久々の更新です!
今回は以下の記事の続き。
京都の寺社に現在も伝わる三国志の文物を巡る「京都三国志ツアー」。開催2日目の最初は三十三間堂と東福寺の中間に鎮座する瀧尾神社へと向かった。
瀧尾神社はJR東福寺駅より北に徒歩の3分ほどの所に位置する。創建年や由緒は不明。天正十四年(1586)十月、豊臣秀吉の方広寺大仏殿建立に伴い、当地に移ってきたと伝えられる。祭神に大国主命・弁財天・毘沙門天を祀る。
一の鳥居
江戸時代後期になると、呉服商人の下村彦右衛門が行商の行き帰りに瀧尾神社に詣で、商売繁盛を祈願したと言われている。この商人こそが、現在の大丸百貨店の創業者その人であった。祈願の甲斐あってか商売繁盛した下村彦右衛門は、天保十年(1839)より境内の整備を行った。本殿や拝殿、絵馬舎、手水舎など一連の社殿が現在も境内にまとまって現存し、江戸時代後期の中規模神社の形態を知るうえで貴重な建築物として京都市指定有形文化財に指定される。
解説札
本殿は「北山貴船奥院御社」旧殿を移建、一部改築したもので、その前に幣殿、拝所、東西廊が並ぶ。各社殿に施された豊富な彫刻装飾は、京都市内はもちろん関西でも非常に珍しい。
瀧尾神社の「三国志」は、境内の南西隅にたたずむ絵馬舎で観ることが出来る。
拝殿
本殿
絵馬舎
例によって瀧尾神社の「三国志」も題名が今日には伝わっていないため、今回も便宜上「仮題」を付けて以下に見ていきたい。
大きさは縦およそ1.8m、横およそ1.3m。大丸に関する数々の絵馬が懸かる中、関羽と周倉が描かれたこの絵馬が懸かる。
関羽は緑の幘を被り、金の鎧の上から雲の模様が施される白い袍に包む。右手には巻物状の『春秋』を、左手は左腿の上に置き、赤い椅子に腰掛ける。
その左側に侍る周倉は、やはり肌は浅黒い色で表され笠形盔を被る。袍は青が基調となっており、両手で青龍刀を抱く。
全体的に退色や板材が劣化してたわんでいるものの、大きな欠損はないようである。絵馬の右上部には「東居」と落款「梅川之印」が残る。この署名より梅川東居 (1828~1869)の筆と分かる。
下から見ると板材がかなりたわんでいる…
梅川東居の署名と落款
額の上辺には右書きで「奉納」、右辺には「嘉永二年己酉(1849)正月吉日 松榮講」、左辺には「油小路通山田町 石川屋儀兵衛」と奉納年および奉納者名が記される。
絵馬舎内に懸かる絵馬はいずれも剥落と退色が著しいものばかりであり、何とか鑑賞に耐えうる状態というのがまだ救いであろうか。今しか拝観することの出来ない1枚なので、京都へ観光などで足を運ばれた際は、是非とも瀧尾神社へ詣でてはいかがだろうか?
〒605-0981