三国志

臨済宗佛光山 法水寺(2)

「北関東三国志ツアー」2箇所目。榛名神社を阿斗もとい、あとにし続いては臨済宗佛光山 法水寺へ。 今春作成した記事で法水寺の概要について記したので今回は省略する。 法水寺は榛名山東麓、渋川市の山間部の広大な土地に伽藍を構えており、伊香保温泉街よ…

榛名神社

群馬県内に見える「三国志」を巡った「第2回 北関東三国志ツアー」を2019年7月28日(日)に敢行した。そのレポートをいくつかの頁に分けて記したい。ツアーの概要については以下のまとめを参照されたい。 ・第2回北関東三国志ツアー - Togetter 「北関東三国…

井上文昌「関羽正装図」

とある方より情報をいただいたので記事に。 この場を借りて御礼申し上げます。この度は大変貴重な情報を誠にありがとうございます! 今回は北海道石狩市の三国志スポットについてです。 以前より国内の寺院や道観等において祀られる関帝像について調査してい…

張松について

毎月東京都港区の三国軒にて開催されている「三国志義兄弟の宴」。その第51回目の宴が2019年9月15日(日)に開催される。今回のテーマはまさかの張松!彼にスポットが当たるなんて思いもしなかった… 第51回三国志義兄弟の宴開催決定日時:2019/9/15(日)13時開…

伝足利直義画「三国志」について

三国志ニュースの2019年8月13日(火)付の記事において、「足利直義筆(滋賀県米原市 清瀧寺徳源院)」と題する記事が更新された。タイトルの割には記事のほとんどが個人の日記的な記述が占めており、残念ながら肝心の「三国志」画に関してはたった数行程度…

鄧艾と剣

鄧艾について調べていたら面白い記述があったので以下に。 梁代までの英雄が所有した名刀・名剣について記した陶弘景『古今刀剣録』。そこに鄧艾の「刀」に関する伝承が記されている。 原文は「漢籍レポジトリ」の『欽定四庫全書』子部九の『古今刀劍錄』と…

ちくま『三国志』誤訳について

王必について調べていると、『三國志』魏書 武帝紀(建安二十三年条)に引く『三輔決錄』注において誤訳を見付けてしまったので、備忘録として記事に。 三輔決錄注曰:時有京兆金禕字德禕,自以世為漢臣,自日磾討莽何羅,忠誠顯著,名節累葉。覩漢祚將移,…

馬岱の字を考える2

思い付きです。 三年前に作成した上の記事において若干触れたが、馬岱の字が「伯瞻」とする説があり、その出典が『陜西省扶風縣郷土志』に見える、ということは一部の三国志ファンの間では知られている。陳寿『三國志』や『三国志平話』、そして『三国志演義…

王元姫の忌日(268年3月21日)

(泰始四年)三月戊子,皇太后王氏崩。【房玄齢・李延寿『晉書』巻三 武帝紀】 (泰始)四年,后崩,時年五十二,合葬崇陽陵。【房玄齢・李延寿『晉書』文明王皇后傳】 268年3月21日に文明皇后 王元姫が52歳で亡くなり、その後に司馬昭の墓所 崇陽陵に合葬さ…

曹仁の忌日(223年3月19日)

(黃初四年三月)丁未,大司馬曹仁薨。【陳寿『三國志』魏書巻二 文帝紀】 黃初四年三月丁未すなわち223年3月19日に大司馬の曹仁が56歳で亡くなった。 新暦では同年5月6日にあたる。

陸遜の忌日(245年2月4日)

惟赤烏八年二月粤乙卯,呉故使持節,郢州牧,左都護丞相,江陵郡侯陸公薨。【陸雲『呉故丞相陸公誄』】 245年2月4日に使持節・郢州(荊州江北諸郡)牧・江陵侯の陸遜が63歳で亡くなった。新暦では同年3月19日にあたる。『三國志』や『建康實錄』ではこの事に…

