妙見大菩薩妙見堂
以下の記事の続き。
「鳥辺山妙見堂」や「妙見大菩薩妙見堂」などと呼ばれる日蓮宗 智積院は、清水寺の南に広がる大谷墓地のど真ん中に鎮座する。本尊は妙見大菩薩を祀る。
その由緒は資料を逸したことにより不明である。当初は浄土宗観音寺であったが、享保六年(1721)に日體上人により日蓮宗に改宗したとされる。
一の鳥居
二の鳥居・本殿
境内は山門や御堂、妙見堂(本殿)、絵馬堂が並ぶ。南を向く本殿の西側には、清水寺の本殿と同じく舞台造りの絵馬堂が連なっている。
絵馬堂・本殿
絵馬堂
古くから妙見堂は名所の1つだったようで、元治元年(1864)に刊行された『花洛名勝図会』巻之七に当時の様子が描かれている。
『花洛名勝図会』より
妙見堂の「三国志」は本殿に掛けられており、その後壁部に観ることが出来る。例によって題名が今日には伝わっていないため、今回も便宜上「仮題」を付けて以下に見ていきたい。
「関羽図」
大きさは縦およそ 1m、横およそ 1.4m。卓子に左肘を預け、毛皮の上に座り『春秋』を読む関羽が描かれる。
やはりこの関羽も緑色の幘と袍に身を纏う。しかしながら深い緑色ではなくエメラルドグリーンのような明るい色で表されている。袖や肩口には鱗のような模様が見えることから、龍かなにかが袍に描かれていたと思われる。
顔は当然のように赤く、細く切れ長の吊り上がった目に、鳩尾あたりまで伸びる長い鬚髯を蓄える。特筆すべきは布袋尊のようなふくよかな腹部で描写されていることであろう。
「関羽図」
絵馬の左上部には右書きで「奉納」と彫られる。右側上部(関羽の左上腕の右側)には筆者の署名と落款が上下に2つ並んでいるのが確認できるものの、識別することができない。
署名と落款
また左側には奉納年月を記した墨書が見えるものの、「文政」の二文字が何とか読める程度で、それ以降の内容は不明である。
墨書。画像を加工してやっと一部が分かる程度の状態である
残念ながらこの「関羽図」は文政年間(1818~1831)に奉納された、ということ以外一切が未明であるが、他の寺社の関羽図には見えないユニークな姿で描かれているため一見の価値があると考える。清水寺へ参詣した後はこちらの関羽も是非会って欲しい。
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