『永平寺』に見える仏殿

2017年8月26日(土)に永平寺へ参詣した帰りに、福井駅近くの福井市立桜木図書館へ寄り、永平寺の寺伝「土地護伽藍神」に関する記述がないか郷土資料を当たった。結果は収獲なし。

レファレンスでこの永平寺像に関する書籍を探すのを手伝っていただくと、桜木図書館から北北東約2.5kmほどのところにある福井市立図書館に古い資料が所蔵されていると教えていただき、そちらへ向かった。

市立図書館では確かに古い郷土資料や永平寺に関する書籍が所蔵されていた。司書の方のご協力をいただき、あれこれ教えていただく。やはりどの書籍にも「土地護伽藍神」という名称の像が仏殿にある以上のことは記されていなかった。

しかしながら唯一、大変興味深い書籍を見つけた。平野順治 編『永平寺』(大本山永平寺,1968.9.20)である。それは永平寺の伽藍や自然、僧、仏具等、様々なモノを撮影したいわば写真集である。そのp.32に次の仏殿の写真が掲載されていた。

この画像を見て、目に留まったのは右須弥壇上の像である。おわかりいただけるであろうか。

以下の記事で右壇上には「護灋」と記した扁額が上部に掛け、同じく左より順に寺伝「大権修利菩薩」像、「土地護伽藍神」像、そして位牌を置く、と記した。

永平寺仏殿における華光菩薩像 - 尚書省 三國志
http://d.hatena.ne.jp/kyoudan/20170827/1503800617

大権修利と華光が安置されている壇は灯篭(?)によって見えないが、現在位牌が置かれている右端の壇上には右腕を掲げる像容の像が1躯置かれている。特徴よりこれはあきらかに大権修利である。しかも華光よりも大きさがひとまわりも、ふたまわりも小さいように見える。
この像は華光の左側に置かれている大権修利像とは別の像である。断言はできないが、おそらく永平寺 瑠璃聖宝閣にて展示・保管されているこの像ではないだろうか。

かつて仏殿で祀られていたこの像が、どのような理由で仏殿より去ったのか、またその時期はいつ頃なのか気になるところである。