祀る。

その由緒は資料を逸したことにより不明である。当初は浄土宗観音寺であったが、享保六年(1721)に日體上人により日蓮宗に改宗したとされる。

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一の鳥居

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二の鳥居・本殿

 

境内は山門や御堂、妙見堂(本殿)、絵馬堂が並ぶ。南を向く本殿の西側には、清水寺の本殿と同じく舞台造りの絵馬堂が連なっている。

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絵馬堂・本殿

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絵馬堂

 

古くから妙見堂は名所の1つだったようで、元治元年(1864)に刊行された『花洛名勝図会』巻之七に当時の様子が描かれている。

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『花洛名勝図会』より

 

妙見堂の「三国志」は本殿に掛けられており、その後壁部に観ることが出来る。例によって題名が今日には伝わっていないため、今回も便宜上「仮題」を付けて以下に見ていきたい。

 

 

関羽図」

大きさは縦およそ 1m、横およそ 1.4m。卓子に左肘を預け、毛皮の上に座り『春秋』を読む関羽が描かれる。

やはりこの関羽も緑色の幘と袍に身を纏う。しかしながら深い緑色ではなくエメラルドグリーンのような明るい色で表されている。袖や肩口には鱗のような模様が見えることから、龍かなにかが袍に描かれていたと思われる。

顔は当然のように赤く、細く切れ長の吊り上がった目に、鳩尾あたりまで伸びる長い鬚髯を蓄える。特筆すべきは布袋尊のようなふくよかな腹部で描写されていることであろう。

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関羽図」

 

絵馬の左上部には右書きで「奉納」と彫られる。右側上部(関羽の左上腕の右側)には筆者の署名と落款が上下に2つ並んでいるのが確認できるものの、識別することができない。

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署名と落款

 

また左側には奉納年月を記した墨書が見えるものの、「文政」の二文字が何とか読める程度で、それ以降の内容は不明である。

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墨書。画像を加工してやっと一部が分かる程度の状態である

 

残念ながらこの「関羽図」は文政年間(1818~1831)に奉納された、ということ以外一切が未明であるが、他の寺社の関羽図には見えないユニークな姿で描かれているため一見の価値があると考える。清水寺へ参詣した後はこちらの関羽も是非会って欲しい。

 

〒605-0846

京都府京都市東山区五条橋東521

 

清水寺

「清水の舞台」で名高い清水寺は、先の八坂神社と同じく東山を代表とする名所のひとつである。寺伝に拠れば、由緒は霊帝の子孫と伝わる坂上田村麻呂によって宝亀九年(778)に清水山(音羽山)の中腹を拓き創建したと伝わる。かつては法相宗であったが1965年に離脱し、北法相宗として独立する。山号音羽山。十一面観音菩薩像を本尊に祀る。

 

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仁王門・三重塔

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三重塔・経堂

 

境内には仁王門、西門、鐘楼、三重塔、経堂、本殿、奥の院などが置かれ、その多くが重要文化財に指定される。清水寺の「三国志」は本殿(礼堂)にて観ることが出来る。関羽を描いた奉納絵馬である。

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本殿

 

清水寺の絵馬群は本殿内に掛けられており、先の八坂神社の記事でも触れたように、八坂神社の絵馬群とともに広く知られていたようである。やはり合川珉和,北川春成 画『扁額軌範』(文政二年(1819)序)にも清水寺の数々の絵馬が収録される。

 

清水寺の「三国志」も題名が今日には伝わっていないため、例によって今回も便宜上「仮題」を付けて以下に見ていきたい。 

 

「馬上関羽図」

大きさは縦 1.8m、横 2.9m。礼堂内南側の梁部(礼堂の廊下を上がった真後ろ)に懸かる。

金地の大絵馬には赤兎馬に跨り青龍刀を提げる関羽が描かれる。管見の限り関羽を描いた奉納絵馬の中で恐らく国内最大の巨大な絵馬である。

北野天満宮や八坂神社をはじめとする寺社では、奉納された絵馬はいずれも絵馬殿や雨風に晒される場所に懸かることが多いため、退色や剥落などによって図様を失うことが多い。しかしながら清水寺の場合は、雨風どころか直射日光も当たらない場所に懸かっているため、退色や剥落に傷むや劣化はほとんど見えず、とても色彩が鮮明に残る。

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「馬上関羽図」

 

関羽は例の如く緑の幘を被り、緑の袍を観に纏う。その下にはYを逆さまにしたテトラポットのような形状をした金属片が施された鎧(山文甲)が覗く。やはり「面如重棗,唇若抹朱,丹鳳眼,臥蠶眉」とあるように、この関羽も目尻が吊り上がり、眉は太く、長い鬚髯を蓄える。右手は青龍刀を提げ、左手で赤兎馬の手綱を引く。

