臨済宗直指山 単伝庵(落書き寺)

京阪「八幡市」より22号線沿いに東へ向かうことおよそ10分。今ではお寺に落書きができる「らくがき寺」として珍所となった単伝庵が所在する。

ここの歴史や由縁等はほとんど伝わっておらず、今から二百年前に臨済宗妙心寺派大本山である臨済宗正法山 妙心寺の単伝和尚が、人々を怪我や災難より救うことを発願して救苦観音を安置し、祈祷修繕されたのが由来だそうだ。「大黒様が見やすいように願いを壁に書く」ということが発端とされ、現在では多くの参拝者が、怪我や災難を除くのではなく、諸願成就を祈願し大黒堂の内壁に願い事を記している。

さてその大黒堂の壇上中央には走り大黒像が安置されており、向かって左壇上には六臂弁天像が、右壇上には高野法師(高野聖)像が安置されている。


高野法師像の正面(入口より右手奥)には関帝像が「身代わり関羽」像として安置されていた。この関帝像は石製で大きさは15cm程、台座を合わせると4〜50cm程の大きさであった。右手は青龍刀を握る格好をしていたが、どうやら紛失してしまっていた。この像について次のような説明がされていた。

病魔退散 身代り関羽
関羽大将軍”は中国に於て全ゆる病魔邪悪を退散せしめる主神として各地にお祀りされています。今回華北の廟に祭られ信仰を集めていた一躰を縁あって当山へ安置することになりました。病気でお困りの方は何卒御加護を得られて全治なさいますよう御祈念申上げます。
お守りをお受けの方は祈祷票に御記入のうえ寺務所へ御持参下さい。
当山

残念ながら、いつ・どこの廟から・どういった経緯でこの像が譲られたのかは紐解くことができなかった。関帝は国家を守護する武神として、または財神として広く祀られている、ということは周知の事実である。大陸側の事情は不明であるが、無病息災という性質は日本の関帝像にはない。この関羽像は鐘馗のような道教神としての性質を持っているのではないだろうか。

関羽像の右隣に「身代り関羽御守り 三千円」とあったため、ひとつ授かった。お寺の方より「喘息の治癒を祈願する場合のみ、特別な祈祷をしないといけない」と説明を受けた。関羽と病気の関係について考えるのに精一杯なところに、喘息との関係についても追加されてしまったため、もう訳が分からなくなってしまった。

ちなみに御守りはおよそ7cm×5cmの木箱の中に3cmほどの御守りが入っていた。寝る時だけ箱から出して、布団の下に敷くそうだ。

ここの関帝像は華僑や黄檗宗との繋がりがあるかは未明であるが、これまで目にしてきた関帝像とは全くテイストが異なっていた。この様な関帝像が国内各地にまだまだ安置されているのかもしれない。

【参詣日】
・2016年1月3日(日)
【寺院情報】
・建立年 未明
・本尊 釈迦牟尼仏
・所在地 京都府八幡市八幡吉野垣内33