白馬将軍龐統 其の二

前回の続き。
・白馬将軍龐統 - 尚書省 三國志
http://d.hatena.ne.jp/kyoudan/20171028/1509172209

なぜ龐統が白馬将軍と号した(事になっている)のか、「龐統」と「白馬」で四庫全書を串刺しで検索したところ、南宋・章定『名賢氏族言行類稿』巻三の龐の項目にそれらが並んで記される記述があった。「中國哲學書電子化計劃」にも原文が掲載されていたため、リンクを挙げる。

・名賢氏族言行類稿 : 卷三 - 中國哲學書電子化計劃
http://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=201410#p27

魏志龎徳字令明每戰常陷陣却敵太祖聞其驍勇拜立義将軍常乗白馬關侯軍謂之白馬将軍 後為關侯所得罵侯曰寧為國家鬼不為賊将也 諡䇿曰惟侯戎昭果毅蹈難成名聲莅當時義郄在昔
龎涓字子異以忠烈聞拜駙馬都尉遷西海太守
蜀志龎統字士元為南州士之冠冕 守耒陽令在縣不治免官魯肅曰龎士元非百里才也使處治中别駕始當展其驥足先主以為治中從事

葉廷珪が『海録碎事』を編纂するために章定『名賢氏族言行類稿』を参照した際に、龐徳に関する内容を龐統の事と取り誤った可能性があろう。これ以外にも可能性があるかもしれないが、可能性の一つとしてとどめておきたい。