赤兎馬は茶褐色の毛で表されており、鐙や鞍、杏葉など色鮮やかな馬具が装着される。他の絵馬で描かれる赤兎馬とは異なり、関羽に跨れているのではなく、躍動感のある姿で描かれる。

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関羽

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赤兎馬

 

絵馬の右下部には墨書で「法眼周山門人/摂江田島甚蔵泰寛圖」と記され、そのすぐ下には朱文方形印が見える。法眼周山とは大坂画壇で活躍した絵師 吉村周山(1700~1776)で、彼の弟子の田島甚蔵泰寛による筆だと分かる。

その左下には「願主/大和屋弥一郎/同 長四郎/増屋平次郎/大和屋三十郎/伏見屋長二郎/万屋六兵衛/澤屋巳之助/越中屋三之助」と8名もの願主名が連なる。屋号が記されていることから、彼らは商屋であると思われる。関羽にどのような願いや想いを込めたのだろうか…

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墨書(書名・願主)

 

左上部には「延享二年乙丑(1745)八月穀旦」、その下部には「宿坊正官目代慈心院」と記されていることから、1745年8月に上記8名の願主によって清水寺に奉納されたようである。

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墨書(奉納年月)

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墨書

 

 

堂内は本殿前に置かれた香炉の線香の煙が立ち込めやすく、また日が傾くと逆光になってしまうため、もし観賞や撮影をされる場合は遅くとも14時頃までには訪れるといいだろう。個人的には午前中に参詣されることを強く勧めたい。

※上の絵馬を撮影するために、後日再訪問しました。

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撮影失敗例

 

 

〒605-0862

京都府京都市東山区清水294

 

八坂神社

北野天満宮を後にし、続いては八坂神社へ参詣しに向かった。

八坂神社は京都東山を代表とする観光地として、国内外から多くの参拝者が訪れる。主祭神素戔嗚尊を祀り、全国の八坂神社の総本社とされる。旧称は祇園社。夏には日本三大祭りのひとつに数えられる祇園祭や、大晦日には 白朮祭をけらさい などが行われ、今もなお篤い信仰を集める神社である。

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西楼門

 

社伝に拠ればその由緒は斉明天皇二年(656)に創祀、貞観十八年(876)に建立されたと伝わる。境内には南楼門や西楼門、本殿、舞殿、絵馬堂、末社が置かれる。承応三年(1654)に徳川家綱によって再建された社殿は、拝殿と本殿を大屋根で覆った「祇園造り」と呼ばれる独特な建築様式となっており、重要文化財に指定される。現在は重要文化財から国宝指定に向けて調整がされているそうである。

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社殿

 

さて八坂神社には先の北野天満宮と同様に、2点もの「三国志」作品が伝わっており、やはりいずれも絵馬堂に観ることが出来る。 

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絵馬堂

 

絵馬堂は西楼門を入って北側に位置する。建立年は未明であるが、正保三年(1646)から遅くとも安永九年(1780)までには建立されたと思われる。その大きさは桁行七間、梁間三間で屋根は入母屋造りの桟瓦葺。大小様々な絵馬がその内外に懸かるが、外側だけでなく内部も金網が張り巡らされている。また絵馬堂内に立ち入ることが禁止されているため、残念なことに絵馬群の半分すら目にすることが叶わない。

また八坂神社の絵馬は清水寺の絵馬と並んで広く知られていたようで、合川珉和,北川春成 画『扁額軌範』(文政二年(1819)序)に多くの作品が収録される。

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絵馬堂外壁

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絵馬堂内部

 

八坂神社の「三国志」は残念ながらいずれも題名が不明であったため、今回も便宜上「仮題」を付けて順に見ていきたい。

 

 

関羽周倉図」

絵馬堂内に懸かる。大きさは不明。縦長で横幅が狭い小さめな絵馬に、関羽周倉の二人の姿が描かれる。全体的に退色しており、加えて木目に沿って塗料が剥落してしまっているものの、まだ鑑賞に堪えうる状態である。

関羽はお馴染みの像容で、緑の幘と緑の袍を纏い、右手には『春秋』と思われる経文を手にする。左手は自身の髯をしごき、椅子に腰を掛ける。『演義』に「面如重棗,唇若抹朱,丹鳳眼,臥蠶眉」とあるように、この関羽も目尻が吊り上がり、眉は太く、髯は腹部にまで届く長さで表される。その左側には、顔や手は浅黒い色で表され、赤い房がついた笠形盔を被り両手で青龍刀を抱く周倉が侍る。

絵馬の右側には「寶暦九己卯歳(1759)正月吉日」、その下に「西本■之■」と個人名が記される。おそらく願い主の名であろうか。また左下部には「高清」と名が見える。落款は欠く。

