1979年(昭和54年)10月から1984年(昭和59年)7月にかけて講談社より『吉川英治全集』全58巻(以下、新版とする)が刊行された。このシリーズは旧版の内容や表装等を一新したものとなっている。吉川英治『三国志』は新版では24〜27巻の4巻にかけて収録されている。
やはり新版も旧版と同様に朝日新聞朝刊に1979年10月14日〜1980年1月23日にかけて広告が掲載された。なお新版の新聞広告は全面広告が1本も打ち出されていなかった。
劉備 『朝日新聞』1979年(昭和54年)10月24日水曜日 朝刊,13版,3面
関羽 同上
張飛 同上
諸葛亮 『朝日新聞』1980年(昭和55年)1月23日水曜日 朝刊,13版,2面
曹操 『朝日新聞』1979年(昭和54年)11月23日金曜日 朝刊,13版,2面
旧版では6人(劉備・関羽・張飛・諸葛亮・曹操・孫権)もの人物画が描かれていたが、新版では孫権を除く5人が、生褚氏の人物画(1966年の新聞広告がベースか)を基にかなりデフォルメして描かれる。装飾品や被り物はかなり控えめに、顔が大きく強調されている。
まず劉備についてである。やはり目に止まるのは劉備の冠。ここでは左右に垂れる旒は玉ではなく星が付いている。旒の本数や描き方から見ても、1969年に掲載された全面広告の劉備ではなく、1966年の劉備が参照基になっている。
関羽・張飛に目を移すと、やはり顔を中心に強調して描かれているせいか、特に関羽は関羽らしさを感じない仕上がりとなっている。張飛は顔の輪郭と冠がかなり大胆にアレンジされている。丸々しい顔のため、いかつさよりも可愛らしくなっている。
諸葛亮は輪郭や目元などの部位が鋭く描写されており、天才ではなく真逆の狡賢い印象を受ける。また曹操は気性の激しい猛将といったところか。
さて横山光輝氏は連載広告を描くにあたって、物語の冒頭から分かるように吉川英治『三国志』は間違いなく参照した。全集は当時爆発的に売れ行きが良好であったため、比較的入手が容易であったものと思われる。そういった背景もありおそらくは生頼範義氏の人物画を掲載する(旧版)『吉川英治全集 三国志』26〜28巻を見たのではないだろうか。後のインタビューで、横山『三国志』を描くにあたり参照にした資料として池田東籬亭 校正,葛飾戴斗 画『絵本通俗三国志』と『三国演義連環画』(上海人民美術出版社)も参照したとするが、いずれも生頼氏が描いた劉備の冠はその両者には描かれていない。そもそも後者は日中国交正常化以降に入手したという事で、連載広告が描かれた頃はまだ手元にすらない。