今年の2月に黄檗宗聖寿山 崇福寺の護法堂に関帝像らしき像の存在について言及した。『長崎市史』には「伽藍神像」と記載があり、幘をかぶり鬚髯を蓄えていることから、この像はおそらく関帝であろうとした。
・崇福寺護法堂にもう一躯。そして… - 尚書省 三國志部
http://d.hatena.ne.jp/kyoudan/20170216/1487230055
先日、にゃもさん(@AkaNisin)が崇福寺に行かれ、この像を撮影され、以下のツイートを投稿された。
08.崇福寺護法堂(8/21)
— にゃも (@AkaNisin) 2017年8月23日
護法堂の左手、韋駄天像周辺に神像が雑多に並べられている。過去に廃絶された堂宇から移されてきたものらしい。写真2枚目はたぶん関帝だろうけど、もともとどの堂にあって、何のために祀ってたものなのか。わからない pic.twitter.com/rOcMT0Numj
右の画像のようにこれほどまで近い距離で撮影された画像はこれまでなかったため、非常に見応えのある1枚である。この像の像容について整理したい。それにしても緊那羅の状態が非常に気になってしまう…
護法堂内陣の向かって左側の壇上(天王殿)に、韋駄天を中尊に五大帝、達磨、緊那羅、布袋尊等の像とともに祀られる。像高は未明。形状は千眼寺(福岡市)本殿の関帝像のような眉間やや上部に円形の装飾が施された幘をかぶり、薄目で目尻は吊り上がり、口は真一文字に結ぶ。口髭と顎鬚を蓄えるも、経年によるものか鬚は喉元あたりで切れる。鎖帷子の上から首元が大きく開けた広袖の衣を纏う。発志院(奈良県大和郡山市)や聖恩寺(京都市)に置かれる関帝像の服装と造形が近い。脇から鳩尾にかけてアーチ状に帯が通り、両手は右腿上で袖内で組み、両足を肩幅よりやや広めに開げる倚像である。顔や腹部・足元に金色の彩色が残ることから、当初は全身を金色で覆われていたと思われる。
さて余計なことではあるが、どうしても全身の剥離、つま先の欠損等がが目につく。また寄木造りのためか上下体の継ぎ目も非常に目立つ。もしかしたら部材が散逸するおそれがあるであろうし、今後虫害鼠害に遭う可能性も否めない。観光寺のため人の出入りも多いであろうし、今後この像を後世に残すための保存が課題になろう。