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関羽周倉図」

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関羽

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周倉

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墨書

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墨書「西本■之■」

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墨書「高清」

 

先述したように絵馬堂内に立ち入ることができず、その内部は金網が張り巡らされているため、丹眼鏡などの望遠できるものがあることが好ましい。

撮影するにあたり、絵馬ではなく金網にピントが吸われてしまうため、こちらも要注意である。

 

 

「馬上関羽図」

こちらは絵馬堂北側(円山公園側)の後壁部に掲げられる。こちらも距離があり正確な大きさは不明であるが縦 2m、横 1.5m はあろうか。やはり全体を金網に覆われる。

青龍刀を手に赤兎馬に跨る関羽が描かれるが、屋外に懸かり雨風にさらされていたこともあり、色彩はおろか図様を完全に損失しているため、関羽が描かれていることすら気が付かないほど劣化している。

この絵馬の赤兎馬は手綱や馬具しか残っておらず、関羽ですら上半身が何とか分かる程度である。何とか輪郭線は見えるものの、着色されていた部分は白く退色してしまっている。また板材の木目が強く出てしまっているため、本来描かれていたシルエットすら不明瞭。

関羽の左肩部には緑色が見えることから当初はやはり緑の袍に身を包んだ関羽が描かれていたものと思われる。右下部に落款が 2 つ彫られ、その上部には墨書らしき痕跡は見えるが判読不明。

額の上辺には「奉納」、右辺には「日■丸壽組/講元 ○大 市兵衛 越後屋吉兵衛 布屋嘉兵衛 ■■/市田屋忠右衛門 岡 利三郎 大丸/世話方 二文字屋佐兵衛 日和田屋新七目 常 七近江/近江屋利助 大坂屋嘉兵衛 ■」と奉納者の名が連ねられ、左辺には「安政六年未(1858)春 宿坊 寶壽■」と彫られる。

先の「関羽周倉図」と同様に、望遠できるものがあれば細部まで楽しめよう。

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外観

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「馬上関羽図」

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落款

 

京都観光などで東山地区や八坂神社を訪れられた際は、絵馬堂にも足を延ばしてはいかがだろうか。

 

〒605-0073

京都府京都市東山区祇園町北側625

北野天満宮

北野天満宮は学問の神さまとして菅原道真主祭神として祀り、梅や紅葉の名所としても有名な京都を代表する神社の1つである。旧称は北野神社。京都市上京区に鎮座する。

 

由緒は定かではないが、天暦元年(947)に開創し、社殿が造営されたと伝わる。文安元年 (1444)の文安の麹騒動により焼失するが、慶長十二年(1607)に豊臣秀頼によって再建された社殿は、絢爛豪華な桃山文化を造営当時のまま今に伝え、国宝に指定される。

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三光門
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社殿(拝殿)

 

境内には楼門や三光門、宝物殿、社殿、絵馬所、回廊をはじめ、大小様々な社を配する。 さて北野天満宮には2点もの「三国志」を題材とした作品があり、いずれも絵馬所で観ることが出来る。

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絵馬所

 

絵馬所は楼門を入った西側に位置し、桁行六間、梁間二間の入母屋造りで桟瓦葺となっている。絵馬所については次の説明がされる。

北野天満宮絵馬所

 北野天満宮の本殿を始めとする主要な社殿は慶長十二年(1607)に再建されたもので、その後、元禄十三年(1700)から翌年にかけて大修理が行われている。現在の絵馬所は、元禄の大修理の際に建て替えられたものである。建築当初は、現在の位置より北に、棟を南北に通して建ち、また、屋根も現在は浅瓦葺であるが、当初は木の板で葺いた木賊葺であった。 この絵馬所は、規模が大きく、京都に現存する絵馬堂の中で最も古いものであり、江戸時代中期の絵馬堂の遺構として貴重である。

昭和五十八年六月指定 京都市

 

京都の寺社などを紹介する現在で言うガイドブックとして、安永九年(1780)に刊行された『都名所圖會』を見ると、かつては絵馬所が棟を南北に向いていたことが確認できる。(赤矢印部

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『都名所圖會』北野天満宮 挿絵より

 

時代が少し下り、大正十年(1921)には絵馬所南側に桁行三間が増築された。その結果、京都市の絵馬殿の中で最も大きい規模となり、また少しいびつな形状となった。北野天満宮に奉納された絵馬のほとんどがこの絵馬所に掛けられているが、その多くが雨風に晒されていたり経年による劣化のため図様が損失していたり状態が芳しくない絵馬が多々見える。

 

