金刀比羅宮

以下の続きです。

 

参道口から御本宮まで続く785段もの石段、そして「こんぴらさん」の愛称や有名な金刀比羅宮真言宗象頭山 松尾寺の堂宇の1つで、琴平山こと象頭山の中腹に鎮座する。御祭神は大物主神崇徳天皇

古来より海の神様や五穀豊穰、大漁祈願、商売繁盛などの広範な神様として篤い信仰を集め、今日では年間300万人が訪れる。山号から御本宮までは785段、奥社までが1368段の石段があり、その参道には旧跡や文化財が多数ある。

 

由緒は大物主命が象頭山に行宮を営んだ跡を祭った琴平神社から始まり、中世以降に仏教の金毘羅と習合して金毘羅大権現と改称し、永万元年(1165)に崇徳天皇を合祀し現在に至る。

 

境内には金刀比羅宮本殿・幣殿・拝殿・渡殿・神楽殿・大門・三穂津姫者白・神輿庫・奥の院などが並ぶ。

 

金刀比羅宮の「三国志」は絵馬堂に見ることが出来た。

絵馬堂には大小様々な奉納絵馬が所せましと並んでおり、その多くが航海安全を祈願した船が描かれた絵馬や、レリーフ状の船の絵馬、戦艦、スクリューが付いた絵馬などを占める。宇宙〝船〟ということもあってか、宇宙飛行士の秋山豊寛氏の絵馬も懸かるだけでなく、海洋冒険家・堀江謙一さんのモルツマーメイド号も置かれる。

かつては複数の三国志を題材とした絵馬が複数懸かっていたようであるが、参詣した2020年10月当時では関羽周倉を描いた絵馬1点のみ確認することができた。

 

 

関羽周倉」図

大きさは未明。中央には赤兎馬に跨り鳩尾前で髯をしごく関羽と、その右隣には青龍刀を手にする周倉の姿が描かれる。例の如く経年により全体の色彩が退色しており、部分的に下地が見える限りである。制作年や筆者は墨書が見当たらず未明。

 

かつては赤色で着色されていた赤兎馬は、色褪せにより朱色の毛に包まれ、鐙や鞍、杏葉などの馬具が装着される。関羽は幘を被り、赤ら顔に目尻が吊り上がっており、鎖骨を越える鬚髯や鬚を蓄える。首元には布を巻き、鳩尾付近の右手で自身の髯をしごく。首から下は輪郭線を残すものの細部の識別が困難な状態である。おそらく袍を身に纏っていると思われる。一方周倉は、関羽と同様に赤ら顔、また張飛のような丸い眼と虎髭を蓄える。ほっかむりのような形状の盔を被り、両手で青龍刀を抱く。青龍刀、盔、上半身は白く退色、また下半身は完全に消えてしまっており当初の姿は不明である。

 

 

 

 



絵馬堂のその後

絵馬堂は三穂津姫社の南側に二つ南北に並んでいた。共に江戸時代、18世紀中頃に建立したものだと推定される。南の絵馬堂は2002年に、北の絵馬堂は2021年まで存在していた。今回観ることができた絵馬堂は後者であるが、老朽化に伴い先述した2021年10月に絵馬が全て取り外され、2022年のはじめには解体されてしまった。

 

 

2021年10月当時

 

解体され更地に…(2022年8月当時)

 

資料や文化財として貴重な絵馬は、学芸参考館と金毘羅庶民信仰資料収蔵庫にその一部が移され保存・公開されている。三国志関連の絵馬は保存されているかと思われるが、現在は非公開となる。

 

やはり老朽化は回避できない問題である。しかしながら修復、維持・保存される絵馬は多くはない。そのため、いつでも鑑賞できるものではない、ということを念頭に置き、観れるうちに鑑賞すべきだ、と改めて思い知った。

 

 

今回は4ヵ所の寺社を巡り、計3点もの絵馬を見ることができた。香川県内には、他にも塩飽大工が手掛けたと思われる張飛関羽の寺社彫刻や、関羽を描いた掛け軸など一般公開されていない文物を含め様々な作品が今日に伝わる。

また四国全域に目を配ると桃園三兄弟をはじめ、関羽張飛趙雲黄忠を描いた奉納絵馬が現存しており、いずれも共通して同じ場面を取材し、類似した構図で描かれる。今回は作品の元ネタが不明なものが多かったが、今後もこのような当時の三国志受容の一端を窺い知れる作品を通して、引き続き神社仏閣に残る「三国志」作品の調査を行いたい。

 

〒766-8501 香川県仲多度郡琴平町892−1