日本では古代から感謝や祈り、慰霊などのために神仏や祖先を祀る行為として祭りが執り行なわれてきた。今日では地域ごとに多様化した様式の「祭り」が伝わり、今日もまたどこかで行われている。
今回はそんな「祭り」の中に息づく「三国志」に注目したい。日本では『三国志演義』(李卓吾本)を翻訳した『通俗三国志』が江戸時代に刊行され、後にそれに挿絵を付けた『絵本通俗三国志』が登場した。それを機に日本では爆発的な人気を博し、広く読まれることとなった。
既に多くの先生方が論文や書籍などで述べられているように、歌舞伎や浄瑠璃、パロディ本、川柳などの最先端の流行にも「三国志」の要素が取り込まれ受容された。
もちろん「祭り」も例外ではない。例えば山車に乗る人形が三国志の人物であったり、山車に施される彫刻が三国志演義を題材にされていたりする。三国志がどのように受容されていたのか、また三国志の人物を当時の人はどのように捉えていたか…垣間見ることができよう。
前置きが少し長くなってしまったが、今回は現代に伝わる当時の人々の三国志「愛」がどのような形で残っているのか、以下に列挙していきたい。なお郷土資料にアクセスできないため、リストアップする程度にとどめる。
凡例
祭りの名称(開催日程)
「三国志の見える山車など」(所有町村名)
人形作成年:元号(西暦)
人形作者:名前
※備考
とちぎ秋まつり(隔年11月中旬)
「劉備玄徳」人形山車(万町一丁目)
人形作成年:明治二十六年(1893)
人形作者:三代目原舟月
「関羽雲長」人形山車(万町二丁目)
人形作成年:明治二十六年(1893)
人形作者:三代目原舟月
「張飛翼徳」人形山車(万町三丁目)
人形作成年:明治二十六年(1893)
人形作者:三代目原舟月
寄居秋まつり(例年11月第1日曜と前日の土曜)
「関羽」人形山車(栄町)
人形作成年:明治二十六年(1893)
人形作者:初代原舟月
※関羽人形は経年劣化のため、祭りの際は山車には乗せず寄居会館ホールにて展示される。
桶川祇園祭(例年7月15日~16日)
「関羽人形」鉾山車(榮町)
人形制作年:明治二十五年(1892)六月
人形作者:松本喜三郎
※かつては山車に人形を載せていたが、大正十二年頃より電線などの接触を避けるため現在は山車から降ろされ祭期間中は会館にて展示される。山車に乗せていたこともあり、少しうつむき気味に作られる。
佐倉の秋祭り(10月三連休)
人形制作年:不明
人形作者:三代目原舟月
備考:明治十二年(1879)に人形を購入。
佐原の大祭秋祭り(例年10月第2土曜を中日とする金~日曜)
「仁徳天皇」人形山車(南横宿)
人形作成年:大正十四年(1925)
人形作者:三代目安本亀八
※山車は明治八年(1875)創建。明治九年~十九年(1876~1886)の10年もの歳月をかけて彫り上げた「桃園結義」をはじめとする三国志の名場面の彫刻を有する。
ところざわまつり(10月第2日曜)
人形制作年:江戸後期(文化~天保年間頃か)
人形作者:二代目原 舟月
備考:かつて周倉人形は張飛と思われていた。5年に1度披露される。
塩尻祭り(毎年7月第2日曜と前日の土曜)
「関羽」人形舞台(上町)
人形制作年:天保三年(1832)
人形作者:指物屋「久次郎」
※初代の舞台(山車)は江戸時代後期頃の作。老朽化などにより彫刻や飾り金具を残し、平成七年(1995)6月に復元。関羽人形は当初のもので2017年より1年の歳月をかけて修復修理。
城端曳山祭(例年5月4日~5日)
人形制作年:寛政八年(1796)
人形作者:荒木和助
備考:荒木和助が「主従二体様式」で作成。
新湊曳山まつり(例年10月1日~2日)
「諸葛孔明」人形曳山(古新町)
人形制作年:文政五年(1822)
人形作者:辻丹甫(1722~1805)
人形制作年:文政五年(1822)
人形作者:辻丹甫(1722-1805)
※明治末期に劉備人形を欠き、現在の二体のみとなった。
越中八尾曳山祭(例年5月3日)
「在原業平と供女」人形曳山(上新町)
人形制作年:未明
人形作者:未明
※富山2代目藩主前田正甫より雛人形を拝受。それを御神体として使用する。曳山の彫刻(大彫)に「関羽書を読むの図」(彫師:田村与八郎、彩色:永信斉藤原良得)、明治七年(1874)作を有する。
石動曳山祭(石動愛宕神社の春季祭礼)(例年4月29日)
「関羽」人形曳山(北上野町)
人形制作年:寛政十年(1798)
