八斗島稲荷神社

「北関東三国志ツアー」4箇所目。これまでは渋川市の寺社を巡ってきたが、今度は伊勢崎市八斗島町に場所を移す。当初は猿田彦神社の後に渋川市内にある喫茶店「しょっかつ珈琲」へ足を延ばす予定であったが、時間の都合により断念…

榛名神社から始まった三国志ツアーもついに最後となる。

八斗島と書いて「やったじま」と読む。八斗島町は利根川流域にある町で、元々は稗島という中洲であった。後に村に格上げとなり、開拓した里長である八斗兵衛宗澄の名より村名を八斗島と付けられたそうである。稲荷神社の由緒は次の様に伝わる。なお年号の表記や句読点は補った。

当社ハ天正年間(1573~1593)、今ヲ去ル四百余年前創立シテ、当時那波城主大江顕宗、奥州九戸戦争ノ際討死セシカバ、其ノ民境野主水正吉澄・五十嵐無兵衛知徳ノ両人、遺志ヲ奉ジテ、当国利根川中洲稗島ト云ウ所来ノ荒野ヲ開拓シテ田野トナシ、並ニ、五穀五柱ノ神ヲ勧請シテ祭祀ス本社即チ之也。

 又地名改メ八斗島ト云ヒ、吉澄ノ子八斗兵衛宗澄・知徳ノ子ト共ニ、其ノ志ヲ継ギテ耕耘鋓鋤ニ怠リナカリシカバ、衆人其ノ徳ヲ感ジ遠近ヨリ集リテ現今ノ如キ村落トナレリ。

 安政二年(1855)三月一五日、名主五十嵐八兵衛・組頭五十嵐善兵衛・仝境野半右エ門・仝五十嵐茂兵衛・仝黒沢弥右エ門・仝境野三郎右衛門等ノ協力ニ依リ上棟スルヤ、稲荷神社鎮座祭神・蒼稲荷魂命・大宮姫命・大田命・大己貴命保食命ノ神々ヲ祀リシモ、現在ノ本殿ハ元下福島八郎神社デ、間口一間奥行五尺ノ本殿ヲ、明治四十三年(1910)村社指定トナルヤ、豊武神社ト合併シ、同四十三年八月大洪水ノ為、戸数六二戸全村床上浸水シテ、県ヨリ見舞金トシテ金百圓也ヲ受ケ、其ノ金ニテ当時世話人小暮幸次郎・境野誉三・境野吉之助・氏子総代境野長太郎・境野仙三・境野誉三・五十嵐弘次郎・黒沢東馬・社掌荻野美恭・仝牛久保瓶哉ノ相談結果、右下福島本殿ヲ金六拾圓也ニテ買求メ残金ハ雑費トシテ、現在本殿ニ鎮座スルヤ軈テ当社ヲ稲荷社ト尊称シ其ノ徳ヲ表彰セリ。

 爾来遠近相伝ヘテ豊作ノ神トナシ賓者常ニ絶エズ、本社祭日ハ毎歳陰暦二月初午ノ日及九月二九日両日也。

 本社ハ木造作リニテ桁一五尺五寸、杉材三面作リニ破風造、向拝付茅葺一五坪二合二勺 宅地ハ三百七十坪ノ民有地デアル。

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由緒にあるように、明治四十二年(1909)に八郎神社(伊勢崎市福島町)が豊武神社(群馬県伊勢崎市大正町)へ合祀された。その翌年に起こった大洪水の見舞金を元手に、八郎神社の本殿を譲り受け、八斗島町の稲荷神社へ移築するに至ったようである。本殿移転の夜は「大風が吹き荒れ雷鳴が轟いた、という伝承が残る」と稲荷神社で作業をされていた町民の方に教えていただいた。

 

境内には鳥居と本殿があり、その周囲を身長ほどの高さの玉垣や柵で囲まれる。本殿脇には町の集会場を有す。八斗島稲荷神社の三国志はこの本殿に見える。本殿は東向きで、東側を除いた3方面の胴羽目と、左右の脇障子に三国志を題材にした作者不明の彫刻が施されている。最後の最期で、このツアーで散々悩まされた金網の呪縛からようやく解放された。

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参道より

 

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本殿

 

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まずは北側。「三顧茅廬」を題材にした彫刻が胴羽目に見える。言わずもがな、ここでは諸葛亮の廬を訪ねる劉備関羽張飛、彼らを迎える童子、そして右上の廬には昼寝(?)する諸葛亮が配される。

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昼寝をする諸葛亮。とてもかわいい!

 

続いて西側の後壁。こちらには左右の脇障子と胴羽目に三国志の彫刻が施されており、向かって左脇障子には劉禅を抱く趙雲が、胴羽目には趙雲を追う曹操軍の兵士である。こちらも定番の「趙雲救幼主」である。この兵士たちの中で騎乗する人物は、演義の内容からおそらく張郃ではないかと思われる。

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西側全景
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左脇障子。単騎駆けする趙雲
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胴羽目には趙雲を追う曹操軍の兵士たち

 

最後は西側向かって右脇障子には長坂橋の上で蛇矛を突き立て大喝する張飛が、また南側の胴羽目には張飛から逃げている曹操軍の兵士たち(?)が描かれる。「張飛大鬧長坂橋」である。曹操軍の兵士と思われる人物たちに特筆すべき特徴がなく、どれが誰なのか特定にはいたらなかった。馬に乗る人物は将軍クラスの人物ではないかと推測する。

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右脇障子には仁王立ちする張飛
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南側胴羽目。張飛から逃げる曹操軍の兵士たちか?

 

これらの彫刻には、木目などに塗料材の付着を見受けることができなかった。このことから彩色は施されていなかったものと思われる。

 

八斗島稲荷神社は少しアクセスしにくい位置に所在するが、本殿の彫刻はいずれも丁寧に作りこまれており非常に見応えあるものであった。

 

 

 

 

今回の「北関東三国志ツアー」では、三国志ファンにほとんど知られていない群馬県内の寺社の三国志作品を巡ってきた。全ての彫刻作品に共通することは、三国志演義の名場面を題材にしている、ということである。『絵本通俗三国志』の登場を機に江戸時代に爆発的な三国志ブームが起こった。そのためやはり劉備陣営の人気が非常に高く、どの作品も漏れなく劉備陣営が主体の場面が題材になっていた。当時の三国志受容の一端を垣間見ることができた。

 

狭い地域でこれだけ複数の作品が点在することから、群馬県には他にもこのような彫刻作品が人知れず眠っているのかもしれない。3回目の三国志ツアーの開催の実施に向けて、引き続き北関東地域の寺社を中心に三国志作品の探索を行いたい。

 

〒372-0827

群馬県伊勢崎市八斗島町1406