(黃初四年三月)丁未,大司馬曹仁薨。
中華 孔明
・北関東三国志ツアー - Togetter
https://togetter.com/li/1207807
北関東三国志ツアーその2。
・聖天宮 - 尚書省 三國志部
http://d.hatena.ne.jp/kyoudan/20180314/1520957334
聖天宮を後にし、続いては腹ごしらえをすべく埼玉県深谷市に所在する中華 孔明へ向かうことに。
「孔明」は、ご存知の通り三国志に登場する諸葛亮という人物の字。
そんな三国志に因んだ店名ということもあり、今回のツアーに組み込んでもらいました。
聖天宮からは北へおよそ40kmほどの場所に位置する。
北伐である。
道中は渋滞に遭うこともなく、およそ50分。無事に中華 孔明に到着した。
広い駐車場を備えており、お店は白い建物に赤い「孔明」の文字。「面如冠玉,脣若塗硃〜」という演義の一文を踏襲したのではないか、と思う外観であった。孔明の上にある緑文字の「中華」は綸巾を表しているのだろうか…
お店の入口横には「準備中」という看板が見えるが、慌てるなこれは孔明の罠だ!こうなっている理由は後ほど察することになるが、閉店しているわけではない。初見殺しの罠だろうと思いがなら、いざ店内へ。
店内は、テーブル席にカウンター席、奥には座敷席まであり程よい広さである。
ご主人と奥様の二人で切り盛りされているようであった。入ってすぐのところには漫画ばかりが並んだ本棚があり、横山『三国志』があるかなーと期待しながら覗くと残念ながらそれはなく、代わりにまさかの『龍狼伝』が、しかも最新刊の王霸立国編2巻までしっかりと揃えられていた。スゴい!
4人で訪店だったので、奥様に奥の回転テーブルの座敷席に案内される。着席しメニューを眺めていると、三国志関連の語句が見当たらず、三国志要素は店名と本棚の一角だけのようであった。しばらくすると奥様より「ご飯が切れてしまっている」と宣告を受ける。ランチタイムは14時までなのに12時40分でそうなるのは早すぎるのではないか…、だから看板を準備中にしたのかな、等と邪推しつつ再び視線をメニューに戻す。ご飯がなくては定食すべてがご飯抜きに、丼ぶりモノやチャーハンもオーダー自体が叶わず、まさかの兵糧責めに遭ってしまった。今回は単品メニューで攻めることにして、今度は定食をいただきに訪店したい。
メニュー。左側が「ご飯抜き」の特別仕様
先述したように深谷市にお店がある。せっかくなので深谷で有名なものを…つまり深谷ネギをと考え、「辛口ネギラーメン」を注文した。
ネギも含めて真っ赤であるが、見た目以上に辛すぎず、また刺激も強すぎずで丁度いい辛さであった。ご飯があればベストであろう。次回定食でいただきたいものである。
完食後に気付いたがこれだけ辛くては深谷ネギの持つ本来の味がわからない。そもそも深谷ネギの味すら知らないし、ネギラーメンに使われていたのかさえ分からないが、まあ特に気にすることではなかろう。
会計時に不躾ながら奥様に「なぜ孔明という店名」なのかと伺ったところ、どうやらご主人が三国志が好きで「孔明」になったそうだ。ご主人とゆっくりとお話をしたかったが、厨房で作業をされていたため、あえなく撤退。
今回は不完全燃焼に終わってしまい、少しだけ胸にモヤモヤした気持ちを抱くことになってしまったが、ご縁があれば今度は定食を攻めに訪店したい。
腹ごしらえを無事(?)に済ませたので、次の目的地へと向かうことにした。
〒366-0042
埼玉県深谷市東方町3丁目28−7
・孔明 - 深谷/中華料理 [食べログ]
https://tabelog.com/saitama/A1105/A110503/11036123/