さて少し前置きが長くなってしまったが、「三国志」作品を順に見ていきたい。残念ながらいずれも題名が不明のため便宜上「仮題」を付ける。

 

 

三顧の礼図」

縦およそ 1.2m、横およそ 2m。左より順に童子劉備関羽張飛の4人が描かれる。言わずもがな諸葛亮の草廬を訪ねるお馴染みの場面である。著しい退色や損傷はなく、全体的に色彩が残るが全体的に白っぽい印象を受ける。

左側には草盧が見えるものの、諸葛亮の姿はない。赤い袍に身を包み烏帽子のような形状の冠を戴く劉備と、緑の幘を被り緑の袍を纏う関羽。そして茶色が基調の袍を身に纏う張飛の姿を観ることが出来る。

署名や落款は見えず筆者は不明。関羽張飛の頭上には右書で「奉納」の二字が、また右端には「寶暦二壬申年(1752)二月吉」と記す。

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三顧の礼図」 
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童子 
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劉備 
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関羽張飛

 

「馬上関羽図」

縦およそ 1.8m、横およそ 0.9m。赤兎馬に跨り青龍刀を手にする関羽が描かれる。先の「三顧の礼図」と比べると著しく退色しており、赤色で着色されていたと思われる箇所は白っぽく、また緑色だった箇所は赤茶色っぽく変化している。幸いなことにまだ輪郭線が薄っすらと見えるため、関羽赤兎馬の表情をはじめとする細部が何となく認識することが可能である。

当初の状態を想像することが難しく、注視しなければ関羽と気付かないであろう。絵馬や額には署名や落款、奉納年などが見えず、詳細は一切不明である。

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「馬上関羽図」

 

〒602-8386

京都府京都市上京区馬喰町

 

【告知】三国志研究会(全国版)第2回オンライン例会で発表します

今週末10月3日(土)16時より、龍谷大学竹内真彦教授が主催される三国志研究会 オンライン例会にて発表いたします!

今回は「寺社に見える「三国志」(2)」と題しまして、福岡県那珂川市、大阪府松原市京都市伏見区奈良県大和郡山市の計4ヵ所の寺社の「三国志」作品についてお話する予定です。

 

今回もネット上にほとんど情報が出回っていない文物について、フィールドワーク時に撮影した画像を交えてながらご紹介したいと考えてます。

三国志が好き」「三国志について知りたい」「三国志について語りたい」方であれば、どなたでも自由にご参加いただけます。また参加費や資料代など無料ですので、興味がある方はぜひご参加ください。よろしくお願いします!

 

詳しくは以下のサイトをご覧ください。

厳島神社/豊国神社(千畳閣)(2)

以下の記事の続き。

 

関羽周倉図」

絵馬の大きさは縦およそ2m、横およそ1m。関羽周倉の2人の姿を描く。彼らの像容は、関羽は緑の幘を被り赤系が基調とした戦袍に身を包む。左手に持つ『春秋』を座りながら読んでおり、右手は右腹部あたりで袍をわずかにたくし上げる。関羽は幘・袍ともに緑色で表さることがほぼほぼであるが、なぜかこの絵馬は赤で表される。

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一方、そのそばに侍る周倉は、お馴染みの笠形盔を被り両手で青龍刀を抱く。関羽と同様に赤系が基調の袍を纏う。両者ともに色彩が退色しているため、元来の色彩は不明である。

 絵馬上部の中央よりやや左に「威霊■美照■■■■/■■■髯絶倫/■■■■■■■/■■■■■/■■■■■」と銘が記されているが、そのほとんどが擦れて判別が出来ず。また右下には「願主■眞與」と墨書で記される。額には奉納年などの記述はない。

豊国神社の一部の関係者のうち、この絵馬を「天書を読む宋江」と認識されているようである。なぜ『水滸伝』の宋江と認識されているのか、その理由は不明である

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劉備躍馬跳檀渓図」

縦およそ1m、横およそ1.8m。モチーフは『演義』第34回「玄徳躍馬跳檀渓」。これまで言及した絵馬3点と比べると状態は非常に良好で、退色や破損などはほとんど見受けられない。赤い袍に身を纏い右手には鞭を握り、左手で手綱を操る劉備が、壇渓の急流を黒い的盧に跨り越える場面が描かれる。

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右上には「平安/楠亭」の墨書と落款が見える。楠亭とは西村楠亭(1755~1834)の号で、彼は円山応挙の門人で江戸時代後期に活躍した絵師である。

額には奉納年などの記述は見えないが『厳島絵馬鑑』 に拠ると、文化八年(1811)十一月に楠亭が描き、その後に京都宮島講中講元の若狭屋七兵衛により奉納されたようである。題は「玄徳之圖」。かつては厳島神社の西回廊に南向きで掲げられていたようである。

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