福岡「関帝廟」・福岡空港「関帝像」
これまで何度か福岡「関帝廟」およびこの関帝像を幾度か参詣しに足を運んだが、これまでこの像に関して詳細な記事を作成していなかった。昨年末にも関帝像を詣でに行ったので、この機に福岡「関帝廟」の設置当初から現在に至るまでの概要を以下にまとめたい。
福岡「関帝廟」の設置
福岡市は東アジアを舞台に活躍した中世の博多豪商、日本最初のチャイナタウンなど、アジア大陸に最も近いという地理的特性を活かし、国際商業都市として長い歴史を持つ。その特性を活かし、九州やアジアにおける経済活動の拠点都市づくり「ふくおか都市圏まちづくりプラン(福岡都市圏広域行政計画)」*1、地域再生計画「九州・アジアの賑わいの都『福岡』」*2を策定してきた。
その計画が遠因か定かではないが、2002年6月以前より「親不孝通り発展奇成会」が中心となり、天神地区(親富孝通り界隈)にアジア系の飲食店や雑貨、衣料品店を集中させアジアンストリートにするための地域活性化プロジェクト「親富孝通りアジアタウン基本構想」が発足した。そのプロジェクトの一環に、アジアタウンのシンボルとして、またアジアンタウンの守護神、そして財神として、同年内に舞鶴1丁目のトラストパーク AQUA PARKINGのすぐ脇に福岡「関帝廟」を建立し、同年12月22日(日)に除幕式が盛大に行われた。
上の画像はこちらより引用*3
この関帝廟に祀られる関帝像は立像で、像容は左手で鬚をしごき、右手には青龍刀を提げる。なお脇侍の関平、周倉像はなく関帝像1躯のみが廟内に祀られる。この像は台湾桃園市の鄭 来枝氏により頭部から台座までを1本の樟で彫られたそうだ。*4関帝像の足元には像を説明する案内板が設置されており、以下の解説文を記す。
福岡関帝廟
福岡関帝廟は三国志で有名な武将「関羽」を「関聖帝君」としてお祭りしています。
「精忠・守義」の将軍として、「護国の神様」さらに昔の中国の簿記の発明者として、「商売繁盛の神様」として信仰されており、家内安全・入試合格・学問の神様としても崇められております。
神前にひざまずいて合掌し、住所・氏名・生年月日を告げて、願い事をしてください。
この関帝廟にはスティーブン・セガールや市川 猿之助(三代目)などの有名人が参詣されたと記録が残る。先述した計画自体が頓挫してしまい、親不孝通り界隈の街づくりやそれに伴う環境の整備されなかった結果、先行して関帝廟が建てられたのものの、周囲の環境が整わなかったために、その存在が違和感を覚える形で残ることとなってしまう。
2014年2月22日(土)に撮影。序幕式当初と比べ、両側面と背面に柵が設けられたり、廟内部には拝礼用の座布団や香炉、そして式の様子を撮影した画像のパネル等が置かれている。また親孝行神社の真っ赤な籠も塗装が剥げ落ち、金属の鈍い色になっている。
「関帝廟」の消滅
福岡市に拠点を置き活動されている北伐さんが2015年6月に次のブログ記事を投稿される。
関帝廟へ |北伐ブログ:力漲る三国志手ぬぐい・Tシャツ(2015年6月15日 リンク切れ)
http://hokubatsu.blog.fc2.com/blog-entry-1225.html
福岡関帝廟が… | 北伐ブログ:力漲る三国志手ぬぐい・Tシャツ(2015年6月28日 リンク切れ)
http://hokubatsu.blog.fc2.com/blog-entry-1235.html
2015年6月15日(月)の記事に拠れば、関帝廟に行かれた13日(土)当時は廟はもちろん、像も従来通り健在であったようだが、2週間後の6月28日(日)には関帝像がそこにはなく、廟も柱を残すばかりであった、とのことだった。
同年8月2日(日)に九州へ行く機会があったため、なぜ廟が撤去されたのか、像が消えたのか等その真相を確かめるべく関帝廟のあった場所へ足を延ばし調査を行った。
廟があったその場所には、周囲のタイルより比較的白く綺麗な四角い跡と、親孝行神社の金属格子が残されるのみであった。
福岡「関帝廟」の入り口を案内していたマスコットキャラクター的存在であった河童像も、関帝廟の撤去に併せてかその場に姿が残されていなかった。駐車場に勤務されていた方にお話を伺うも、関帝廟は移転のため解体されたのではない、との証言を得ることができた。
2002年12月22日(日)の序幕式から撤去が確認された2015年6月28日(日)まで4571日。およそ12年半もの期間、この場所で日本人や華僑をはじめとする外国人を見守り続けた。