聖天宮
2018年3月10日(土)〜11日(日)の2日間にわたって敢行した「北関東三国志ツアー」。そのレポートをいくつかの頁に分けて記したい。ツアーの概要については以下のまとめを参照されたい。
・北関東三国志ツアー - Togetter
https://togetter.com/li/1207807
さて北関東三国志ツアーその1。
埼玉県坂戸市の東武東上線 若葉駅より東へ、歩くこと約20分。住宅や工場地帯を抜けた先に広がる田園地域に、極彩色の大型建造物が突如現れる。一瞬にして中国や台湾へ来たしまった…と錯覚を覚えてしまうほどである。この建物は国内最大級の道教施設「聖天宮」で、横浜の関帝廟や媽祖廟よりも遥かに規模が大きい。
・五千頭の龍が昇る聖天宮 | 公式ホームページ
http://www.seitenkyu.com/map.html
なぜこの地にこのような施設があるのか。坂戸市と中国や台湾との都市が姉妹都市として、もしくは友好都市として関係があるのではないか、と普通は思うであろう。しかしながらそういった国際的な関係もなければ何一つ縁もないのである。
聖天宮のホームページやリーフレットによると由来は次の通りである。今回は後者より引用する。
聖天宮の建て主は康國典大法師。四十歳半ばにして藤の大病を患い、ご本尊「三清道祖」と演義をもたらされたのを期に一命をとりとめ、完治されました。深謝の念と、何人にも神様のご利益にあやかれるお宮を建てたくて建造の地を探していたところ、なんと生国の台湾ではなく日本国のこの地にとお告げを授かりました。聖天宮の名、佇まいや方角もお告げがあり、当時、正面の道、最寄の若葉駅もなかった雑木林のこの地を一から整地し昭和五十六年より着工に至りました。台湾の一流の宮大工を呼び寄せ、十五年を掛け、平成七年に聖天宮を開廟しました。
神様のピンポイント過ぎるお告げによって建てられたそうだ。とんでもない神様である。偶然にもバブル期と重なったこともあってか、広大な敷地にとんでもなくデカい箱を造ったのであろう。
聖天宮は天門・前殿・鼓楼・鐘楼・本殿・寿金亭を構えており、いたるところに施された龍の彫刻や塑像、彩画に壁画などが目に入る。横浜「関帝廟」では『封神演義』を題材にした像が屋根を飾っていたが、ここでは様々な道教神をモチーフにした像が並んでおり、まさにオールスター状態であった。外見が非常に似通った神仏も多いため、推測はできるが果たしてそれがそうなのか断定には至らない像ばかりであった。
その中でも比較的わかりやすい特徴を持った関羽像だけは何体か発見することができた。
左下に赤兎馬に跨る関羽
本殿には三清道祖(元始天尊・霊宝天尊・道徳天尊)を本尊に、それらの前には等身大ほどの北斗・南斗星君、四聖大元帥が置かれる。残念ながら本殿内の神仏について解説した案内板には四聖大元帥のみと記すだけで、どれが誰なのか言及されていなかった。それぞれの持物や色等より考えるに、三清道祖に向かって左手前、左奥、右奥、右手前の順(時計回り)に殷霊官、馬霊官、趙元帥、そして温元帥であろう。この馬霊官はこのブログで度々取り上げている華光大帝(華光菩薩)である。これまで黄檗宗寺院の華光像しか目にしたことがなかったため、この姿を初めて生で目にできたため、新鮮に感じたとともに、胸が熱くなった。
本殿
趙元帥像(趙公明)
本殿を後にして続いては客庁内へ。そこには中華系のインテリアが飾られていたり、聖天宮のお守りや台湾のドリンクが入った自動販売機やペッパーくんが設置されていた。ペッパーくんはチャイナ服に身を包み、辮髪スタイルであった。かわいい!
