曹操と環夫人の子で、曹丕や曹植たち兄弟の異母弟 曹沖。Wikipediaや三国志関連の書籍では、正史の以下の記述を基にして、曹沖が208年に13歳で死去したと書かれている。「訒哀王沖傳」を読み返すと、曹沖が罹患した年(208年)に死去したと断言されておらず、この年を没年とするのは早計ではないだろうか。
年十三,建安十三年疾病,太祖親為請命。及亡,哀甚。文帝𥶡喻太祖,太祖曰:「此我之不幸,而汝曹之幸也。」
『三国志』魏書二十 訒哀王沖傳
ちくま訳では次のように翻訳されている。
十三歳のとき、建安十三年(二〇八)、病気にかかった。太祖は自身で彼のために命乞いの祈りをし、なくなるとひどく悲しんだ。文帝が太祖の気持をなだめると、太祖はいった、「これはわしの不幸じゃが、おまえたちにとっては幸いじゃ。」
『正史三国志3』(ちくま学芸文庫,1993)pp.345-346
曹丕の「曹蒼舒誄」には没年を「建安十有五年五月甲戍」すなわち建安十五年五月一日であると記す。この日を新暦に変換すると210年6月10日となる。
曹蒼舒誄
惟建安十有五年五月甲戍,童子曹蒼舒卒,嗚呼哀哉!乃作誄曰
於惟淑弟,懿矣純良。誕豐令質,荷天之光。既哲且仁,爰柔克剛。彼紱之容,茲義肇行。猗歟公子,終然允臧。宜逢介祉,以永無疆。如何昊天,雕斯俊英?嗚呼哀哉!惟人之生,忽若朝露。促促百年,璺璺行暮。矧爾既夭,十三而卒。何辜于天,景命不遂?兼悲筯傷,侘傺失氣。永思長懷,哀爾罔極。貽爾良妃,襚爾嘉服。越以乙酉,宅彼城隅。筯丘峨峨,寢廟渠渠。姻媾云會,充路盈衢。悠悠群司,岌岌其車。傾都蕩邑,爰迄爾居。魂而有靈,庶可以娛。嗚呼哀哉。
『古文苑』卷二十
よって曹沖の生没年は196-208年ではなく、198-210年とすべきであろう。
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