黄檗宗少林山 達磨寺

上毛かるた」や「縁起だるま」などで広く知られている達磨寺はJR信越本線「群馬八幡」駅を降りて南に徒歩15分ほどの位置に所在する。

黄檗宗 少林山達磨寺 || 群馬県高崎市の縁起達磨で知られる寺院
http://www.daruma.or.jp/

今回は江口正尊「黄檗信仰史27」(『史蹟と美術』,1999)の達磨寺の項目に、関聖大帝菩薩倚像とする画像が掲載されていたため、大型連休を利用して参詣する運びとなった。論文に掲載されていたその画像はモノクロで非常に粗かったが、これまで取材した黄檗末寺に安置されている関帝像と比較すると達磨寺像は表情や幘の形状などが異なっていた。そのため、強い違和感を覚えたため、本当に関帝なのかどうかその真相を確認することも目的のひとつとなっていた。

達磨寺は像や本殿内部などの撮影が禁止されていたため今回は像の画像の掲載ができていないことをあらかじめご了承いただきたい。


さて山門の前に設置されていた看板に達磨寺に関する略縁起について記されていたため、以下に引用する。

黄檗宗禅宗)少林山達磨寺 縁起
昔、碓井川のほとりに観音様のお堂がありました。ある年、大洪水のあと川の中に光る物があるので、里人が不審に思って見ますと香気のある古木でした。これを霊木としてお堂に納めて置きますと、延宝年間(一六八〇頃)一了居士という行者が信心を凝らして一刀三礼、この霊木で達磨大師坐禅像を彫刻してお堂にお祀りしました。まもなく、達磨大師の霊地少林山としてしられると、元禄十年(一六九七)領主酒井雅楽頭は、この地に水戸光圀公の帰依された中国の帰化僧心越禅師を開山と仰ぎ、弟子の天湫和尚を水戸から請じ、少林山達磨寺(曹洞宗)を開創しました。
享保十一年(一七二六)水戸家は、三葉葵の紋と丸に水の徽章を賜い永世の祈願所とされました。
のち、隠元禅師を中興開山に仰ぎ、黄檗宗に改め以来法灯連綿として今日に至っております。

まずはお参りをするために境内をぶらりと散策し、本堂前で参拝を。本堂は公開されておらず、関帝はもちろん本尊として安置されている十一面観音像も目視で確認することができなかった。そこでお寺の方に話を伺うために、寺務所へと向かった。

寺務所では二人の僧侶の方がいらっしゃったが、観光寺ということもあり参拝者が常に出入りされていたため、なかなかお声掛けするタイミングが掴めなかった。しばらく待っていると、拝者の方の受付が一瞬途切れたためすぐさま関帝についてのお話しを伺う。すると対応してくださった方が寳林寺の住職さんで、たまたま達磨寺に手伝いに来たため分からない、とのこと。どうやら達磨寺の住職さんが体調を崩されていて達磨寺の手伝いをしに来たそうだ。
その寳林寺の住職さんに、自分が行っている関帝の研究とその調査に関してお伝えすると「うちには関帝はいないが華光菩薩像ならある」と教えてくださった。とっさに拝観したい旨を伝えると、夕方頃まで達磨寺にいるので、それ以降なら可能であると、快諾してくださった。

話を関帝に戻す。結論から述べると寺務所のお二人はご存知ないそうだ。もしかしたら学芸員さんなら何か知っているかもしれない、と教えてくださった。すぐに本堂横にある売店(達磨堂)にいらっしゃるその方の紹介と引継ぎをして下さった。
学芸員さんにお会いし、先ほどと同様に関帝の調査を行っているとことをお伝えする。ちょうど住職さんが不在(お寺にはいらっしゃるそうだがインフルエンザで体調が優れないため対面することができない)であったため、勝手に拝観させることができない、と断られてしまった。しかし学芸員さんが以前に撮影した関帝像の画像であれば見せることができる、と提案をしてくださったため、即座にお願いを。
これまで各地の寺院を回ってが、ここでもやはり拝観に関しての書類の記入を促された。項目を埋め提出すると、奥からノートPCを運んで来られ、1枚の画像を提示してくださった。

先の江口論文に拠ると、関帝の像高が19cmとあるのみであったが、実際に画像を拝見すると冒頭に言及したように、やはり達磨寺像の容姿は他の黄檗寺院に安置されている像とは異なっていた。まず全身が金色に塗られた木像で、ヒゲは毛ではなく木彫りで表現されており、髭と鬚があった。しかしながら顎の先に剥離跡があったため、鬚がおそらく欠けたのではないかと推測する。また幘は水泳キャップのように頭にぴったりとしたものであるが、ここの像がかぶっているものは後頭部から襟足にかけてだぼっとしており、大きな余白があった。

その後、学芸員さんと女性の方に関帝や華光菩薩に関して様々なことをお話ししたが、達磨寺になぜ関帝が安置されている由縁やいつ頃から置かれているか等は分からない、とのことだった。

開山に隠元が関わっているため、関帝像が安置されたのではないかと考えるが、その手掛かりが全く得ることができなかったため、今後の課題にしたい。

お礼を述べ寺務所に戻り、寶林寺の住職さんに達磨寺像について学芸員さんとのやり取りについて簡潔に報告を。そして全く予定のなかった寳林寺へ、まずは車を取りに榛東村を経由して急いで向うことにした。

【参詣日】
・2016年5月3日(火)
【寺院情報】
・建立年 1697年(享保11年)
・本尊 千手観音像
・所在地 群馬県高崎市鼻高町296

続き!
黄檗宗眞福山 寶林寺 - 尚書省 三國志
http://d.hatena.ne.jp/kyoudan/20160512/1463062245