ペッパーくん。残念ながら稼働しておらず…
そのペッパーくんのほぼ正面の位置に、手の込んだ素晴らしい彫刻の天板を張った円卓が置かれており、よくそれを見ると「三戦呂布」であった。おわかりいただけるだろうか。
「三戦呂布」卓。持って帰りたいほど細部まで作りこまれていた。
他には三国志な曹植もとい装飾がないか鐘楼に登ったり、彩画や塑像を穴が開くほど鑑賞しつつ捜したが、先述した関羽像や三戦呂布卓だけしかなかった。他の道教施設は観光地となっているため喧騒としているが、聖天宮はそこにはない落ち着いた雰囲気の中で、まったりとお参りをしたり像等を鑑賞をしたりと非日常的な空間を存分に楽しむことができた。
「一番近い台湾」と宣伝に謳っていることだけはあるな、と次の目的地に向かう車内で実感が湧いた。
〒350-0209
埼玉県坂戸市塚越51−1
「THRee'S」公演DVD入手
半年ほど前に紹介したように、2017年9月15日(金)〜9月24日(日)に渋谷区のCBGK シブゲキ!!にて公演された4S企画「THRee'S」(全14ステージ)。もちろんTwitterにて投稿したように9月16日の公演回を観劇した。
熱心な三国志兼観劇クラスタなので、これから「THRee'S(再演)」を観劇してきます! pic.twitter.com/I49WnlA4bW
— 繁団 (@Vitalize3K) 2017年9月16日
・「THRee'S」公演(2017年9月15日〜9月24日) - 尚書省 三國志部
http://d.hatena.ne.jp/kyoudan/20170716/1500170890
DISKは1枚で、本編(02:40:00)のみを収録する。今回はENGではなく4S企画による公演のため残念ながら特典のオーディオコメンタリーはない。本作のあらすじは先述したリンク先の記事に記しているため今回は割愛する。物語はENG第二公演「THRee'S」と同様の内容であるが、出演キャストと舞台装、および演出のみが異なる。
白井恵理子『STOP劉備くん!!リターンズ!(1)』入手
「白井式三国志」の通称でお馴染みのSTOP劉備くんシリーズ。2011年にメディアファクトリーより出版された『劉備くん 阿斗のまつり』を最後に新刊の刊行が止まった。先日2018年2月20日(火)に実に7年ぶりとなる新刊『STOP劉備くん!!リターンズ!(1)』が発売された。今回の表紙は大きくプリントされた描きおろしの諸葛亮が目印である。出版された週末に書店へ足を運び無事に入手することができた。
本書の内容はwebコミックトムにて2014年9月20日(土)〜2015年6月20日(土)まで掲載された9か月分の作品を収録する。現在も連載が続いておりこの内容配分を踏まえると、第3巻までの出版は非常に固く、今年の5月の更新分で4巻収録分の量を満たすこととなるので、続巻の登場が非常に楽しみである。
さて、先述したようにこれまで「白井式三国志」は『コミック三国志マガジン』にて連載されていたため、メディアファクトリーよりシリーズが刊行されていた。しかしながら今回は潮出版社のwebコミックトムへと連載の場が移ったため、潮出版社からの刊行である。そのためサイズが従来よりも少し大きくA5版で、紙も少し厚くなっており表紙も硬いため、かなり読みにくいと感じてしまった。内容は非常に楽しめるため特に言うことはないが、背表紙や紙質をはじめとするデザイン面がこれまでと大きく異なるため、本棚に並べると統一感がなく…非常に遺憾である。
面白い作品なのに、潮出版社はうまくそれを活かせていない気がしてならない。
- 作者: 白井恵理子
- 出版社/メーカー: 潮出版社
- 発売日: 2018/02/20
- メディア: コミック
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野川博之『明末仏教の江戸仏教に対する影響』入手
