浄土真宗本願寺派眞照山 塩屋別院

JR予讃線 讃岐塩屋駅より北東に歩くことおよそ10分。香川県丸亀市の北部の閑静な住宅密集地に、その巨大な伽藍がひっそりとたたずむ。

巨大な山門に、巨大な本殿…

 

浄土真宗本願寺派西本願寺)に属する塩屋別院である。

 

f:id:kyoudan:20220205124850j:plain

山門(表門)

f:id:kyoudan:20220205124927j:plain

本殿

 

山号は眞照山。その創建は新しく、慶長二十年(1615)に播州赤穂の教法寺とその門徒が、塩田開墾のために移住し、教法寺道場として開いたことが始まりとする。本尊は阿弥陀如来像を祀る。

 

ベートーベンの『交響曲第9番』が、第一次世界大戦の際に収容したドイツ兵俘虜の楽団によってアジアで初めて演奏された「第九」ゆかりの地として今日知られている。

 

f:id:kyoudan:20220205125003j:plain

 

 

境内には本堂や書院、奥座敷、学寮、講堂、山門などが置かれ、その山門に「三国志な彫刻がある」という情報を得ていたので今回参詣することとした。

 

さてくだんの山門であるが、高さはおよそ10mほどか。北野天満宮の楼門よりもやや低い高さであるものの、周囲に住宅が密集していることもあり、実際以上の大きくがあるように感じる。

f:id:kyoudan:20220205125051j:plain

 

入母屋造りの四つ脚門で、南側を向く。屋根には鈍く輝く青銅色の銅板を葺く。天保十年(1839)より建設が始まり、嘉永七年(1854)に落成。棟梁は飛坂恒次郎、彫刻工は北山藤斎と伝えられる。

 

左右の控柱~本柱、本柱~控柱の間には、地上から2mほどの位置に少し見上げるような形に縦2m、横1.8mの羽目板が4枚はめ込まれてる。

いずれも3枚の板材で構成されており、それぞれに中国の古典を題材とした彫刻が以下のように施される。

 

北西部には「鯉仙人 琴高」が、北東部に「亀仙人 黄安(盧敖)」、南西部には「黄石公と張良」、そして南東部には今回の目的である「三国志」と伝わる三顧の礼をの彫刻が配される。

f:id:kyoudan:20220205131127j:plain

 

北側の彫刻2点は、門扉が内側に開きく都合のためか表面が外側に向けてはめられる。残念ながら背面は門扉によって覆われてしまうため、参拝時間中は鑑賞することができない。

幸運なことに南側2点は、門扉に隠れないどころか、時間外であってもいつでも観ることが出来る。やったね!!

 

f:id:kyoudan:20220205125319j:plain

北西「鯉仙人 琴高」

 

f:id:kyoudan:20220205125357j:plain

北東「亀仙人 黄安」(武天老師さまじゃないよ)

 

f:id:kyoudan:20220205125429j:plain

南西「黄石公と張良

 

f:id:kyoudan:20220205125608j:plain

南東「三顧の礼

 

 

三顧の礼」(伝「三国志」)

三顧の礼」こと三顧草廬を取材としたこの彫刻には、左より順に童子劉備関羽張飛、左上部の草廬には諸葛亮の姿が表される。

緻密で写実的に表現されている人物や、その周囲の情景は裏面も惜しむことなく透かし彫りで丁寧に表現されている。木目さえも利用されているように思えるほど凝った造形で、西日本の三国志な寺社彫刻の中でも非常に優れた作品である。

 

f:id:kyoudan:20220205131257j:plain

童子劉備 童子「Fxxk!!」

 

f:id:kyoudan:20220205130012j:plain

f:id:kyoudan:20220205130042j:plain

f:id:kyoudan:20220205125718j:plain

関羽。青龍刀はもちろん、頭からつま先までの衝撃クオリティ。

どこからどう見ても我々がイメージする関羽その人である。

 

f:id:kyoudan:20220205130108j:plain

張飛 どんぐり眼がかわいい

 

f:id:kyoudan:20220205130135j:plain

貫禄のある諸葛亮芭蕉扇タイプの羽扇を握る

 

f:id:kyoudan:20220205130159j:plain

f:id:kyoudan:20220205130226j:plain

しっかりと細部まで彫りこまれている背面も見応え十分!

 

f:id:kyoudan:20220205130253j:plain

こんな角度から諸葛亮の廬は見れるのはここだけ

 

 

この彫刻を手掛けたのは一体誰なのだろうか。

全体をよく見わたすと、童子の左横に「勝元」という刻銘と、篆書体のような「北山勝元」の刻印が見える。

f:id:kyoudan:20220205130317j:plain

刻銘と刻印

 

また「黄石公と張良」の彫刻の右下部にも同様の刻銘・刻印を確認することが出来る。おそらく4点の胴羽目彫刻は彼によるものだと思われる。

f:id:kyoudan:20220205130346j:plain

f:id:kyoudan:20220205130411j:plain

刻銘と刻印

 

丸亀市史4』や三宅邦夫『塩飽大工』に拠ると「北山勝元」という人物は、名を北山助四郎勝元といい、丸亀市本島町生ノ浜の塩飽大工の家系に生まれた人物のようである。

塩飽大工とは、塩飽諸島を中心に古くより廻船・海運・造船業で活躍した塩飽水軍が、江戸中期以降に廻船業が衰退したために、船大工の技術を寺社や民家などの建造物に活かした大工集団である。

 

勝元の詳しい略歴は不明であるが、天保六年(1835)34歳の時に三所神社丸亀市本島町)の本殿彫刻を、嘉永七年(1854)53歳の時には塩屋別院表門の彫刻を、明治六年(1873)72歳の時に正覚院客殿の彫刻を、そして明治十六年(1883)82歳の時には下坂神社(丸亀市飯山町)社殿の計4ヵ所を手掛け、明治二十年(1887)11月に86歳で死没したことが明らかとなっている。

 

 

塩屋別院の彫刻は脂が乗りに乗った時期に作成されたもののようである。彼が作成するにあたり、何らかの三国志作品を参照したのであろうか。

 

細部まで丁寧に作りこまれている三国志を題材とした彫刻は、国内でも非常に貴重である。しかも見応えも十分にある。参拝時間に関わらず、いつでも間近で好きなだけ好きな角度から彫刻を観れる寺社はここ以外あるだろうか。

 

三国志好きにとっては非常にたまらない三国志スポットだと思う。もちろん寺社彫刻愛好家にとっても最高のスポットの1つになりうるだろう。

 

 

今回アップした画像で見るよりも大きいので、香川を訪れた際は是非とも参詣することを勧めます。本当に素晴らしい寺院でした。

門をくぐる前で満足感で胸がいっぱいです。

 

参詣された夏侯蒼さん(@Kakousou3594)も、ブログにて塩屋別院について紹介されています。ぜひこちらもチェックしてみてください!

kakousou.hatenablog.com

 

〒763-0065 香川県丸亀市塩屋町4丁目6-1