黄檗宗葉室山 浄住寺

浄住寺は阪急電鉄嵐山線上桂駅より西へ10分程歩いたところに位置する。山号は葉室山、本尊は釈迦牟尼仏坐像する。1200年以上もの歴史を持ち、太平記巻第八にも登場するほど。

寺伝によると、810年(大同5年・弘仁元年)に嵯峨天皇の勅願により、慈覚円仁が天台宗寺院として開創した、と伝えられている。当時は「常住寺」と号していたが、1261年(弘長元年)に公卿の葉室定嗣によって中興され「浄住寺」と改められた。後に葉室家の菩提寺として栄えた。

しかし、鎌倉時代末期の1333年(元弘3年)4月に、六波羅探題軍と千種忠顕率いる後醍醐天皇軍が交戦した際に全焼。その後も、応仁の乱以降に度々戦火に遭い荒廃し、1567年(永禄10年)再度全焼する。

1687年(貞享4年)に葉室頼孝によって開基、黄檗宗の僧鉄牛道機を中興開山として再興され、黄檗宗の寺院となる。この当時の建物は「寿塔」「開山堂」「祠堂」「沸殿」「天王殿」「大門」「東方丈」「西方丈」「宝殿」「禅堂」「斎堂」「鐘楼」「鼓楼」「庫裏」が整っていたそうだが、現在は開山堂が本堂兼禅堂、祠堂の一部が開山堂に、東方丈が規模が小さくなり方丈として、寿塔と宝殿はそのままで現存する。


さて本堂には釈迦牟尼仏坐像、達磨像、華光菩薩像、葉室頼孝(?)像を安置し、本堂背後の開山堂には鉄牛禅師像を安置する。ここでも萬福寺や大龍寺等と同様に華光菩薩像と達磨像が対に安置されていた。


本命の華光菩薩像はかつては〝伽藍菩薩〟と安置されていた痕跡があり、どうやら関帝としては祀ってはいなかったようだ。江口正尊『黄檗信仰史』で取り上げられた際〝華光菩薩倚像〟と記載されたため、それ以降認識が変わったようだ。また左手には何もアイテムは持っていなかったが、指の付け根部分のみ、汚れが付着していたことを確認することができた。そのためこの華光像もかつては金磚(きんせん)を手にしていたのではないかと推測する。

浄住寺には黄檗寺でよく見られる四天王像や韋駄天像、弥勒菩薩(布袋)像はないとのこと。拝観後に住職さんに話を伺ったが、数年前に先代と替わったとのことで、伝承や仏像に関する詳細な情報を伺うことができなかった。

【参詣日】
・2015年10月17日(土)
【寺院情報】
・建立年 1687年(貞享4年)
・本尊 釈迦牟尼仏坐像
・所在地 京都府京都市西京区山田開キ町9