先月、二階堂善弘先生より黄檗宗と曹洞宗の関係をより理解するための資料として野川博之『明末仏教の江戸仏教に対する影響』(山喜房佛書林,2016年)を教えていただいた。曹洞宗にとって黄檗宗の関わりが所謂「黒歴史」になっているそうで、一般的に流通している書籍などでは交流があったことや黄檗宗の影響を大きく受けた等々…そのような関係すら触れられてず、また曹洞宗側も徹底して資料を処分してしまったそうで、現在は黄檗宗との交流や教化があったことすら歴史の闇に葬られてしまっている。
かねてより個人的な関心として黄檗宗の将来とともに日本に伝わり、ごく一部の黄檗宗寺院にてお祀りされている華光菩薩像がなぜか各地の曹洞宗寺院でも置かれている事例がある。その多くは尊名を「華光菩薩」ではなく「大権修利菩薩」と誤ってしまっている。なぜ黒歴史なのか、なぜ黄檗宗特有の像が曹洞宗にもあるのか。それを紐解くための資料として本書を教えていただいた。その際に実物を目にしたが、目にすると読む気が失せてしまうような分厚さで、まさかの1000ページ超え。さらに重たく高額であったため非常に躊躇してしまったが、かなり綿密に調べられており参考になることが多かったため、そして黄檗宗の歴史についてより理解するために発注するに至った。
さて本書の目次はCiNii等では公開されていなかったため、せっかくなので書誌情報とともに以下に挙げたい。もし資料として購入等を検討されている方の参考になれば幸甚である。
全九章にもわたり、様々なことが論じられているため、読みごたえは抜群である。
・明末仏教の江戸仏教に対する影響 (山喜房佛書林): 2016|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I027514028-00?ar=4e1f&lat=&lng=
目次
序(田中智誠)
はしがき
凡例
本書の概要序論(3)
第一章 伝記と著述(17)
- 序節(本論全体の構成および本章の概要)
- 第一節 先行研究
- 第二節 高泉の略伝
- 第一項 主要な伝記資料
- 第二項 高泉の主要な事蹟
- 第三節 黄檗三祖および宗内余師との道縁
- 第四節 主要著の概観
- 第五節 日本における接化の概観
- 第一項 三祖を継承した側面
- 第二項 高泉独特の破旧的側面
- 結語
第二章 渡日以前の思想的系譜(111)
- 序節
- 第一節 明末清初の福建仏教
- 第二節 黄檗三祖の同時代閩・浙高僧らとの接触
- 第三節 高泉の福建高僧らへの私淑および師事
- 第一項 高泉が私淑した福建の高僧諸師
- 第二項 如幻との道縁
- 第三項 蓮峰との道縁
- 第四項 為霖との道縁
- 第四節 いわゆる居士仏教との交流
- 結語
第三章 在来二大禅宗との交流(231)
- 序節
- 第一節 高泉以前の黄檗教団の在来二大禅宗との関係
- 第二節 妙心寺との関係修復
- 第一項 高泉の関山像
- 第二項 隠渓智脱への共感
- 第三項 その他の妙心寺関係者との交流
- 第三節 非妙心寺系諸派との交流
- 第四節 曹洞宗僧侶との交流
- 第一項 高泉の曹洞宗観
- 第二項 鉄心道印
- 第三項 桃水雲渓
- 第四項 卍山の代付批判
- 結語
第四章 教宗諸師および儒者との交流(291)
- 序節
- 第一節 一乗院宮真敬法親王
- 第二節 真言律宗諸師との交流
- 第一項 同時代の真言律宗の状況
- 第二項 天圭照周・湛慧周堅師弟
- 第三項 快円・真譲
- 第四項 本寂慧澂
- 第五項 その他の律師たち
- 第三節 真言宗僧侶との親交
- 第一項 真言宗接近の背景
- 第二項 運敞
- 第三項 雲堂
- 第四項 彦山亮有
- 第四節 浄土律僧侶師弟との道縁
- 第五節 儒者との交流
- 結語
第五章 『黄檗清規』の背景(415)
- 序節
- 第一節 明末戒律復興運動に関する先行研究
- 第二節 初期黄檗教団における戒律制定の動き
- 第三節 同時代の清規・戒律主義者への影響
- 結語
第六章 苦行の実践と日本への導入(541)
- 序節
- 第一節 中国仏教にみる苦行
- 第一項 主要な先行研究
- 第二項 初期黄檗教団における苦行の実践
- 第二節 焼身供養の諸形態
- 第三節 経典血書の実践
- 第一項 中国仏教における血書の起こり
- 第二項 高泉およびその門下の経典血書
