厳島神社/豊国神社(千畳閣)

瀬戸内海に浮かぶ宮島の北東部に、朱塗りの大鳥居と大伽藍を構える厳島神社が鎮座する。祭神は市杵島姫命田心姫命湍津姫命で、創建は推古天皇元年(593)と伝わる。*1

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厳島神社の大伽藍は、大鳥居・客神社・厳島神社・高舞台・大国神社・天神社・能舞台能楽屋などから構成される。

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かつては奉納された数多くの絵馬が厳島神社内に掲げられていた。しかしながらこれらは潮風に吹き曝されて退色や破損などを被るため、そこから北北東に150mの位置に鎮座する末社の豊国神社(千畳閣)へと移された。幕末から明治期にはこれらの絵馬を後世に伝えていくため、また案内書を兼ねて『厳島絵馬鑑』『厳島絵馬帖』が刊行された。厳島神社の絵馬は当時は観光名物であったと思われる。

厳島神社から絵馬が移された豊国神社は、経堂が畳857枚分の広さがあることから「千畳閣」とも呼ばれる。創建は豊臣秀吉が千部経読誦するために天正十五年(1587)に発願したことに始まる。秀吉の没後、天井の板張りや建造物の外構など完成を見ないまま現在に至る。御祭神は豊臣秀吉霊神・加藤清正霊神。

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豊国神社には弁財天が描かれた「しゃもじ」や、馬や鹿などの動物、巴御前や弁慶などの絵馬が掲げられる。その中に三国志を題材にした4点もの絵馬を有する。いずれも題名は不明だ。今回はうち2点について見ていきたい。

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「桃園三英傑図」

縦およそ3.5m、横およそ2m。左より張飛劉備関羽が描かれる。関羽が手にする巻物のようなモノは春秋だろうか。桃の花が咲く枝を手にする劉備はエモい!

彼らは太い黒線で輪郭が引かれており、全体的に鮮やかな色彩が施されたと思われる。経年のためか劉備の衣服を除いて、全体的に退色している。絵馬には落款はなく、右上には「狩野氏門人/宗真齋信廣 筆」の署名が見える。どうやら狩野派の人物のようであるが、該当する人物は見付けれなかった。

また額には右辺には奉納年「文化十五歳次戌寅五月吉日」、左辺には「當郡白砂邑 澳八郎治光成」の名前が見える。狩野派の某信廣により描かれたこの絵馬は、文化十五年(1818)年五月に安芸国佐伯郡白砂邑(現:広島市佐伯区湯来町大字白砂)の澳氏が顧主となり奉納されたようである。

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関羽図」

縦およそ3m、横およそ1.5m。赤兎馬に跨る関羽が左の人物が持つ緑衣を青龍刀で受け取る場面が描かれる。彼らは緻密で写実的に描かれており、表情もまるで生きているようである。

部分的に鮮やな色彩が確認できるものの、全体的に色が落ちており、塗料の下から絵馬の木目が覗く。

左上には「七十八肖學𠎣寫(七十八肖学仙写)」とタイトルと思われる墨書が見える。額の上辺には「御寳前」、右辺には「明治三十年第二月吉日 愛知縣名古屋市職主 齋藤岩太郎」、左辺には「願主 筑前國若松藩 瓜生佐四郎以政敬白」と彫られる。

中村 修身(2011)「北九州市金石文集成 若松区篇」*2に拠ると、北九州市若松区浜町1丁目2に鎮座する恵比寿神社の境内に、海上安全を願い天保八年(1837)十一月に奉納された常夜灯が置かれる。この右面に「船支配 瓜生佐四郎」と名前が見える。彼に関する詳細は未明であるが、おそらく同一人物だと思われる。

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次の記事で残る2つの奉納絵馬について言及したい。

 

〒739-0588

広島県廿日市市宮島町1-1

*1:御由緒 拝観 嚴島神社【公式サイト】(http://www.itsukushimajinja.jp/history.html)より

*2:別府大学史学研究会『史学論叢(41)』,pp.12-26,2011-03