藤森神社

以下の記事の続き。

 

瀧尾神社を後にし、続いては藤森神社へと向かった。

藤森と書いて「ふじのもり」と読む。これは一発で読めない…

 

瀧尾神社の最寄り駅であるJR奈良線東福寺」駅から南に2駅下った「JR藤森」駅が最寄りで、そこから徒歩2~3分の所に鎮座する。東側には京都教育大学のキャンパスが広がる。

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一の鳥居

 

藤森神社の由緒は、社伝によれば神功皇后摂政三年(203)に、三韓征伐から凱旋した神功皇后が、藤森に武具などを納め、塚を作り、祭祀を行ったのが発祥とされる。

また菖蒲の節句が発祥とされており、菖蒲が勝負に転じて、勝運や馬の神さまとして競馬関係者や競馬ファンからも篤い信仰を集め、近年では刀剣乱舞鶴丸国永」の縁の地としても広く知られる。

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解説札

 

本殿は南を向き、祭神に素盞嗚命や日本武命、応神天皇神功皇后などを祀る。境内には本殿、拝殿、神楽殿、参集殿、宝物殿、絵馬舎、大小様々な社を有する。藤森神社も例の如く絵馬舎に「三国志」を観ることが出来る。

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拝殿

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本殿

 

絵馬舎は桁行が三間、梁間が二間の切妻屋根桟瓦葺で、境内参道の西側、社務所兼宝物館の正面に建つ。正徳二年(1712)頃に旧拝殿を改造したとも伝わるが、正確なところは不明である。現在は灰皿やいくつものベンチが並べられ、参拝者たちの休憩スペースに活用されている。

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絵馬舎

 

絵馬舎内外には大小様々な奉納絵馬が懸かっているが、近年納められた競馬関係の絵馬を除いては、全体的に剥落や欠損など保存状態はよろしくない古絵馬が混在する。また梁間には金網が張り巡らされており、鑑賞にはなんとか耐えうるものの、撮影には不向きであった。

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絵馬舎内

 

さて例によって今回も題名が不明のため、便宜上「仮題」を付けて以下に見ていきたい。

 

「馬上関羽図」

大きさは未明。縦 1m、横 1.5m はあろうか。緻密な描写で赤兎馬に跨る関羽の姿が描かれるが、八坂神社の「馬上関羽図」と同様に著しく退色しており、何とか関羽と認識することができるような状態である。おそらく一般の方からすれば、何が描かれているか検討すらつかないであろう。

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「馬上関羽図」

 

関羽は袖口や裾が黄色(当初は金色か)の袍に身を包んでいるが退色のため全体的に白い。右手に提げる青龍刀は消えてしまっているが、刃を呑む龍が描かれていたと何となく判別は分かる程度である。

一方赤兎馬は緑色で着色された馬具以外を残し、ほとんど消失する。近い将来、この関羽までも消失してしまうであろう。

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関羽赤兎馬

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青龍偃月刀

 

絵馬の右下部には署名の痕跡が見えるが「~人中」の 2 文字のみ確認することが出来たが、奉納年などのその他の情報は視認することが出来なかった。

京都市文化観光局保護課の調査に拠れば、墨書は「寺木■楽圖」「願主 当社御造営世話人方」「安永五年丙申(1776)八月」と記録が残る。

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墨書

 

先の瀧尾神社と同様に、あまりよろしくない状態のため、伏見稲荷や宇治方面へ足を伸ばされる際には、こちらも是非立ち寄っていただきたい。

 

 〒612-0864

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