大興寺の関連資料の翻刻『拾遺都名所図会』巻二 左青龍尾

続いて秋里籬島 著,竹原春朝斎 画『拾遺都名所図会』安永九年(1780)についてである。今回の底本は天明六年(1786)の再板本を用いる。

芝藥師
迎称寺乃西尓隣る。霊芝山大興寺と号須。元大宮五辻尓あり。今芝薬師町とい不。古ハ天台今禅宗と奈る。東福寺の譚月寂澄禅師中興須。

芝薬師
迎称寺の西にとなる。霊芝山 大興寺と号す。元、大宮五辻にあり。今芝薬師町という。古は天台、今禅宗となる。東福寺の譚月寂澄禅師中興す。

本尊藥師佛
運慶の作坐像三尺五寸。十二神將同作、立像三尺計。寺記曰本尊ハ後鳥羽院勅願所。佛工運慶可詔奈利天、坐像一軀を造らしめ玉不。叡山乃如来ハ婦人登る事を得多れハ、三宮の為免尓禁闕の西能方耳四町四方の地飛ら起、佛殿法堂庫裏僧塔山門鐘楼方丈等を建玉不。其後参議従三位武蔵守源朝臣皈依甚握しと云云。

本尊薬師仏
運慶の作、坐像 三尺五寸。十二神将 同作。立像 三尺ばかり。寺記に曰く、本尊は後鳥羽院勅願所。佛工運慶が詔なりて、坐像一躯を造らしめ玉ふ。(比)叡山の如来は婦人登る事を得たれば、三宮のために禁闕の西の方に四町四方の地ひらき、佛殿・法堂・庫裏・僧塔・山門・鐘楼・方丈等を建玉ふ。其後、参議従三位武蔵守源朝臣帰依甚握しと云々。

関羽
當寺尓あり。寺記曰、將軍尊氏公ある夜の夢尓女来里告て云、今汝丹百戦百勝の術を教へん。大元國尓軍神を求て信仰春へしと。霊夢能古とく元朝尓求る尓、関羽將軍乃像を送ら類ヽ。尊氏此寺の傍に安置し玉不。

関羽
当寺にあり。寺記曰く、将軍尊氏公ある夜の夢に女来り告げて云う、今汝に百戦百勝の術を教えん。大元國に軍神を求て信仰すべしと。霊夢のごとく元朝に求るに、関羽将軍の像を送らるる。尊氏此寺の傍に安置し玉う。