曹操の忌日(220年1月23日)

(建安二十五年春正月)庚子,王崩于洛陽,年六十六。 【陳寿『三國志』魏書巻一 武帝紀】 220年1月23日に魏王 曹操が洛陽にて66歳で亡くなった。新暦では220年3月15日にあたる。 そんな訳で、曹操を偲び蒼天航路の「ならばよし!」湯呑で昨日紹介した曹操「…

姜維・鍾会・劉璿・張翼の忌日(264年1月18日)

(咸熙元年春正月)是月,鍾會反于蜀,爲衆所討;訒艾亦見殺。【陳寿『三國志』魏書巻四 陳留王紀】 (景元五年一月)十八日日中(略)姜維率會左右戰、手殺五六人、衆既格斬維、爭赴殺會。會時年四十,將士死者數百人。【陳寿『三國志』魏書巻二十八 鍾會傳…

少帝 劉弁の忌日(190年1月12日)

初平元年春正月,山東州郡起兵以討董卓。辛亥,大赦天下。癸酉,董卓殺弘農王。【范曄『後漢書』巻九 孝獻帝紀】 初平元年春正月辛亥,大赦天下。侍中周䑛、城門校尉伍瓊說董卓曰:「夫廢立事大,非常人所及。袁紹 不達大體,恐懼出奔,非有他志也。今購之急…

張当・曹爽・丁謐・訒颺・何晏・畢軌・李勝・桓範の忌日(249年1月10日)

嘉平元年春正月(略)戊戌,有司奏収黃門張當付廷尉,考實其辭,爽與謀不軌。又尚書丁謐、訒颺、何晏、司隷校尉畢軌、荊州刺史李勝、大司農桓範皆與爽通姦謀,夷三族。【陳寿『三國志』魏書巻四 齊王紀】 嘉平元年春正月(略)戊戌、すなわち249年1月10日に…

孫堅の忌日(193年1月7日)

初平三年,術使堅征荊州,擊劉表。表遣黃祖逆於樊、訒之間。堅擊破之,追渡漢水,遂圍襄陽,單馬行峴山,為祖軍士所射殺。 典略曰;堅悉其衆攻表,表閉門,夜遣將黃祖潛出發兵。祖將兵欲還,堅逆與戰。祖敗走,竄峴山中。堅乘勝夜追祖,祖部兵從竹木間暗射堅…

埼玉県山西省友好記念館(神怡館)廃止へ(2018年3月31日)

備忘録として。中国の文化や歴史等に触れることができる日本で数少ない専門施設の1つ埼玉県山西省友好記念館 神怡館(埼玉県秩父郡小鹿野町)。ネットショップ「英傑群像」のグッズが販売されていたり、その繋がりで三国志祭にブース出展されたり、関羽像等…

陳羣の忌日(236年12月24日)

(青龍四年)十二月癸巳,司空陳羣薨。 『三國志』魏書巻三 明帝紀 236年12月24日に司空・陳羣が亡くなった。子の陳泰が彼の跡を継いだ。新暦に変換するとこの日は237年2月7日にあたる。陳羣に関しては何歳で亡くなったのか明記されていないため、生年は不明…

呂布・陳宮・高順の忌日(198年12月24日)

(建安三年)九月,公東征布。冬十月,屠彭城,獲其相侯諧。進至下邳,布自將騎逆擊。大破之,獲其驍將成廉。追至城下,布恐,欲降。陳宮等沮其計,求救於術,勸布出戰,戰又敗,乃還固守,攻之不下。時公連戰,士卒罷,欲還,用荀攸、郭嘉計,遂決泗、沂水…

足利尊氏の霊夢

今回は三国志研究会(全国版)にて、ぼるどさん(@Bolxfoy)よりご指摘をいただいたことを以下に記したい。お話しを伺うと確かにそうだ、と腑に落ちる点があったためおそらくそうであろうと考える。 「足利尊氏が関帝像を祀った」という伝承の情報源としてよ…

