関帝

大興寺の関連資料の翻刻『山城名勝志』巻十三下 愛宕郡

大興寺に関する記述が残る文献において見落としや勘違い、語句等を誤認していないか確認と情報整理のため改めて見ていきたい。まずは大島武好『山城名勝志』宝永二年(1705)について取り上げる。 〇芝薬師 号霊芝山大興寺。元在大宮西五辻南。今云芝薬師町…

足利尊氏の霊夢

今回は三国志研究会(全国版)にて、ぼるどさん(@Bolxfoy)よりご指摘をいただいたことを以下に記したい。お話しを伺うと確かにそうだ、と腑に落ちる点があったためおそらくそうであろうと考える。 「足利尊氏が関帝像を祀った」という伝承の情報源としてよ…

羽鳥慎一モーニングショー(2017年11月24日)

今回は小ネタ。毎週月〜金の午前8時よりテレビ朝日にて放送されている「羽鳥慎一モーニングショー」。昨日11月24日(金)は「島谷ひとみが都内の“ご当地スポット”を訪ね「お国自慢」を紹介」する曜日コーナー「ワンダふるさと」において京都の特集がされた。そ…

臨済宗東福寺派 景徳山 安国寺

安国寺は臨済宗東福寺派の禅修寺院で、山号は景徳山。足利尊氏生誕の地として伝えられ、またアニメ「一休さん」の舞台にもなったことで広く知られる。8月末に催さた「三国志研究会(愛知版)」の第1回例会後に「綾部にも足利尊氏が祀ったと伝わる関帝像があ…

黄檗宗神護山 先聖寺 其の二

先聖寺の華光像の足元には何故か達磨像のモノと思われる履が一組置かれている、と以下のように言及した。華光像はもちろん、個人的に興味を引いたのはその前に置かれている履(くつ)である。これは対に安置されている達磨像のものであろう(華光像は既に履…

黄檗宗神護山 先聖寺

犬山城のより南へ2kmほど、名鉄犬山線「犬山」駅より南西へ1kmほどの住宅地の中にひっそりと黄檗宗神護山 先聖寺(せんしょうじ)がたたずむ。今回の目的は、黄檗宗寺院における関帝像について調べ始めた当初より「先聖寺にも寺伝関帝像がお祀りされている」…

崇福寺関帝像について

記事で崇福寺護法堂の天王殿、観音堂、関帝堂の沙弥壇のうち天王殿に韋駄天像の眷属として、関帝堂には関帝を中尊に周倉・関平像の三尊形式で祀られる、と以下の記事で触れた。・崇福寺「関帝像」の霊験 - 尚書省 三國志部 http://d.hatena.ne.jp/kyoudan/20…

崇福寺護法堂における関帝像

今年の2月に黄檗宗聖寿山 崇福寺の護法堂に関帝像らしき像の存在について言及した。『長崎市史』には「伽藍神像」と記載があり、幘をかぶり鬚髯を蓄えていることから、この像はおそらく関帝であろうとした。・崇福寺護法堂にもう一躯。そして… - 尚書省 三國…

福濟寺護法堂の諸像について

先日Twitterにて松岡さん(@mokujiki2)が投稿された次の引用ツイートに目がとまった。引用元は黄檗宗分紫山 福濟寺に関するモノであった。ほほう。中国風な眷族を連れている。 https://t.co/LqHkqm5ltT— 松岡誠一(仏像文化財修復工房) (@mokujiki2) 2017…

オークションサイトにて出品されていた像は?その2

前回と同様に、2017年7月25日(火)にヤフオクにて「慶應◆中国仏教文物 晩明〜清初期頃 銅鍍金関帝立像」という像が出品された。・慶應◆中国仏教文物 晩明〜清初期頃 銅鍍金関帝立像 - ヤフオク! https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e234260814・オ…

上海新天地「関帝廟」由来

・上海新天地「関帝廟」 http://d.hatena.ne.jp/kyoudan/20170617/1497630067上海新天地「関帝廟」に設置されている「関帝廟の由来」と見出しの説明版。以下にメモとして全文を記す。 <関帝廟の由来> 関帝(関公とも呼ばれる)は、「関聖帝君」の略称であ…

上海新天地「関帝廟」

・千里中華街「関帝廟」 http://d.hatena.ne.jp/kyoudan/20170615/1497455085前述したように2007年1月をもって千里セルシー内の千里中華街の営業が終了し閉鎖した。それに伴い2006年末(おそらく12月のうち)に、そこに設置されていた関帝廟が、大阪・日本橋…

千里中華街「関帝廟」

千里中央に所在する複合施設千里セルシー。2002年5月31日(金)にその5階にフロア全てを用いて、日本最大級の屋内型中華街「千里中華街」がオープンした。15店舗以上もの中華料理を提供する飲食店が入っていたが、料理はもちろん、接客態度など良くも悪くも「…

仙石泰山,夢枕獏『古寺巡礼京都19 萬福寺』(2008年3月6日)

京都に所在する数多の名刹を1寺ごとに取り上げ、カラー写真をふんだんに掲載し、歴史や文化、僧、伝統などを紹介する「新版古寺巡礼京都シリーズ」。その19番目に刊行されたのが仙石泰山,夢枕獏『古寺巡礼京都19 萬福寺』(2008年3月6日)である。萬福寺の…

京都芸苑巡礼会 編『黄檗山芸術案内』(1927年7月17日)

京都・宇治に所在する黄檗宗大本山 萬福寺。そこがの所蔵する仏像や絵画、建築等の概略を簡潔にまとめたガイドブックが京都芸苑巡礼会 編『黄檗山芸術案内』(黄檗山万福寺,1927年7月17日)である。その序文に「明治末〜大正にかけて仏教芸術の各分野の研究…