人形作者:未明
氷見祇園祭(例年7月13日~14日)
「布袋和尚」人形曳山(御座町)
人形制作年:未明
人形作者:未明
※「布袋和尚」人形曳山の後屏(鏡板)に劉備・関羽・張飛像の彫刻を施す。
尾張西枇杷島まつり(例年6月第1土曜と翌日曜)
紅塵車(西六軒町)
人形制作年:文政十年(1827)
人形作者:三代目玉屋庄兵衛
※人形のからくりは「華陀の舞」と言います。大将の関羽が戦で毒矢を受け華陀と言う医者が治療をしている時、どこからともなく鳥が飛んできて舞いを舞い、痛みを和らげたという「三国志演義」の故事によるものです。
山車の名の「紅塵」とは、「太陽に反射して塵があかね色に輝く様子、栄えた町に起こるチリ・ほこり」の意味で、町内がますます繁栄するようにと名付けられた、とのこと。関羽の顔が由来ではない。
尾張津島秋まつり(例年10月第1日曜と前日の土曜)
「関羽」人形山車(上町)
人形制作年:未明
人形作者:未明
※大将座には中国三国時代の蜀の武将関羽。中山のからくりは小唐子が大唐子に肩車されて横棒にぶら下がり、お囃子に合わせて前回転したり後回転したりしてまた元に戻る動作をする。
半田春の山車祭り(乙川地区)(例年3月第3日曜と前日の土曜)
浅井山「宮本車」
※安政六年(1859)建造、昭和二十五年(1950)に改造。壇箱には立川和四郎冨重 作「竹林の七賢人」の彫刻が、蹴込彫刻には初代彫常(新美常次郎)による「桃園結義」などの三国志の名場面計10種もの彫刻を有する。
南山「八幡車」
※天保年間(1830~1844)建造。壇箱に初代彫常(新美常次郎)作「桃園の三傑」の彫常を有する。なお劉備は未確認。
半田春の山車祭り(亀崎潮干祭)(例年5月3日~4日)
田中組「神楽車」
※元禄~享保年間(1688~1736)創建。現在の山車は天保八年(1837)に再建。前山蟇股に「桃園結義」の彫刻が、脇障子には「阿斗を抱く趙雲・張郃」の彫刻が施される。いずれも立川常蔵昌敬 作。
半田春の山車祭り(協和地区)(毎年4月第2日曜と前日の土曜)
砂子組「白山車」
※大正三年(1914)建造。脇障子には初代彫常(新美常次郎)の「関羽と張飛」大正二年(1913)作を有する。また壇箱の彫刻は初代彫常(新美常次郎)の「三国志」されているが、樊噲がいることから題材は「鴻門之会」。
大津祭(第2月曜の前前日土曜と翌日曜)
孔明祈水山(中堀町)
人形制作年:享保五年(1748)頃か?
人形作者:未明
※元禄七年(1694)創建、万延元年(1860年)に福聚山から現在の「孔明祈水山」へと名称を変更する。
日野祭(馬見岡綿向神社の春の例祭)(例年5月2日~3日)
蘭香閣 曳山(河原田町)
※創建宝暦年間(1751~1763)以前。元治元年(1864)再建。大工は清雲仁兵衛。平成六年(1994)に復元新調された見送り幕「三國志」は、劉備から届いた書簡を関羽と張飛が拝読中の図が刺繍される。
亀岡祭(山鉾行事:例年10月23日~25日)
翁山鉾(三宅町)
※文政十二年(1829)再興。西陣大型綴錦の前懸幕には「桃園結義図」を描く。
射和祇園祭(例年7月中旬頃の土・日)
三栗組「関羽山」(中之町)
人形制作年:安永九年(1780)~天明元年(1781)頃
人形作者:未明
※中の人形は関羽と張飛、とされているが、「張飛」人形が青龍刀を手にすることから、おそらく関羽・周倉人形のように思われる。
天神祭り(毎年7月24日が宵宮、25日が本宮)
御迎え人形「関羽」
人形制作年:元禄頃
人形作者:未明
※人形の題材は歌舞伎十八番『閏月仁景清』より。かつて船に高く人形を掲げて神霊を迎えた御迎え人形。当初は44体以上存在したが現在は15体を残すのみとなった。天神祭りの開催に伴い、7月1日~25日まで一部の人形を会場周辺の施設に特別展示される。
田辺祭(闘鶏神社例大祭)(例年7月24日~25日)
「関羽・神宮皇后」笠鉾(片町)
人形制作年:未明
人形作者:未明
※関羽人形は24日の宵宮に、神功皇后は25日の本祭に飾られる。
以上、23ヵ所の「祭り」をリストアップしてみた。時間を許す限り調べると他にもまだまだ見つかりそうである。
さて上述した「祭り」の会場と、その「祭り」で観ることが出来る「三国志」の画像を以下の地図に落とし込んでみた。もし興味がある方は参考にしていただければ幸いである。
それにしても改めて日本人は三国志が好き、ということを認識した。