永平寺仏殿における華光菩薩像

永平寺について取り上げた各種サイトや関連書籍、また二階堂善弘先生の論文等で、永平寺には「土地護伽藍神像」が仏殿に安置されている、という旨の記述が掲載されている。文章で像は紹介するものの、その肝心の像を映した画像が書籍やネット上に全く掲載されず、また永平寺が刊行した図録等の資料でも確認した限りでは載っていなかった。
そのため、その像は本当に実在するのか、それが本当に華光像なのか確認する術が「実際に永平寺に行く」という選択肢以外の手段がなかった。
そのため、先日実際に行ってみた。

最初に断っておくが、今回は永平寺の略歴や他の堂宇等の紹介は省き、仏殿に関することだけに焦点を絞り、以下に触れていきたい。

曹洞宗大本山(吉祥山) 永平寺。開山は道元で、800年近くの長い歴史を持つ。
本尊を祀る仏殿は永平寺の伽藍の中心にあり、明治三十五年(1902)に道元の650回大遠忌記念で改築されたと伝わる。覚皇宝殿とも呼ばれる。中央の須弥壇には釈迦牟尼佛像を中尊に、その左右に阿弥陀仏像と弥勒仏像を安置する。

左右の須弥壇はそれぞれ三つに区切られており、向かって左壇上には「列聖」と記した扁額の下に、左から順に道元禅師の師である如浄禅師像、達磨大師像、そして位牌を置く。


また右壇上には「護灋」と記した扁額が上部に掛け、同じく左より順に寺伝「大権修利菩薩」像、「土地護伽藍神」像、そして位牌を置く。なお「護灋」の灋は法の旧字体のため現代字で表すと「護法」となる。

大権修利と華光の像高はどちらも80cmほどで、達磨像も同様の大きさに見えた。大権修利と華光の前に牌が置かれ、前者には「招寶七郎大権修利菩薩」と金字で書かれ、後者には「佛勅護持護法伽藍善神王」と金字で記す。華光の牌のみ全体的に退色や剥離等の損傷が見られる。残念ながら裏面は確認することができなかったため、どのようなことが記されているのかは不明である。
大権修利像の前には「大権修利菩薩」と記された牌が置かれているためこちらは問題はないが、華光はなぜか「伽藍菩薩」ではなく「伽藍善神王」となっている。これまで様々な寺院の華光像を目にしてきたが、この呼称は初めて目にした。永平寺だけであろうか。
像が先に「土地護伽藍神像」と呼ばれていたのか、牌が先に作られ像がそのように呼ばれるようになったのかは不明であるが、ここでは「華光」でも「関帝」でもない呼称がされているのは間違いなさそうである。


また「この広い土地を見守ってくださっています土地神様」と僧侶の方がご説明をされた。

さてこの華光像の像容について。
二眼で髯を全く蓄えず、頭には三山帽のような冠を戴き、内衣の上から広袖の盤領の上衣を纏う。上衣には腹部や足元などに龍が描かれる。左手には持物の金磚を乗せ、右手は腹前で五指を軽く曲げて腰帯を掴み、曲彔に腰を掛ける。
全身を金色に、肩や袖内等には朱や緑青の彩色が施される。

これまで様々な華光像を目にしてきたが、永平寺像は持物が残っており、退色や剥離、虫・鼠害等がないように見受けられたため、黄檗宗寺院や曹洞宗寺院で現存する華光像の中でも最も保存・管理状態が良い一躯であると感じた。

次はもうひとつの曹洞宗大本山である總持寺で祀られている華光像を拝見し、比較したいものである。


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福井県吉田郡永平寺町志比5−15