吉元昭治『日本伝説紀行ガイド』の関帝編(2/2)

昨日の続き。今回は黄檗宗寺院以外で祀られている関帝を祀る寺廟についてである。・『日本伝説紀行ガイド』の関帝編(1/2) - 尚書省 三國志部 http://d.hatena.ne.jp/kyoudan/20170516/1494893419 神奈川県 横浜関帝廟 神奈川県横浜市山下町【写真270】JR石…

吉元昭治『日本伝説紀行ガイド』の関帝編(1/2)

昨日の記事に記載したように今回と次回の2回に分けて、吉元昭治『日本伝統紀行ガイド』(勉誠出版,2001)の関帝に関する記述をメモとして引用する。本文は一字一句そのまま引用する。文中に住所が記載されているが、文字だけではその所在が分かりにくいため…

吉元昭治『日本伝説紀行ガイド』(2001年7月10日)

本書は日本に古くから残る伝説や伝承が伝わる所縁の地を筆者が訪れ、その地で取材等を通して見聞きした事柄をガイドブックの様な体裁で紹介する。取り上げる伝説は非常に多種多様(後述)で計29項目、日本の人物だけでなく、日本に将来した中国の人物や神仙…

東京「媽祖廟」配置替え

JR大久保駅から南へ徒歩数分の位置に所在する東京「媽祖廟」。ここは日本でも数少ない道教施設であり、横浜「媽祖廟」・「関帝廟」とは異なり在日、台湾人のコミュニティに属する。 関帝調査の一環で過去に何度か訪れた事があり、昨年4月にも参詣のため訪…

宮田安『長崎崇福寺論攷』(1975年8月)

崇福寺に置かれる関帝像について調べるために、福岡県立図書館が所蔵する宮田安『長崎崇福寺論攷』(307/500部,長崎文献社,1975年8月)を閲覧する。崇福寺に関しては、長崎市が刊行した『長崎市史地誌編佛寺部』が基礎資料である。しかしながら『長崎市史…

韓国の関王廟リスト

日本全土を統治下に置いた豊臣秀吉が、日本だけではなく大明帝国の征服をも目指し「唐入り」するため、まずはその属国であった李氏朝鮮に兵を差し向けた(文禄・慶長の役)。慶長の役で明軍が参戦した際に、兵だけでなく護国の神・関羽を信仰する文化が朝鮮…

礒野信春『長崎土産』(1847年)

『長崎土産』は磯野信春が長崎に関する図録を中心に絵とともに記した地誌である。弘化四年(1847)正月に成立した。諏訪神社や眼鏡橋などの名勝や、オランダ正月などの風俗も取り上げられている。内容の多くは当時長崎に点在していた唐館や蘭館、唐寺、唐船…

福濟寺の年間行事

長崎市 編『長崎市史 地誌編仏寺部 下』(長崎市,1923-1925)より、福濟寺にて行われていた行事の日程を以下に引用する。 正月元日より三日まで 祝聖 十三日 関帝祭 二十日 木庵禅師祥忌 二月 十五日 佛涅槃諱 十九日 観音大士成道忌 三月 廿三日 天后聖母…

福濟寺「石兎馬」伝説

例のごとく今回も長崎市 編『長崎市史 地誌編仏寺部 下』(長崎市,1923-1925)より。福濟寺には関帝像ではないが、それにまつわる逸話が集録されている。 石兎馬の塑像があつた。いつも夜閑なるころほひ、この馬、数町の間を馳せ行くのを常とし、往々深夜に…

黄檗宗分紫山 福濟寺

フーコの振り子がある「萬国霊廟長崎観音」で有名な長崎市筑後町の「福済寺」。「長崎三福寺」のひとつに数えられ、福建省泉州府出身の覚海によって寛永五年(1628)に開創した。 開創当時は、幕府がキリシタン禁止令を発令し、南蛮伴天連や日本のキリシタン…

曹洞宗法王山 亀林寺

寛政八年(1796)から10年間もかけて刊行された摂津国の観光案内書である秋里籬嶌,竹原春朝斎 図『摂津名所図会』。全九巻で構成されており、現在の大阪と兵庫の一部の観光名所について取り上げ絵入りで紹介する。 その中で住吉郡を取り上げた一巻に「関帝…

オークションサイトにて出品されていた像は?

2017年2月6日(月)にヤフオクにて「木彫 閻魔大王 時代 中国 唐 三国志 置物 大魔王 髭」という題で次の赤顔で長髯の像が出品されていた。・10S12018 木彫 閻魔大王 時代 中国 唐 三国志 置... - ヤフオク! http://page18.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w1…

崇福寺の年間行事

長崎市 編『長崎市史 地誌編仏寺部 下』(長崎市,1923-1925)に崇福寺の年間行事が掲載されている。当時の唐寺はどのようなことが催され、華僑の人々にとってどのような役割を持っていたのか考えるために以下に引用する。 正月朔、三 日 祝聖祈年頭賀。 四 …

崇福寺護法堂にもう一躯。そして…

昨日は崇福寺の護法堂の関帝像について取り上げた。・崇福寺「関帝像」の霊験 - 尚書省 三國志部 http://d.hatena.ne.jp/kyoudan/20170215/1487137325その像を調べている中で、崇福寺にはそれとは異なる別の関帝像らしき倚像が、同じ護法堂内の、しかも韋駄…

崇福寺「関帝像」の霊験

崇福寺は興福寺・福済寺とともに「長崎三福寺」と総称される黄檗宗寺院の1つである。特に三国志ファンには「関帝像が祀られている」ということで意外と知られている寺院である。 山号は聖寿山。本尊は釈迦如来坐像。脇侍は迦葉、阿難立像の釈迦三尊が、十八…