「関帝像」空港へ移設
人や文化などを特集する雑誌『きらめき+』のHPに2015年8月17日(月)付の日にちで「 白木塾執筆者・白木大五郎さんより残暑見舞いが届きました。」というページが公開された。
白木塾執筆者・白木大五郎さんより残暑見舞いが届きました。 | 人、文化、世代をつなぐ「きらめきプラス」
上記ページに拠れば、2015年は戦後70年の節目の年のため、世界平和と日中友好を祈念して、福岡空港ビルディング株式会社に関帝像のみを寄贈。同年8月10日(月)に福岡国際空港国際線到着ロビー2階にて贈呈式を実施。正式展示は8月末を予定、とのことである。
関帝像を寄贈したこの白木大五郎氏は何者なのか。 企業リスク研究所*5の代表で、講演会の開催や研究成果に基づいた出版物の発行、個別コンサルティングなどを主に行っている人物のようである。また有限会社柏屋の代表取締役会長も務めているとプロフィールに記載する。
福岡関帝廟管理委員会を擁していた会社こそが、この柏屋である。つまり関帝像は柏屋の所有物であり、間接的にその代表である白木氏の物でもあった。しかしながら経緯は定かではないが、何らかの事情により関帝像を手放すことになるも、福岡空港が引き取ることで落ち着いたようである。
さて、白木氏のメッセージ文において誤りがあったため、ここで言及したい。
『天神リクルートビル』の敷地内に設置し、日本に三つしかない『関帝廟』の一つとして長年に渡りアジアンタウン福岡の観光スポットの一つとなっていました『博多関帝廟』の『関羽立像』を戦後70年の節目の今年、世界平和と日中友好を祈念して、福岡空港ビルディング株式会社(社長は前福岡県知事麻生渡氏)に寄贈させていただきました。(中略)尚、寄贈は建屋は除いて『関羽立像』のみです。
企業リスク研究所代表 白木大五郎
白木氏のメッセージの冒頭部における国内の関帝廟の数であるが、2019年1月9日現在において、日本国内に存在を認識している関帝廟は1.函館「関帝廟」(函館中華會舘)、2.横浜「関帝廟」、3.難波「関帝廟」、4.神戸「関帝廟」(長楽寺)、5.氏が挙げる福岡「関帝廟」の5箇所ある。四天王寺の黄檗宗白駒山 清寿院(通称「南京寺」)も関帝廟として広く知られており、これを加えると6箇所となる。ゆえに「日本に三つしかない」ということは決してない、ということだけ指摘したい。さて氏が想定する関帝廟は福岡「関帝廟」以外の2箇所は果たしてどこであろうか。
最後に福岡空港に移設後何度か詣でる機会があった。その際に撮影した関帝像の画像を以下に掲載して終わりとしたい。
移設後も関帝像を解説したパネルが設置されており、日・英・中・韓の4ヵ国語で関帝像について簡潔に紹介がされていた。以下に日本語箇所のみを全文引用する。
関羽像
中国の三国時代(184年~280年)、勇猛果敢に活躍した関羽は、武に商に秀で、その才覚は多くの民衆に称えられ、皇帝でも王でもなかったのに中国全土で「関帝」として崇められています。
この像は、日中友好を願う福岡市内の白木大五郎氏より寄贈され、此処に設置致します。
上の画像3枚は2016年8月6日(土)に撮影した画像である。関帝像の周囲にはロッキード・シリウス機1/4模型のみしか設置されておらず、非常に閑散としていた。また何もないからこそ関帝像がかなり浮いた存在になっていた。
2018年12月29日(土)に再詣。2年も経過すると、上の画像のように関帝像の位置がシリウス機と入れ替わっており、像の四方にはベンチが設置された。そこに腰掛けると背中に青龍刀に先が当たってしまったり、手を延ばせば触れることが出来る至近距離である。もちろん触れないでくださいという注意書きがない。
2016年の時よりも周囲が賑わい、利用者が0人になる時間はなく絶え間なく人がロビーを往来していた。また関帝像自体が信仰の偶像から、モニュメント的な存在に役割がシフトしていたように思われる。
〒812-0851 福岡県福岡市博多区大字青木739
*1:福岡都市圏の「広域行政計画の変遷」第3、第4広域行政計画を参照
*2:アジア交流広域都市圏の形成促進に向けた戦略的な連携方策に関する調査.pdf(2.02MB)
*3:http://www.geocities.co.jp/HiTeens-Panda/6876/01.html
*4:『ビズ・キュー 別冊』p.8