演義における武安国の描写を比較

演義において虎牢関で一方的に攻めて来る呂布にタイマンを張り片腕を失いながらも、呂布を陣に返し「生き残った漢の子」としてみんなに愛される武安国。彼の活躍する場面は全120回あるなかで唯一この場面しかない。

俗にいうマイナーな武将である。

そんな彼について現在最も通行している演義のエディション「毛宗崗批評本『三国志演義』」こと通称:毛本と、それが成立する以前に広く流通していたエディション「李卓吾先生批評三国志」こと李本の二種類を用いて、描写の比較を行い、彼のかっこよさについて再認識したい。
なお李本は緑蔭堂刊行のものを使用する。


簡単なあらすじ
虎牢関の戦いにおいて、ついに呂布が出陣。彼を倒すべく諸侯の猛将・方悦と穆順が順に出陣するが、方悦は五合も渡り合えずに討たれ、穆順は一撃で撃たれてしまった。諸侯たちは戦意消失する中、武安国が立ち上がる。

まずは毛本の記述を見たい。

北海太守孔融部將武安國,使鐵錘飛馬而出。呂布揮戟拍馬來迎,戰到十餘合,一戟砍斷安國手腕,棄錘於地而走。八路軍兵齊出,救了武安國。呂布退回去了。
【『三国志演義』(毛本)發矯詔諸鎮應曹公,破關兵三英戰呂布

北海太守孔融の武将で、鉄槌使いの武安国が馬に乗り出陣した。呂布はこれを迎え、戦うこと十合あまりというところで呂布の戟が武安国の片腕を斬り落とした。武安国は鉄槌を地に投げ逃げると八諸侯の軍勢が彼を救い出した。そのため呂布は去った。


一方、李本では以下のように記述する。

北海太守孔融部下一將曰「吾受文擧恩,已十年。何不以死報之」。乃門下勇士武安國也。使鐵錘,重五十斤。安國提長柄鐵錘,飛馬而出。呂布揮戟拍馬而來,與安國戰。戰到十餘合,一戟砍斷安國手腕,棄錘於地而走。八路諸侯一齊殺來,救了武安國。呂布退回去了。
【『三国志演義』(李本・緑蔭堂)虎牢關三戰呂布

北海太守孔融の部下の一人の将軍が「私は(孔融)文挙殿より恩を受け既に十年にもなる。命を懸けてこの恩に報いたい」と言った。すなわち彼は孔融の勇士・武安国であった。彼は重さ五十斤もの鉄槌を使う。武安国は鉄槌の柄を手にし、馬で出陣した。呂布は戟を振るい、これを迎えると彼と戦った。戦うこと十合あまりというところで呂布の戟が武安国の片腕を斬り落とした。武安国は鉄槌を地に投げ逃げると八諸侯の軍勢が彼を救い出した。そのため呂布は去った。


現在通行している毛本では残念なことに、赤字箇所が削除されいるため、武安国が孔融に対して忠義を示したいという旨のセリフと、彼の武器についての情報が省かれてしまっており、今ではすっかりとモブキャラとなってしまった。

上述した以外でも毛本では多くの記述を加筆・修正が行われいる。例えば諸葛亮魏延を焼き殺そうとするのは有名な話だ。李本以前のエディションを読むと今までにない面白さや新鮮さ、またさまざまな発見をすることができよう。

そして、武安国はかっこいい!