先日実施された三国志研究会の発表に向け、データを収集していた際に、『演義』第35回「玄紱南漳逢隱淪,單福新野遇英主」にて単福(徐庶)が登場に唄っていた詞がどのように翻訳されたのか以下にまとめてみた。
天地反覆シ 火 殂セント欲ス
大廈将ニ崩レントシ 一木扶ケ難シ
四海ニ賢有リ 名主ニ投ゼント欲ス
聖主賢ヲ捜グリテ 却ツテ吾わヲ知ラズ湖南文山訳『絵本通俗三国志 2編5』(東京同益出版社,1883)P.29
天地反覆して 火 殂せんと欲す
大廈まさに崩れんとす 一木扶け難し
四海に賢有り 名主に投ぜんと欲す
聖主賢を捜ぐりて 却って吾を知らず『通俗三國志 上』(有朋堂,1915)P.681
天地反覆して 火 殂せんと欲す
大廈まさに崩れんとし 一木扶け難し
四海に賢有り 名主に投ぜんと欲す
聖主賢を捜ぐりて 却って吾を知らず
四海に賢あり
明主に投ぜんと欲す
聖主賢をさぐりて
かえつて我を知らず
尾崎士郎『乱世三國志』(湊書房,1951/神正書房,1953)P.196
天地のひっくりかえるのを
ひとりでささえるわけにはいかぬ
力になってやりたいが
なかなかお声がかからない
立間祥介・駒田信二訳『少年少女新世界文学全集34 水滸伝 三国志』(講談社,1963)P.305
天地がひっくりかえるのに
ひとりで防ぐは難しい
あなたはだれかをさがしている
わたしのことなどごぞんじない
小川環樹・武部利男『三國志通俗演義』(岩波書店,1968)P.185
小川環樹・武部利男『三国志 上』(岩波書店,1980)P.285
天地反覆火殂セント欲ス
大廈崩レントシ一木扶ケガタシ
四海ニ賢アリ明主ニ投ゼントス
聖主ハ賢ヲ捜ルモ却ッテ吾ヲ知ラズ
天地反覆、火は殂せんと欲す
大廈まさに崩れんとして一木扶け難し
山谷に賢有りて明主に投ぜんと欲す
聖主、賢を求めながら却って我を知らず
いまの世の中乱れに乱れ
世直し人を待っている
わしに才はあるのだが
用いてくれる人がない
天地のひっくりかえるのを
一人でささえるわけにはいかぬ
力になってやりたいが
なかなかお声がかからない駒田信二訳『三国志』(講談社青い鳥文庫,1985)P.152
駒田信二訳『少年少女世界文学館24 三国志』(講談社,1986)P.180-181
天地さかさま、
昼が暗。
漢の土台が、
総くずれ。
山にも野にも、
『人』は多。
探せ、求めよ、
さらば得む!村上知行訳『ザ・三国志』(第三書館,1987)P.135
天地反覆りて、火〔漢をさす〕は殂んと欲す。
の将に崩れんとするや、一木は扶え難し。
山谷に賢 有りて、明主に投ぜんと欲す。
明主は賢を求むけども、却って吾を知らず。
小川環樹・金田純一郎訳『完訳三国志(三)』(岩波文庫,1988)P.130
漢の天下はくずれる家よ
柱一つじゃ支えておれん
このとき賢者は明主をもとめ
名主も賢者をさがしているが
であいはなかなかむずかしい
天地りて 火はんと欲す
大廈の将に崩れんとするや 一木にてはえ難し
山谷に賢ありて明主に投ぜんと欲す
明主は賢を求めけど却って吾を知らず
寺島優『三国志6 三顧の礼』(メディアファクトリー,2001)P.177-178
大きな家がたおれそうだ
ひとりで支えるのはむずかしい
あるじは遠くに助けをもとめる
わたしがここにいるのも知らないで
三田村信行『三国志二 天下三分の計』(ポプラ社,2002)P.199
天地反覆りて 火(漢)殂んと欲す、
大廈の将に崩れんとするや 一木にては扶え難し。
山谷に賢ありて 明主に投ぜんと欲す、
明主賢を求むけど 却って吾を知らず。
立間祥介訳『三国志演義2【改訂新版】』(徳間文庫,2006)P.112
天地のくつがえるのを
たったひとりで防げない
明主は賢者を探している
けれども私をご存じない
『三国志 漫画で読破』(イースト・プレス,2011)P.93
さて19作品17種類もの詞を上げた。これらの中でも特に目を引く(というよりも目にとまってしまう)のがやはり村上『三国志』であろうか。
さて、今回徐庶の詞を取り上げたが、数年前にKOBE三国志ガーデンにて実施された龍谷大学の竹内真彦教授の講座「三国志Q&A」にて次のような話題が出た。
Q.徐庶が初登場の時に歌っていたのは、徐庶のオリジナルか?それとも何か元ネタがあるのか?アピールするときに作詞する風習があったのか?
オリジナル:天地反覆兮,火欲殂。大廈將崩兮,一木難扶。山谷有賢兮,欲投明主。明主求賢兮,卻不知吾。
訳:天地がひっくり返り、漢王朝は滅びる。大きい家が崩れかかり、一本の大木では支えきれない。山や谷に賢者がおり、明主に仕えたい。明主は賢者を求めているが、私のことは知らない。徐庶のオリジナルではなく、三国志演義の制作に関わった人物が作成したモノであると考えられる。元ネタは不明であるが詩の形式は原始的で洗練されていない。その理由は「兮」が使われているからだそうだ。
この字は音を整える(フレーズを区切る)だけであって、意味はない。この「兮」と言う字を使用することによって、詩ではなくても、詩のようになるそうだ。確実に言えるのは、偶数番目にある『殂・扶』は押韻を踏んでいる。しかし、「主・吾」の関係が分からず、韻を踏めていないそうだ。この場合は「殂・扶・主・吾」の関係が滅茶苦茶なので、この詩を考えた人物がかなりの下手くそなのか、韻などの配置を考えていない、と考えられる。当時のインテリにとっては詩を作ると言うことは必須教養である。そのため作詞作曲は出来ると考えられる。
A.徐庶のオリジナルではなく、元ネタもない。作詞の風習はあった。
http://ameblo.jp/vitalize3k/entry-11364201114.htmlより転載
繰り返しになるが「兮」は音を整えるための字なので、「Yo!」と同様の字であると認識しても問題はないだろう。
天地反覆Yo!,火欲殂。
大廈將崩Yo!,一木難扶。
山谷有賢Yo!,欲投明主。
明主求賢Yo!,卻不知吾。