戯志才の血

太祖問紣「誰能代卿為我謀者?」紣言「荀攸鍾繇」。先是,紣言策謀士,進戲志才。志才卒,又進郭嘉。【魏書巻十『荀紣伝』】

先是時,潁川戲志才,籌畫士也,太祖甚器之。早卒。太祖與荀紣書曰:「自志才亡後,莫可與計事者。汝、潁固多奇士,誰可以繼之?」紣薦嘉。召見,論天下事。太祖曰:「使孤成大業者,必此人也。」嘉出,亦喜曰:「真吾主也。」表為司空軍祭酒。【魏書巻十四『郭嘉伝』】

戯志才は荀紣により曹操に推挙された潁川出身の人物である。推挙後ほどなく亡くなったため、その後釜として荀紣郭嘉を挙げた。曹操は「戯志才が死んで策略を相談できる相手がいなくなった」と嘆いたというエピソードがくらいしか正史には記録が残されていない。

そんな謎の多い戯志才だが、『姓氏急就篇』において次の記述が残されている。

戲氏:虙戲氏之後。後漢北海戲子然,魏有潁川戲志才。『姓氏急就篇』

戲氏は虙戲氏の末裔、すなわち伏羲の末裔であり、戯志才もその血が受け継がれているそうだ。伏羲は後漢末から3000年以上前の神話時代の人物であるが、肯定・否定ができる判断材料がないため何とも言えないが、もし仮にそうであるとするならば、人材コレクターの曹操が非常の気に入るほど秀でた人物であったことは首肯できる。

創作活動をされている方は、ぜひ戯志才は伏羲の末裔という設定を作品に取り入れて欲しい。