- 第三項 他宗派僧侶の経典血書
- 第四節 掩関の実践
- 第一項 掩関の起こり
- 第二項 日本における掩関の歴史
- 結語
第七章 高泉の文字禅(619)
- 序節
- 第一節 徳洪『石門文字禅』の成立と後代への影響
- 第一項 宋代禅宗における「不立文字」の崩壊
- 第二項 文字禅の定義と先行研究
- 第二節 明末禅宗における文字禅への評価
- 第一項 達観真可の徳洪礼讃
- 第二項 蘊上達夫『集文字禅』
- 第三節 法語・詩文に見る高泉の文字禅観
- 第一項 復権における「文字禅」との出会い
- 第二項 同時代の福建高僧の文字禅観
- 第三項 「不立文字」との板ばさみと弟子への訓戒
- 結語
第八章 高泉の僧伝編纂(673)
- 序節
- 第一節 先行研究
- 第二節 黄檗列祖の僧伝編纂
- 第一項 費隠の『五燈厳統』
- 第二項 隠元の修史・詠史
- 第三項 則非の修史・詠史
- 第四項 独湛の往生伝編纂
- 第三節 高泉による僧伝の概要
- 第一項 僧伝作者への道
- 第二項 卍元帥蛮からの資料借り出し
- 第三項 『扶桑禅林僧宝伝』(正編)の特色
- 第四項 『続扶桑禅林僧宝伝』の特色
- 第五項 『東渡諸祖伝』の特色
- 第六項 『東国高僧伝』の特色
- 第七項 別表緒言
- 第四節 卍元師蛮の黄檗僧観
- 第五節 同時代の僧伝への直接的影響
- 第一項 真言宗の僧伝
- 第二項 『律苑僧宝伝』
- 第六節 間接的影響の認められる僧伝
- 第一項 尭怨『僧伝排韻』
- 第二項 祐宝『伝燈広録』
- 結語
第九章 高泉六言絶句の研究(793)
- 序節
- 第一節 六言絶句に関する先行研究
- 第二節 宝誌の六言詩とその信憑性
- 第三節 北宋・徳洪の六言絶句への熱意
- 第四節 明末における六言詩専集の成立
- 第五節 明末禅僧の六言詩製作
- 第六節 高泉六言絶句の概観
- 第一項 六絶作者としての高泉の詩風
- 第二項 『仏国詩偈』に見る六絶作例
- 第三項 『洗雲集』に見る六絶作例
- 第四項 『洗雲集』以降の六絶作例
- 第七節 運敞『瑞林集』に見る六言絶句受容
- 第八節 中国禅僧の遺偈に見る六言詩
- 結語
結論(901)
附録 高泉僧伝の細目(909)
- (一)『扶桑禅林僧宝伝』細目
- (二)『続扶桑禅林僧宝伝』細目
- (三)『東渡諸祖伝』細目
- (四)『東国高僧伝』
主要参考・引用書目(991)
あとがき(1017)
一読するにはどれほどの日にちを要するのか見当すらつかないが3月末までを目標にしたい。先述したように黄檗宗と曹洞宗の関係について興味があるため、まずは三章と五章をゆっくりとページを繰りながら理解していきたい。
- 作者: 野川博之
- 出版社/メーカー: 山喜房佛書林
- 発売日: 2016/05/01
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- 作者: 雲棲しゅ宏,荒木見悟,宋明哲学研討会
- 出版社/メーカー: 中国書店
- 発売日: 2007/06/01
- メディア: 単行本
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大興寺の関連資料の翻刻『雍州府志』巻第四 寺院門上 愛宕郡
久々に大興寺に係る資料の翻刻を。
今回の資料は黒川道祐『雍州府志』貞享三年(1686)である。本書は
安芸国出身の医師である黒川道祐が、後に儒学者の林羅山に学んで歴史家となり、山城国を中国の雍州になぞらえ、地理や沿革、風俗行事、神社、寺院、特産物、古蹟、陵墓などの章に分けて、山城国に所在する8郡それぞれを漢文で記述している。記述は道祐の現地調査に基づいており、中国の地誌『大明一統志』を模している。(wikipedeiaより)
その巻第四「寺院門上 愛宕郡」に大興寺の項目が設けられており、次のように記す。
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在本禅寺北。本尊藥師等持院尊氏公之持佛也。古多寄附之庄園。元天台宗而京北芝町。故世稱芝薬師。今禅宗僧守之。属東福寺。