張特と張持と張時

以下の続き・涿郡張氏 - 尚書省 三國志部 http://d.hatena.ne.jp/kyoudan/20171124/1510535268張特については既に記したので今回は割愛する。まずは張持について。 (赤烏)二年春三月,遣使者羊衜、鄭冑、將軍孫怡之遼東,擊魏守將張持、高慮等,虜得男女。…

涿郡張氏

(嘉平)五年夏四月,大赦。五月,吳太傅諸葛恪圍合肥新城,詔太尉司馬孚拒之。秋七月,恪退還。 是時,張特守新城。 『魏略』曰:特字子產,涿郡人。先時領牙門,給事鎮東諸葛誕,誕不以為能也,欲遣還護軍。會毌丘儉代誕,遂使特屯守合肥新城。及諸葛恪圍…

三国志の名馬 赤兎馬

「白馬将軍 龐統」のページでも触れたように、以前Togetterにて作成した「三国志の馬一覧」の内容を更新すべくネタの整理と備忘録もかねて。まずは「赤兎馬」について『三國志』と『後漢書』『三國志』の記述を以下に挙げる。 布自以殺卓為術報讎,欲以紱之…

三国志祭に参加して

神戸・新長田にて催された第11回目三国志祭、および六間道三国志祭。例年は10月に開催されているのであるが、今年は台風の影響に伴い、当初予定されていた開催日の直前に急遽順延が発表され、昨日2017年11月3日(日)に開催となった。 そのため一部内容が変更…

白馬将軍龐統 其の二

前回の続き。 ・白馬将軍龐統 - 尚書省 三國志部 http://d.hatena.ne.jp/kyoudan/20171028/1509172209なぜ龐統が白馬将軍と号した(事になっている)のか、「龐統」と「白馬」で四庫全書を串刺しで検索したところ、南宋・章定『名賢氏族言行類稿』巻三の龐の…

白馬将軍龐統

以前に三国志や演義等に登場する馬をリストアップしてTogetterにてまとめた「三国志の馬一覧」。主に中国のサイトに掲載されているネタをただ単にまとめたため、ソースの確認や精査は行わなかった。作成以降全く更新もしてこなかったため、それらの出典や他…

横山光輝『三国志』と生褚範義

様々な視点より現在進行形で横山光輝作品に関する研究が現在進行形で行われている。我々にとって馴染み深い作品といえば横山光輝『三国志』である。その研究の1つに清岡美津夫「横山光輝はなぜ官渡の戦いを描かなかったのかをめぐって」(『三國志研究』10号…

曹沖の忌日(210年5月1日)

曹操と環夫人の子で、曹丕や曹植たち兄弟の異母弟 曹沖。Wikipediaや三国志関連の書籍では、正史の以下の記述を基にして、曹沖が208年に13歳で死去したと書かれている。「訒哀王沖傳」を読み返すと、曹沖が罹患した年(208年)に死去したと断言されておらず…

劉備の忌日(223年4月24日)

(章武三年)夏四月癸巳(※正しくは辛巳),先主殂于永安宮,時年六十三。 『三国志』蜀書巻二 先主傅 亮上言於後主曰「伏惟大行皇帝邁仁樹紱,覆菇無疆,昊天不弔,寢疾彌留,今月二十四日奄忽升遐,臣妾號咷,若喪考妣。乃顧遺詔,事惟太宗,動容損益;百…

王基の忌日(261年4月24日)

(景元二年)是歲基薨,追贈司空,諡曰景侯。 『三國志』魏書巻二十七 王基傳 彌留年七十二。景元二年四月辛丑薨。 「魏東武侯王基碑」 王基が亡くなった日にちは正史をはじめとする史料には記載されていないが、清乾隆初年(1736年頃)に洛陽城近くで発見さ…